『第十話』

第三章 『第十話』



 雪上に降り立ち、何のなしに振り返る。




「"————"」




 視界——空の青と雪の白で包まれた雄大の景色。

 山々の間でひしめく雲海を見下げ、息を呑む青年。



(——たかい…………)



 既に現在地、山脈の高所。

 切り立った頂上部で僅かに存在する——緩やかな傾斜の窪地。



「——間もなく目的地ですが……」

「…………」

「……何か、気になる物でも?」

「——あっ……いえ。ただ、景色に驚いていただけなので……大丈夫です」



 天然の安定した足場伝いに跳躍を繰り返して、上空に向かって落ちるよう先行した恩師の女神へ追いつき、青年。

 体内で気の流れを瀬から淵へ水流の速度を変えるように整えた後、アデスの声を契機として観光気分に打つ終止符。

 初めて見た山頂からの絶景に背を向け、同じく地に足をつけた柱の後を追いに戻る。



「……見えました。其処な大岩がの男神の居所きょしょです」

「……誰かが住んでるようには見えませんけど……」



 人々を従わせるに足る権威、神の威光を求めて進める足。

 常人ならば酸素の補給もままならぬ極限の環境でも呼吸を原則必要としない彼女たちは"何処吹く風"で、窪地を占有するかのよう座する大岩の下へ歩み、寄り。



(目立った反応は……——)



 岩肌と雪の単純な配色で彩られた同地。

 年の平均が氷点下を下回る気温だけでなく、見た目の美観もどこか侘しい——若干の肌寒さを覚える中。

 ひかめえに回す首、周囲の気配を走査。



(——……ないけど)



 目に見える範囲を調べ終え、最も怪しげな大岩の背後を神の知覚で覗こうとした——矢先。



(——! 鳥……?)



 その岩陰から飛び出した一羽の鳥——わし




(……"こんな所"に、鳥が——)




 飛び去る羽撃はばたきの音を境とし——"話す声"。




「——来たか。"待ちわびたぞ"」




(——!!)



 その声、振動は岩陰から聞こえるもの。

 不意の音に驚いた青年、小さくなって行く鷲の後ろ姿を見るのを止め、頭巾で隠す眼差しを慌てて大岩の方向へと振り戻す。




「鷲との腹の探り合いにも些か飽き飽きしていた所での、来客」


おのれにとっては好都合だが……我が"知友"以外でこの場所を訪れる物好きとは——」




「果たして一体——"何者"か」




 突然の来客に驚いた様子も然程ない、ぬらりくらりの定まらぬ声。

 空気を介さず直接に身を震わせる神の声は響き、それは次第に雪を踏みしめる鈍い足音と比例しながら大きく、近寄って。



「数千か、数万だったか……何はともあれ久方ぶりの来客なり」


「果てさて、その正体は誰か、我が予測は的を射抜いたかどうか——」



「……確かめるとしよう」



 大岩から身を乗り出す一つの影、屈強な肉体の柱。

 女神と比べて確かなかどを玉体に有する長身が——姿を現わす。



「誰か、誰かな————"む"!」



「む、むむむ——これは! これは、まさか……!」




「"オーダー"が今も続く中、そのしたで地上を出歩くのか——"女神"……!!」




 その神、"漆黒"の小玉体を見て。

 驚きで以って女神それを迎え、笑みさえ浮かべて声を上げる。



「……『おーだー』……とは?」

「シックスハンドレッドシクスティーシックス」

「……なんと?」

「簡略化して六が三つのトリプルシックス——『オーダートリプルシックス』」

「それは……一体、『どういった内容ものでしたか』……?」

「世界を対象とした粛清命令。その勅令が今尚続いていると言うのに、外出を?」

「……光の神たる貴方を前にしてなんともないのだ——『"なにも問題はない"』」

「……あぁ。確かに」



 対応するアデスとの間、何やら話し込むが——今し方の会話内容、特に重要ではない。

 神が"認識を改める絶対的な力"によって『問題はない』と言っているのだ——男神共々『忘れて良い』



「……"?" ——ですがまた貴卿きぎょうが、このような光溢れる場所へ足を運ぶとは、全くの予想外で」




「お会いでき、光栄至極に存じます——"暗黒卿あんこくきょう"」




("男"の、神…………"でかい")




