『第五話』
第三章 『第五話』
「では、次に戦争回避の具体的な方法——"問題の解決策"についてを考えていきましょう」
大まかな現状分析を終え、淡々と述べる女神によって議論は次の段階へ。
「——『此度の戦争危機を回避する為にはどうすれば良いのか?』」
「……既出の情報から考れば、先ずは一つ。その"単純な方法"が『貴方にも思い浮かべられる』と思いますが……女神?」
「それは……『損害を賠償する』こと、ですか?」
「そうです。現時点では恐らく、アルマという族が武力行使に踏み切るのは被った損害への賠償が成されなかった場合のみ。即ち失われた"もの"の命と等しき……若しくは価値の近しき物品を補填する事で、事態は穏便な終息の目処が付くかもしれません」
(……"命と価値が釣り合う物")
"戻らぬもの"、"替えの利かないもの"。
"失われた命"と『価値』のお話。
「……
「されど今は『豚の一頭をどの様な存在と捉えていたか』、"当事者達の認識価値"こそが重要であり——人間にとっての家畜とは如何様な物か——どの程度を知っている? "女神"」
「……少しだけですが、こう聞いたことはあります——」
「——土壌が痩せている地域では作物の安定した栽培が困難なため、そうした地域でも生活に必要な各種物資を直接……若しくはその畜産物を扱っての取引などで間接的に供給してくれる家畜は——"とても大切な物"だと」
「……」
外目からでは確認が困難な程に微細な動きで目を細めるアデス。
やはり彼女の眼前、青年は"人の領分"で既知の振る舞いを見せ続けていた。
「……概ね、その認識で今は問題ないでしょう。ですが補足するならば——」
「それ故に家畜は——時に"金銀財宝をも凌駕する価値のある物"として、また人の営みになくてはならない"生活必需品"としても
「その齎す利を目的とした奪い合いで衝突が起こるのも、決して……珍しくはないという事です」
「——ですから降って湧いたよう急に思える今回の一件も、大まかな流れだけを見れば強ち"不合理"とも言い切れない背景事情があります」
「……それは、はい。俺にも二つの勢力が険悪な雰囲気になる理由自体は分かって……しかも、今回の豚は——"只の家畜じゃない"」
無意識的に恩師を真似て、左右が異なるだけの手を口元に寄せる仕草——鏡合わせのような姿勢となって、青年はアデスがした説明の続きを担う。
今日は朝から惑うことのあった思考は指導者の冷淡な声色によって程良く冷まされ、感情の制御や論理的な考え方が導出されてもいるから——頼りを身近に感じる安堵の心で——上手く話すことが出来る。
「通常の家畜、豚の一頭なら……同程度の大きさや年齢、性別の豚を
「察しの通りだ、我が弟子。此度に落命したのは
「唯でさえ身に負わされた"呪い"が故に各地を追われ、同地に辿り着いた彼女達。神威を損なわれれば
「そうなれば、今よりも"軽視の
ヒドゥン山脈一帯の秩序を保っていたアルマが"神威という後ろ盾"を失い、更には
果てには『神の血を引く』という由来にさえも"疑問が投げかけられる"だろうことは想像に難くない。
(そんなに大切な……命の替わりになる物を用意するなんて……どうすればいいんだ)
(変わらずルティシアは疲弊していて……勿論俺にだって、当ては…………)
今の自分が動かせる物について想いを馳せる。
最もそれらしいのは"自分"、女神の存在、玉体そのもの——かもしれないが『供物に成りたくはない』ので、その案は優先度の下の方で保留。
次に思い当たった一瞥する右の腕輪や蓑や、荷物入れの袋——二度までも贈り主に失礼を働こうとした自身を恥じ、これら案も下部で保留。
行き詰まって、思い悩む。
(……なら、"彼女に"……)
「……」
(アデスさんに何とか"立て替えて貰う"のは……——)
「……何か?」
「……いえ」
