『第十二話』

第三章 『第十二話』



「——関係各所、要人への通達は数日で完了させます」



 高所からの、急激な下降に伴う環境変化を問題にしない女神たち。

 山の森林限界を脱して暫く、茜色に染まった葉の暖かな天蓋の下で足を止めたアデスが言う。



「加えてしかし、両陣営の準備期間を考慮して、更に数日の猶予を挟むと思われますので……今日よりの"一週間前後"で裁判の準備は整えられるでしょう」

「分かりました」

「よって貴方も、その時までに——"弁護を行うにあたって必要な情報を収集すべき"と、言っておきます」



 権威存在と進行役を兼ねる裁判長の当ては『プロム』という"神"で付いた。

 そうして今は師弟、それぞれ準備に向けて別行動を取る前、諸々の確認。



「はい。情報収集それは俺も考えてました」

「……"情報源"に当てはあるのですか?」

「……先ずは、何よりも容疑を掛けられた『アイレスさん』——人間の少女に話を伺いたいと思っています」



「本当に彼女が、"損なう行為"を——『やってしまった』のか・『やっていない』のか」



「それを俺の中でハッキリさせておかないと……弁護のしようもないと思うので」



 当座の、弁護を担う者としての目標を明らかとした青年。



(……あまり考えたくはないけど、もしも"本当に彼女が犯人だった"としたら——俺がするのは"彼女とルティシアの容赦"・"一定の免責を求める"ことで)


(……でも仮に、もしも『やっていない』のに濡れ衣を着せられてしまっているような場合——目指すのは……彼女の犯行に"疑いの余地を残す"こと。理想としては、"無実の証明"と"真相の究明"が出来ればいいんだけど……)



(そうする場合……"真犯人"の目処を付けておかないといけない)



『裁判』とは、『弁護士』とは何かの、不足している情報・理解獲得の学習機会も勿論ではあるが——今は先に、限られた時間で"動いて成すべきこと"を中心に思案を重ねる。



「……では、最初の目的地は『アルマの集落』、彼女達の"里"へ?」

「そう考えてます。聞いた話ではそこに少女がいるみたいなので安否の確認も兼ねて……一番に向かうつもりです」

「……ですが、我が弟子。の地は民族の特性上、何時何時いつなんどき誰に対しても門が開かれる訳でもなく」

「……」

「まして今は状況が状況。素性も分からぬ突然の来訪者を果たして——受け入れてはくれるのでしょうか?」

「それは……」



 授かった"隠密潜入"の技では、集めた証拠も大した正当性を持ち得ぬ。

 周囲の人間たちにも納得のいく手段でそれらは集めねばならず——しかし相手は"女性だけ"の、"呪いを背負いし曰く付きの民族"『アルマ』。

 抱える事情故に外部からの敵意や害意への警戒は勿論、内部での騒ぎを見過ごす訳はないだろうし、また基本的には男子禁制で、外部の人の出入りにも厳しく制限が設けられている。