 実際、何かを忘れたように頭を捻った男神。

 貴き姫へこうべを垂れる騎士のよう仰々しく御辞儀をし、揺らす黄金の髪。

 その背の高き威容に驚いて反射的にアデスの背後へ身を寄せる青年は——自身がこれまで直接目にしたことのない——見上げる程の巨躯出現に恐怖にも似た圧迫感を覚え、頼れる師の小さな影に庇護を求めて身じろぎする。



「此方こそ。不意の来訪を迎えて頂き、感謝の思い。……変わりはありませんか?」

「それは勿論。祝福か呪いか、今日も今日とて大事だいじなく……と、言いたい所ですが、ご覧の通り——"左目を奪われまして"」

「……"王の仕業"か?」

「えぇ、まぁ」

「……"未来を視る"のに、力の行使に問題はないのですか?」

「以前から『行使』と呼べる程、自由に扱えていた訳ではないのですが……"突発的且つ断片的"になら、なんとか」

「……」

「今は、そんな所です」



 アデスの肩越しに恐る恐るといった様子で見る——初となる男神の姿。

 見た感じでは人の、多数派の男性的な肩や肘の角ばった男——隻眼の大男。

 顔で長い髭——はたくわえていない、若々しく筋肉質の美男。

 髪色は先述の通り『金』、瞑られていない方の瞳は夢見の星を宿して虹彩『濃い褐色』。

 その玉体、筋肉の鎧を包むのは質素な白布が数枚で、また手と足の首には金属製と思しき"かせ"が嵌められ、その様まるで"囚われの"印象。



「……」



 そして実際、青年女神には観測が出来ずとも"光で編まれた不可視の縄"が雁字搦めで、その体を拘束——男神の自由を制限している光景がアデスには見えていた。



「そしてまた、そう言った所で世間話はこのくらいにして——」




「——"本題"は? 女神アデス」




「……」

きょうともあろう者が態々、我が下へ出向いたならば」

「……」

「何か"用談"が……お有りに?」



 すると隻眼の男神、変調。

 笑みを含んでいた顔付きを対面の女神に合わせるよう重く真剣な色と変え、早々に用件を問うのであった。



「……明察の通り——なのですが」

「?」

「用件を持ってきたる者、厳密には私でなく……"後ろの女神"なのです」

「……先程から見え隠れしている?」

「左様——"女神ルティス"」



 アデス、己の背後へと呼び掛ける。



「……己の意志は己の口で伝えて下さい。乳母日傘おんばひがさで貴方を育てるほど、私は甘くありません」

「——す、すいません……!」



 呼び掛けられて、青年。

 隻眼で枷を嵌めた大柄な美青年という、如何にも怪しげで危険な香りのする神に及び腰となっていたが——諭され。



(近くで見ると尚更、威圧感が……"でも"——)