(——駄目だ。お金にするとしても途方も無い大金で、何より只でさえ多くの恩がある彼女に今度はお金まで無心するなんて……流石にそれは……)
(……それに、お金の貸し借りで成り立つ関係には……なりたくないし、だから今は
「——……少し、考えさせてください」
「……」
(……でも、今がそうも言ってられない状況なのも確か。彼女と一通り議論した上で他に現実的で有効な策が思い当たらなかった場合は……頼み込むことも視野に入れておこう。土下座をしてでも)
夜空の星めいた輝きを内包する神の瞳——向き直った先の恩師へ求める助言。
「……そうすると、賠償を払っての事態の解決は……極めて難しい?」
「……替えが利かぬものと等価値の物を見出して、その用意が困難を極めるのは……一つの事実と言えるでしょう」
「……」
「他の方策も検討をしてみるべきかと」
「……」
(他の……戦争を回避するために必要な……物事)
青年は考えもそうだが息も詰まるような思いで——"軽率"に、"安易な策"を口走りかけてしまう。
「だったらやっぱり、"話し合う"——"話し合い"です。ルティシアとアルマの間で機会を設けて、話し合って何とか、平和的に解決を……」
「……アルマは理由があるからこそ、会談もせずに強硬な態度を取っているのです。都市側が要求に応じなければ、"歩み寄る"のも難しいでしょう」
「……そ、そこをなんとか、"鶴の一声"でどうにか……」
「……鶴とは誰だ」
「ア——」
「……」
「"………………"」
静まり返る周囲世界。
川のせせらぎさえ何処かに持って行かれてしまった静寂の中——"無言の非難"。
「……」
「"…………"」
(……こ、こんな時ぐらい助けてくれたって、"甘やかし"には——)
「"……"」
「……いえ……また少し、自分で考えてから発言します」
(——……考えよう)
尚も降りかかる無言の圧。
心で悪態を吐くよりかは考えるべきとして、暫しの熟考。
(最悪の場合でも正直に『お手上げ』だと言えば……怒られはしない)
(だからその前に今は……極力、考えを止めてはならない)
実際の戦争をその目で見たこともなければ、身をもっての体験も当然にない者、青年。
素人に短時間での良案を考え出すことが困難だと分かってはいても——しかし、退っ引きならない現状を打破する為、知恵を絞る。
足踏みをして再びの犠牲者を出すような結末は『二度と見たくはない』から。
(……でも、どうすればいいんだ? 今話した通り、賠償は困難で……)
(——いや、そもそもの事の発端に不明瞭な点が多すぎて……分からない)
(今日になっていきなり戦争の話が持ち上がって、アイレスさんも姿を消して……分からないことだらけ——)
これまで二度の災害を対処療法的に乗り越えて来た女神——彼女にとっての今は、三度目を未然に防ぐことが出来るかどうかの"瀬戸際"。
『良かれと思って成した己の行動が、却って多くの犠牲を出してしまうのではないか』——と、計り知れぬ重圧を不安定な精神と華奢な肩で感じながら、権能の行使。
(だけど——"考えろ")
水神としての、水を操る権能。
外に滲み出かけた水を目の奥で
(——俺だけの力で数百人を救う、守りきるのは殆ど不可能に近い。"一つの命"さえ
(現に今だって、人じゃないとしても掛け替えのない命が一つ……既に失われた——)
(——その現実を踏まえた上で、今の俺に……"出来ること")
水の流れが滞るような——心で
(そうなると……やっぱり、俺に疑わしく思えるのは——本当にアイレスさんがその豚を殺したのかどうかだ)
(彼女が意図的に、"故意にアルマの大切な家畜を殺した"とは……考えにくい)
(初めて俺がルティシアを訪れて体調を崩した時に詳しい訳も聞かず、誰とも知らない相手を助けてくれる彼女だ。その彼女が明確な殺意を持って友人の属する集団に不利益を与えようとは……思っていない筈)
(だったら、どうして……"事件はどういった風に起きた"のか……?)