 そして、何より今は——"戦雲低く垂れこめる時"。

 幸か不幸か青年の外見が現在は女神であっても、一切の説明もなしに彼女たちの領地へ足を踏み入れることは困難であると、予想がされた。



「……仕方ありませんね。"急ぐ貴方"が大手を振って入り込めるよう——その手配は"真っ先"に済ませてきましょう」

「い、いいんですか……?」

「二言はありません。"面会"の願い——いえ、"約束"までを早々に取り付けさせますので、それ以外で他に貴方の要望は?」

「それなら……可能であればアルマの一員の少女——『リーズ』という方とも話が出来ればと思います。……頼めますか?」

「了解しました。今日このあと、そのように話を通します」

「……お願いします」

「では、先方さきかたの受け入れ態勢が整うまで、少々の時間が要するのを考えて……向かうのは、明日あす以降が宜しいかと」

「……分かりました。アルマの里へは明日以降に向かおうと思います。有難うございます」



 けれど、その面倒な段取りもアデスによって纏められて——当のアルマたちにとっては『寝耳に水』の話、決定。

 内部で少なからず混乱が起こるのが予測されるが、彼女という女神が決めたことならそれはもう、"仕方がない"。



「……その他の当ては、どうなのですか?」

「他は……事件現場の検分も併せてルティシアでまた、話を聞こうと思ったりしてます」

「……」

「……ですが、噂話を聞いた限り、都市の人たちも今回の一件について詳しくは知らないみたいなので……収穫はあまり期待できそうにないのが、本音の所でして……」

「……『何か他に適した場所はないか』、と?」

「……はい。近場でいい場所を教えて頂けると、助かるんですが……」

「……」



 そうして、助言を求められたアデス。

 考えるよう、間を取って。



「……でしたら——」

「?」

「——山脈の谷間たにあいに位置する……いえ、しかし……」

「……?」



 自らの言葉を途中で遮り、歯切れは悪く。



「……なんですか? 情報収集に適した場所があるのなら是非、教えて欲しいんですが……」

「……」

「……もしかして、『今は近寄るのをよした方がいい』って言う……その辺り?」

「……はい。移動を阻む険しき山脈は同時にまた隠れ住まんとする者たちにとっては都合の良い環境だと、以前に私は説明をし——」



「そして無用な揉め事のないよう、貴方へは『そうした"薄暗い場所"へ近寄る事なかれ』とも——常々に言ってきました」



「……なれど彼の僻地、山々の狭間に作られた"共同体"ならば……各地より集まった者多く、多様な情報が得られるのも事実と思い……口を開きかけたのですが……」

「……」

「……あの場は"野卑な言葉"の飛び交う"騒々しい世界"。人を相手取れば一騎当千とはいえ、貴方を単身で向かわせるのは……些か心配でなりません——」




「——なりませんが……"貴方は"、『どうしたい』と思いますか……?」




 切なげの眼差しが、問う。

 人の身で神の玉体に外傷を負わすこと不可能に近けれど——"内なる心"に関してはその限りでなく。

 取り分け生後間もなくから紅涙こうるいを絞り、先の葬儀でも同じく悲しみに暮れた女神の——"青年の苦悩と悲嘆に満ちた表情"を知っているからこそ、師は。



「……俺は……」

「……『自ら向かうべき』と、そのように思いますか……?」



 仰ぎ見る真紅の瞳。

 想う気持ちで、念入りに問い掛けて。




「……"はい"」

「……」

「ちょっと怖いですけど、『やれることはやっておきたい』ので、だから——」




「"勇気を出して行ってみたい"……そう思います」




 見せられる頷き、受け取る肯定。

 "他者を想う"のは青年も同様であり、師の神は自らで進まんとする若者へ——。



「……分かりました。これも頃合いなのでしょう。貴方自身が望むのならば、彼の地へ向かうことも許可します」

「……有難うございます」

「?」



 ——世話を焼く。



「念を入れ、貴方には"とも"を付けます」

「"とも"?」

「身を護り、助けとなる"従者"です」



 そう言っておもむろに背を向け、腰を折る女神。




「……『ウアルト』さん、"ウアルトさん"や——」




 漆黒厚手の革(?)靴で覆われた脚を支えに、膝立ての姿勢。

 差し出す左手の、落ち葉の海の方へと向かって、何やら——名を呼ぶような囁き玉声。



「——こちらです」



(……"ウアルトさん"? 誰だろう……?)



 青年が師の小さな背中越しに見る茜や朱。

 紅葉色に染まる海の中、"動く者"あり。



(——! 段々こっちに、近付いて……!)