 恩師の作る黒影から勇気によって進み出る。

 雲一つない晴れやかな世界に聳え立つ大きな柱を前に、視界が覆われるような圧迫感を心身で受けつつも、頭巾を上げながらに声を——絞り出す。



「——は……はじめ、まして」

「ん。"初めまして"、か」

「——!」



 明確に認識され、『っっっ』とした焦りの飛ぶ色が見えるようでも——頑張る。



「女神のようだが、名は確か……」

「——えっと、一応……『ルティス』と、そう呼ばれている者、です」

「——おう。ならば"知っている"。確か、人の小都市を護らんとしていた……"一衣帯水の女神"であったか……?」

「? は、はい。多分、そうです」

「であれば俺という神とは近所、殆ど同じ山の隣神りんじんという事にもなるか」



「ならば、ならば。此処で会ったのも何かの縁とし、我が身も改め——自己紹介と行こう」



 そうして。

 頭巾を上げた状態の、儚げかつ端麗な顔を外気に晒す女神たちの前。

 彼女らとは対照的な、生気に満ち溢れた晴れやかな笑みで男神は——王より賜った自らの名を明かさん。




「——我が名は『プロム』。今は訳あってこの山、岩に縛り付けの神」


「この星で生まれた女神とは異なる世代の、大神より直接に分かたれし『第二世代』と呼ばれる神の——その、"先駆け"」




「故に前提として『信仰ありき』と『存在ありき』の神ではことなる部分も多々あるとは思うが……互いに同地域で住まう者。まぁ——宜しく頼む」

「こ、こちらこそ。宜しくお願いします……!」



(あ、あんまり悪い感じでは……ない……?)



 枷を嵌められている神に対し、何か『罰せられる』、『態度を咎められる』ような"行い"を過去にしたのではないかと推測していた青年。

 予想に反して然程荒々しくはない相手の気さくな語り口に意識を改め、続いての聞き話し。



「……それで? 何か俺に"用件がある"みたいだが」

「あっ、はい! そうなんです。実は……貴方に"お願い"があって今日はこの場所を訪れて……」

「"願い"、か……いいだろう」



「俺も丁度、話し相手が欲しかった所ゆえ、聞き入れるかどうかは兎も角……一先ず話は聞こう」

「! あ、ありがとうございます……!」

「なに、お互い時間はたっぷりあるのだ。礼をかしこまる必要もない」




「——して、その"願い"とは一体……?」




 側で控えるアデスが岩の影、雪上に描かれた"格子"とその中の囲いに置かれた"円形や四角形の小石"の数々——『遊戯』の類を黙して見つめる中。

 女神ルティスは男神プロムに自らで本題を伝え始める。



「は、はい。その願いは『貴方に裁判長の役目を頼みたい』——というものです」

「……"さいばんちょう"」

「そうです。近々行われる予定の裁判に貴方……プロムさんが、その……必要となる権威? の象徴的な役で出廷……」

「……」

「……出席をしてもらえたら、大変に嬉しいのですが……ど、どうでしょうか?」



 良く知らぬ神を相手に、びくつきながらの問い掛け。

 未だ感情の沸点や逆鱗の存在も不透明で。



「……ふむ。"この身を何処かへ移させて貰いたい"、と言うのは分かったが……」

「……」

「それで、『さいばん』とは——"何を指すもの"だ?」

「あっ……」



(……そこからか)


(どうしよう、何処からどう、説明を……——)



 この後に諸々の調査活動が控えている女神。

 恐れの中で早くも一杯一杯、瞳で星の形さえ回り始めてしまうが——そんな水神へ、"助け船"。




「……それについて、詳細は"私から"説明を」




(!)



 "最低限の主題は伝えられた"のを見届けた恩師の女神。

 まごつく弟子を差し置き、割り込んで話を継いだアデスが内容の補足を担ってくれる。



「此処で女神の言った『裁判』とは——衝突する物事や主張のせい不正ふせい……理非りひを極力明らかなものとし、最終的には権威が下す判断で以って論理的に問題の解決を図ろうと言う行いであり——」



「その定義に細かな差異こそあれ、人間の社会では大都市を中心として既に制度の運用も開始されているもの。つまりは、者と者の間で起こる衝突や摩擦によって生じる不利益を回避しようと試みての——」




「"一定の拘束力を有した決定や命令"の事を——今は『裁判』と呼んでいます」

「……それはもしや『罪』や『罰』がどうのを議論したり——ともすれば『有罪!』、『無罪!』……と言ったような?」




 対するプロムがしたのは、縦に長い紙を上下に広げるような動作——判決を伝える速報的な動き?