澄んだ思考の中で再度、事件のあらましを回顧。
善良な少女の浮かべる"あどけない笑顔"を隅に、人を遥かに超える速度で女神の思考回路は活動を続けて、その集中の、その先。
これより、諦めない青年が新たな策に至るまで、
(それだけじゃない。一連の流れには他にもはっきりしない——"不可解な点"がある)
(というのも——つい先日までルティシアに友好的だったアルマが何故、急に"あんな態度"を? あっちには何か、都市の責任を問える明確な証拠が本当にあるのか? それがあるとすれば権力者だけじゃなく民衆にも、"被害を受けた事実"を大々的に示せばいいのに……)
(何か……回りくどいような、"強硬に徹しきっていない"感じがする)
『ルティシアに非があったとして何故それをアルマは明らかにしないのか』、『言葉少なめに態度を急変させたのか』——広がる視野で拾う、疑問の数々。
(しかも、戦争なんて大なり小なりリスクのある決断を下すには"余りにも早急"な印象で……理に適った筋道が見えてこない)
(……アルマの方にも何か、また別の複雑な事情がありそうだけど……だとしたら、それは一体——)
「……」
「——」
黙する白黒女神の前で良く良く考えに勤しんで。
続ける推測、推論の構築——推理の波で感情を押し流して。
(——……これは、今考えても分からない。アルマの方で何かが起こっていたとして、それに関する情報を今の俺は持ち合わせていない)
(だから、今はそれよりも別のこと……発端となった事件に『アイレスさんが本当に関わっているかどうか』を中心に、"起こった事実"を調べるよう……考えて——)
そうして、遂に。
(——……"待てよ")
冷静の状態を取り戻しつつあった青年の思考に——閃きが走る。
(そうだ。何も、"アイレスさんが本当に殺してしまったという証拠はまだない"んだ。俺も、都市の人々も半信半疑の状態で——)
(それなら——『アイレスさんがやっていない』"と明らかに出来れば")
(責任の所在をちゃんとハッキリさせた上で、そのように——彼女や都市が過度に責められるようなことはなかったと、両勢力の関係者の前で『証明』ができれば、あるいは……)
必死に組み立てる理論で、描く——新たな方策への道筋。
(戦争だって——"回避できる"かもしれない……?)
輝きの灯り始める眼差しで師を見つめ、だがその前に伝えるべき——"己の伝えたい考え"を今一度に整理。
(……まとめよう)
(今日——いや、昨日。『アルマにとっての貴重な命を損なった疑いでアイレスさんが拘束された』)
(そして、その『受けた損害に対してアルマは賠償を請求』、『これが受け入れられなければ武力を行使する』と言い残し——)
(でもそれは、到底——『ルティシアの側に受け入れられる内容ではない』)
(緊迫した状況で、事態はそのまま平行線の一途を辿っているのが……今だ)
整理し終えて、『今のそうした状況に適している』と思う策を言語に起こして行く。
(……だとすればやっぱり、今は話し合うべき状況だ。双方が納得の行かない以上、それに変わりはない。不明瞭や不可解の点を良く調べてから改めて、じっくり話し合いをして——)
(——だけどそれでも両者の対立に終わる気配がなく、加えて"主張が食い違う"、そんな時には……"中立的な判断"が欲しい)
("両者を従わせるだけの力"、"それを持った第三者が公平に下す判断"が必要なんだ)
不明瞭な事件と衝突する主張。
それらが介在する状況で取るべき手段——『行われるべきは何か』を、元人間の彼女は知っている。
(だからそして、そのために"開かれる場"は)
(行われるべき手続きは——)
傍聴も出廷も未経験なれど、学校で最低限の教育を受けた青年は知っているのだ。
社会の関係における利害の衝突や紛争——。
それらを解決・調整するために、"一定の権威"を持つ第三者が下す——"拘束力のある判定"を。
その表す語を、名を、概念を——既に知っていた青年は。
「……だったら——です」
「……?」
「だったら——『裁判』です」
"己"で高らかに——女神に対して宣言をするのだ。
「裁判で争いを、戦争を——"回避"、してみせます」
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