 動く何者かによって落葉、波立つ。

 直線でなく曲がりくねった筋道を描きながら向かう、案内をするアデスの下へ。

 "うねる"ような動きは高所から低所へ向かって曲流して形を作る"河川"の如くを見せ、葉の下で垣間見える"乳白色"のその体、山を覆う"白雲"の如し。




「——よく来て下さいました。感謝します」




 くれないの海面を割り、"鎌首をもたげた"その者。

 呼び掛けに応えて参上してくれた"使い"に女神は感謝を述べて、差し出した手からその"長き体"を登らせてやる。



「と、供って、まさか……」

「はい。手が早き者の手出しを防ぎ、障壁を取り除く供として今日こんにち、来てくださったのは——」




「人間からも高貴の名で呼ばれる彼女——"蛇の淑女"『ウアルト』です」




 そのまま立ち上がったアデスの左腕に巻きつくは楕円形の頭——通常の蛇よりも発達した頚部けいぶを持つ"生き物"。

 全身を乳白色の鱗で覆い、真っ赤に染まった眼で青年を眺める白化個体の——謂わば『コブラ』であったのだ。



「……ふむ——『初めまして』、とのこと」

「あ——は、初めまして(?)」



 器用に頭を傾ける『ウアルト』と呼ばれる者、その真横でアデスが務めるのは通訳だろうか。

 "蛇と交わす初対面の挨拶体験"は些か奇妙に思えたが、青年もそれに倣って一応に返す会釈。



「改めて紹介しましょう、ウアルトさんや——こちらは『女神ルティス』。若き川水の柱です」

「ど、どうも」

「——そして女神ルティス。こちらは先述の通りの『ウアルト』と呼ばれる蛇。今回、私の求めに応じ、貴方の供を務めて頂く事になった賢き淑女の者です」



 紹介されてウアルト蛇、尾を左右に震わす。

 察するに、"手を振る"ようなものであろうか?



「淑女……ってことは女性の方、ですよね?」

「はい」

「……俺より、年上?」

「勿論」

「……よ、宜しくお願いします。ウアルト……さん」

「彼女の"毒牙"ならば牽制に最適であり、多くの地域で敬われる"高貴の白"を持つ彼女を供とすれば、身分証明にも一切の不足なし。地域によっては王権の象徴ともされる淑女の存在が貴方を護ってくれるのです」



(時代劇で言うところの"印籠"——"偉い人の家紋"みたいなものだろうか……?)



 身を白く、目を赤く。

 奇しくも配色を同じくする女神の首にウアルトは巻きつき、"細首で蛇を従える少女のさま"——見る者に畏れを抱かせるだろう異様な、されど神秘的な光景に青年は息を呑む。



「……彼女が、俺のお供を……?」

「左様。時に"この私"——が貴方の道行きを助けてくれるのです」



「大いに感謝を」

「それは勿論、有難いと思います……でも、えぇと……」

「? 何でしょうか?」



 アデスと蛇、色白の二者——キョトンと首傾げ。

 少女然とした表情のアデスは平然としているが、その小玉体に巻き付いているのはコブラ——女神よりも勝るかという大きさの、毒持つ大蛇。

 犬や狼、烏といった一部の使役動物たちとは顔見知りである青年でも、初めて間近に見る大蛇存在に警戒心を抱かざるを得ず。

 思わず距離を取るよう、後ろへの身じろぎ。



「……確認ですけど、"毒"があるんですよね?」

「はい。神経に作用する蛇毒だどくです。含まれる蛋白質が電荷を帯びた原子を——」

「そ、それ——毒の説明は、今は良くて」

「?」

「その蛇を連れ歩いて、もし誰かが噛まれたら……大変じゃないですか……?」

「彼女は誰彼なしに無闇矢鱈むやみやたらで噛み付く程、分別のない女性ではありませんよ?」

「……」

「貴方の姿こそは"私よりの影"が誤魔化してくれましょうが、それも全能ではなく……もしもの時の為、貴方の側で控えてもらう抑止の力が、彼女なのです」



(……動作を見るに相当賢いのは間違いない)


(それに、抑止ってことは威嚇や牽制が主な役割で……でも、本当に大丈夫だろうか……?)