 それを見るからに成る程どうして、山脈の頂上に住まうとはいえ長命博識の神は神。

 この男神も"裁判"について全くの無知ということもないのだろう。



「……既に幾らか見知っている様子。であれば、話も早く。貴方の見たそれも恐らくは、"裁判"と捉えて大きな間違いはないでしょう」

「……ふむ。大まかな理解は得られたが——その執り行うおさ、"主催のような役割を俺に"?」

「然り。……我が不肖の教え子、女神ルティスの目的が為。就きましては男神に判定を下す裁判の主催——先述の『裁判長』の役をお願いしたいのです」

「……成る程。確かに『光の長子ちょうし』とも呼ばれるこの身であれば、人を従わせる権威・神威として相応しくはあるのだろうが……」

「……お引き受け、願えますか?」

「……うーむ」



 対面の女神と比べて二回り以上も体格で勝るプロム、腕を組み——擦れた枷同士が音を立てる。

 アデスの言葉に対しても"即決"とは行かないようだが、果たしてどうか。



「……ん? 聞いた限りではその裁判とやら『神が"態々"人間を判定する』ようだが……言い出したのは?」

「私ではありません。女神ルティスです」

「……身勝手且つ我儘な神々われわれが取る手段として、一聞では"回りくどい"ようにも思えるが……教育の方針で?」

「いえ。私の方針とは然程に関係のない場所で、女神がおのからに辿り着いた結論です」

「……"ほう"」

「私も若い世代の感性について詳しくはないのですが……心の内に『そうすべき』と考える理由があるのでしょう」

「……『己でなく、第三者に公正な判断を求める』とは……これまた、"個性豊かな神"である」

「左様。そうでしょうとも。彼女は"水際立みずぎわだつ新たな世代の柱"であると……私は、確信をしていますので」



 得意げ、誇らしげ、鼻高高はなたかだかとアデス。

 小玉体は気持ち慎ましやかな胸を張るが——どうなんだ、それでいいのか。



「……ふむ。であれば、我が知友——"知識の神"と併せて"未知の女神"とは『知の三柱みはしらなどと、そう呼ばれるよしみもある」

「……ならば、お引き受けを?」

「うむ。何より俺も"興味が増した"」



 それで良かった。

 結果として話に興味を示した男神は好意的な反応を返すのだ。

 問題はない。



「今までに前例のない試みへ、何より好奇心を抑えられそうにない」




「よって、その願い——"聞き入れるにやぶさかでもない"ぞ」




「——! ほ、本当ですか……!」




「——あっ。その前にアデスさん。色々説明してもらってすみません。有難うございました」

「構いません」



 そうして、気色満面で会話に戻って来たのは、黙って推移を見守っていた青年。

 横のアデスへ向かって控えめに頭を下げて、確認を取る為に再び男神に向き直る。



「では、本当に……引き受けて頂けると?」

「あぁ。本当だとも。"知恵の神"は巡らせる知略で世界を変えんとする者は嫌いではないが故——裁判長とやらの務め、引き受けるのもいいだろう」

「あ、ありがとうございます……!」

「果たして、女神が知によって如何な恩恵を掴み取るのか……確と見届けさせてもらおう」




「……と言った所で、あれだが」

「?」

「そちらの願いを聞き入れる"対価"として——"俺の願いも叶えてはくれないだろうか"?」

「えっと、それは……内容にもよりますが……」




 向き直って一転、喜びから泳ぐ目。

 今の彼女が持つ資金や資材は殆どなく、"神の裁判長"に見合った報酬を言われたままに用意出来るとは彼女自身でも思っていないから——女神はあからさまに浮かべる、動揺の色。




「……なるべく、簡単なことだと助かり——」

「その責任も私が負いましょう」

「え"——アデスさん??」

「裁判の発案は兎も角、この場所に貴方を連れてきたのは私です——この場で発生する対価についても私が負担をします」

「……本当に、いいんですか?」

「はい。指導への必要経費のようなものですので」

「……有難う御座います」

「お気になさらず」




(……何かまた"紐"みたいで心苦しいけど、今はお願いするほか……ない)




 慌てていた青年、またも的確な時期で助けられ。

 既にじゅうの面で養われながらに生活を続けている彼女を余所よそに。




(本当に御免なさい、アデスさん)


(この借りも何時か、必ず——!)




 神々の交渉——新たな局面へと差し掛かる。





「では、男神プロム。お聞かせ願いましょう」






「貴方という神が求める——"願い"、とは?」




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