 そもその蛇が供として、"どの様に付いてきてくれるのか"も分からず。



「……なのですが——蛇、お嫌いですか……?」

「……いえ」



 しかし、アデスの御墨付きもあって。

 呼び掛けた女神も、来てくれた蛇にも悲しい思いをして欲しくなかった青年——間もなくにウアルトを供として承諾、大蛇の恩恵に与らんとす。



「……あまり馴染みがなかったので少し、驚いただけです」



「アデスさんがそこまで言うなら信用出来る方なのでしょうし……ウアルトさんの力——是非にお借りしたいと思います」

「……それならいのです」




「……では早速、彼女には貴方の下へ移ってもらいましょう——女神ルティス。貴方の腕をこちらに」

「え"——い、いきなり腕は流石に、ちょっと勇気が——」




——————————————————




「——では、淑女ウアルト。暫しの間、弟子かのじょを頼みます」


「食用のかすみは既に袋の中で充填が完了していますので、遠慮なく召し上がってください」



 そうして、青年が得た頼もしい供——雌の白蛇ウアルト。

 彼女はアデスが小さく手を振った先、青年女神の肩上にて先の割れた舌を振って言葉に応える。



「……女神ルティスも彼女に失礼のないよう、お気をつけて」

「はい。慣れるまで少し時間が必要かもですけど……助けてもらう身です。丁重に扱うよう心掛けます」

「良き心掛けです。先に言ったように餌遣りや排泄物の処理は必要がない為、後は精神的な負荷を与えすぎぬよう周囲の環境に配慮が出来ると尚良いかと。取り分け群衆の中で置き去りにするなどは以ての外ですので——ご注意を」

「はい……!」



 応えた後に蛇は青年の顔の真横で、女神の視界の端から下へと向かって頭を袋へと入れ隠す。

 若き水神の背負うその荷物袋こそが暫くの間、淑女ウアルトの仮住まいとなるのだ。



「……そうしたらば同行者の協力で以って、貴方が次の目的地へ向かう準備は概ねが完了となります」


「よって間もなくに私も、裁判の準備を推し進める為に貴方とは別行動を取り始めるのですが……」



「他に何か、入り用な物はありませんか?」

「特には……ないと思います」

「……」



 そして、状況の整理も終わり際。

 アデスの言うように師弟はいよいよこれから別行動に移らんという時——なのだが。



「"……"」



(……な、なんだろう。今日はやけにまばたきが多いような……"アイコンタクト"——では、ない)


(こんなに"頻繁な瞬き"が『意味する指示』は特になかったはずだし、気の揺らぎだって——)



「……"心配"です」

「……そんなに信用ありませんか、俺」

「……私手ずから教えを授けたのです。"一定の信用"は置いています……置いてはいるのですが——『降らぬ先のなんとやら』とも言いましょう」




「山間の僻地へ向かう貴方に『もしも』が起こらぬよう手を尽くさねば……私の気が収まらないのです」




 アデスはまだ、弟子を行かせてはくれなかった。

 とどまる所を知らぬ老婆心が"憂いを抱え続ける青年"に対して発揮され、別れる前に最後の確認。



「……大丈夫ですか? 『個神での対神戦闘は極力回避』——その理由は分かっていますか?」

「……『大抵、今の俺では足下にも及ばないから』です」

「……不意に曲がり角で"名のある神と衝突"せぬよう、走査を怠ってもいけませんよ?」

「……"そんなこと"あります……?」

「"あります"。神は時として"細部に宿る"ため、警戒を忘れてはならず——」



「やはり貴方では——特段に注意をすべき高位の神共かみどもは、"どうしようもない"」



「故に再度の確認となりますが、もしも格上の……剰え大神のような理不尽と相対あいたいした場合には——」

「『諦めて、待つ』」

「そうです。貴方に出来るのは精々『嵐が過ぎ去ってくれるのを願いながらに待つ』事ぐらいのもので——その上で貴方に危害が及ぼうとした場合は馳せ参じた私が対処をしますので……どうかそれまでの間は、"待機"を」

「……はい」

「……ですが彼の者らが放つ気配、川の水などいとも容易く圧倒し……動転するだろう事を考えた場合にはやはり、"場慣れ"した者が欲しいか……」



 そよぐ風、揺れる紅葉、秋の声。

 ぶつぶつと気を揉む女神を宥めるように穏やかな音であったが——今の彼女は聞く耳を持たず。

 会話に不要な音の一切を遮断するアデス、ここへ来て新たに"一つの提案"を持ち出す。



「……我が弟子」

「?」

「淑女ウアルトに加えて、"もう一者"——『女神イディアにも同行を願う』のは如何でしょうか?」

「……"イディアさんにも"、ですか?」

「"世才せさい"を有する彼の女神ならば神も人も問わぬ対神(人)折衝に通じており、貴方の不足を埋められる"頼もしき味方"となってくれるでしょう」

「……」

「私としても彼女であれば、貴方を一定の安心によって任せられ——」



「貴方もそれを望んで頂けるのなら、直ちに私が橋渡しを務めたいと思うのですが——どうですか……?」

「……少し、考えさせてください」



(……実際に、何度もイディアさんには助けられてるし、居てくれたら頼もしいのは……間違いないけど——)



 提案をされて、考えの間を取った青年。

 砂糖代の立て替えや化け物との対峙といった——これまでに幾度も美の女神たるイディアに助けられ、支えられてきた心身。

 今では心に占める比重を恩師と等しくする程に大切な存在である友を——異界で惑う中、名乗らぬ己を"それでも"『友』として認めてくれた相手を想いながら、検討。



(——恩も全然返せてないのに、また厄介ごとで巻き込む形になってしまうのは……あまり良くない)


(……でも、少し危険な場所へ行くのに"不安"な気持ちがあるのも事実で……)



 そこらの鋼鉄を凌ぐ頑健な神の体——しかし、搭載するのは"人の心"の、実質半々女神。




(……可能なら、やっぱり彼女にも…………"助けて欲しい")




 携える愁眉、精神が追い込まれつつある今。

 結果として選ぶのは——"素直な気持ち"の吐露。




「……そうしたら、彼女——イディアさんの意志を尊重した上で、もしも迷惑じゃなければ……お願いしたいです」

「……分かりました。貴方が発つ前の本日中に、彼女へとその旨を伝えておきます」

「はい。……重ね重ねになりますが有難うございます、アデスさん。色々と心配して頂いて」




 支援者たちの存在に感謝を捧げようと、ぎこちない微笑を浮かべて——。




「イディアさんにも、どうか、よろ——」




 しかし——なれど。




(あ、れ——)



(なんだ——どう、して——?)




 深々と頭を下げようとした青年。

 突如として揺らぐ視界に彼女の足、玉体はふらつく。



「——"大丈夫か"」

「……は、はい。少し、目眩がしただけで……"大丈夫"、だと思います」

「……」



 後方へ傾きかけたその体——先回りして支えようとしたアデス。

 辛くも自力で踏み止まった青年を背後より気遣う。



「今日は朝から、色んなことがあったので……頭が疲れてしまったみたいです」

「……」

「心配おかけしました」

「……ならば、今日きょうの残る一日は休息とするのが得策かと」

「……でも」

「……どの道、人々の受け入れ態勢が整うまでは時間を要するのです」

「……」

「美の女神と合流するにしても、それまでに幾らかいとまはありましょう。……私としても、明澄めいちょうな思考によって導き出された確かな調査結果を得たいが為——」




「——……ですから今は、どうか"御自愛"を」

「…………分かりました」




 対する青年は蹌踉めきながらに後ろの恩師へ向き直り、従順な態度で休みの提案を承諾。

 情報の洪水と感情の波の乱高下に飲まれつつあった己を自認する彼女は、自らを案じてくれた忠告を無視してまで無闇に動き回ることを『流石に得策でない』と判断——今日の予定を殆ど"白紙のままで良い"ものとした。




「……アデスさんの言う通り、今日は早く休もうと思います」

「……はい」

「混乱しているのは事実なので、一旦落ち着いてから、状況を整理して……明日から、調査を頑張ります」

「……それが良いかと。十分に英気を養ってください」

「……ご迷惑をお掛けします」

「いえ。……私が不在の間に何かあれば、遠慮なく誰かしら——使いの者に呼び掛けを」

「はい。その時は、遠慮なく」




「「……」」




 そうして。

 見つめ合う数秒の沈黙を置いて、別れの時。




「……私は準備に取り掛かります」

「……」

「完了次第、決定事項を貴方に対しても連絡するので……それまでどうか、休まれよ」

「——」




 頷き合い、互いの結髪が引き合うよう動く師弟。

 共に被り直す漆黒で顔を隠した後、準備が終わる再会の時まで——奮闘の場所を異なるものとするのであった。





「……お気を付けて」

「"——"」





——————————————————





 ——その後。



(……今日は朝から本当に、色んなことがあった)



 拠点とする地下神殿、神が用意した灯火——神灯しんとうの前、心遣いの熱を身近に感じながら。

 横たわる青年は今日の出来事を反芻しようと、豊かな身の重さを床に押し付ける楽な姿勢で考える。



(先ず、様子見のために訪れた都市でまた異変が起きてしまって……アイレスさんが居なくなってて……)


(彼女の関与が疑われる事件——貴重な豚が命を落とした一件で、ルティシアとアルマの間に緊張が走って……)



 瞳から漏れる光、照らすのは微細な埃の形。

 山脈の麓に連れて行かれた恩人の少女を想う青年の側、目前の炎はただ暖かく、優しく。



(不安で、よく分からないまま急いでアデスさんに助言を求めて)


(最悪の事態……"戦争"みたいなことが起こらないよう話し合って、それで……——)



 しかし収まらぬ騒めき、危機感。

 二度ならず三度までも都市に迫った危難を前に脆い心は軋み、だが決して『対岸の火事』として見過ごすことも出来ず。

『悲劇的な離別など、もう見たくない』——そう密かに誓った青年は、失うことの恐怖・痛みを忌避する己が苦心の末に辿り着いた結論を見返し——。




(……"裁判"をやって、問題を穏便に解決するため、何より彼女を助けるため——俺がその場に『弁護士として立つ』ことになった)




 時を置いて冷めた客観的な視点。

 無謀とも思える自らの言動を省みて、漏れる溜め息。



(……アデスさんは、この地域なら俺がその先駆者的な役割に最適と言うけれど……"本当にやれるのか")




(務まるのか、俺に——なんて)




 "このままではいけない"、『消沈しているだけでは出来ることも出来なくなってしまう』と。

 熱量の不足を感じて突き出す、"躊躇のない手付き"——伸ばす右手を神灯の熱で、"炙る"。




(……不安や疑問ばかりが浮かんでくる。でも……既に、そう決まったんだ)


(それに、もしかしたら……"いや"。アイレスさんの『故意ではない』か『無実』を信じて、衝突をどうにかするって——"自分で決めたこと"だ)



(だから、今は——)




(……悔やむでも、嘆くだけでもなく——"前向き"に)




 傷を負うことのない、炙った神の手。

 胸元に寄せて握ったその手は、蒸気を——"決意の表れ"——"青き狼煙"を昇らせる。




(今、自分がすべきこと。それは——"裁判に備える"ことだ)


(裁判長の役目を神のプロムさんに引き受けてもらえて、法に変わる権威は用意出来たし、細かい根回しはアデスさんがやってくれてるから……俺がその先、具体的に明日からすべきなのは——)




 青色の光を受けて輝く腕輪の宝石。

 黄褐色の琥珀を見つめて、その色を持つ友との合流を待ち望む。




(——アルマの里へ行って、アイレスさんやリーズさんと面会。そこで彼女たちから詳しい事情を聞く)


(その後は——山間部の共同体で目ぼしい情報を……一連の災害や異変に関して、更に情報を集める)




 視界、映る腕輪の先。

 隅でとぐろを巻く白蛇ウアルトは大欠伸をして、青年と共に休むその淑女は一足先——微睡みの中へ。




(……この体が幾ら頑丈で力持ちだとしても、やっぱり怖い物はある。……イディアさんが来てくれたら、心強いけど……)


(でも、これは……人々を護ろうとするのは、"俺の問題"だから……来てくれなくても、一人で……頑張らないと……)




 蛇に釣られたか。

 眠気を思い出す青年は瞼のないウアルトがしない動作——瞬きの頻度を多くして。




(……迷惑を掛けてばかりで、申し訳ない)



(少しずつ恩を……返して、行かないと……イディアさんと……アデスさんにも……)




(……その前に今が落ち着いたら、彼女たち、に……"真実"を、打ち明けないと…………打ち明けたら、どうなるだろうか……?)





(……"気持ち悪がられる"……? ……"拒絶される"…………自分勝手だけど……それは、とても……)






(……"とても"————)






 誰も声を上げぬ、静穏の時。

 次の務めに備えて、今は疲弊した精神を眠らせる女神の健やかな顔立ち。

 務めの終わった"その先"を想って、暗涙あんるい——頬を伝う。





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