『第四話』

第三章 『第四話』



(アデスさんは————)




(——"いた"……!)




 大地を滑り、時に跳び、森を抜けて神体の近くに到着。

 視界には川辺で立つ漆黒の影——髪を弄る小玉体。

 その恩師の姿を認めた青年は浮かべる表情を薄曇りの空と対照的な晴れ模様として、急いで身近に寄る。



「——アデスさん! す、すいません。遅れてしまって……」

「……定めた時刻を守ろうとする姿勢と日頃の行いを評価して、最初の一回は不問とします。以後、気を付けるように」

「は、はい。ごめんなさい。今朝は少し……色々あって……」

「……心が波立っている様子。水面みなもに落ちる憂いごとでもあったのでしょうか?」



 すると、恬然てんぜんの女神。

 アデスも向かい合う弟子と同じくに頭巾を払い、露わになる真紅の冷たい眼差しで慌てる青年の様を眺め、聞く。



「そ、そうなんです。本当に色々あって、俺……どうしていいか、分からなくなってしまって」

「……」

「それで今、"頼りになるアデスさん"なら何か助力……助言をしてくれるかもしれないと思って、急いで戻って来て……」

「…………先ずは落ち着け、女神。言葉とはただでさえ煩雑の代物。要領良くに纏めなければ貴方の意思を表してはくれません」

「……」

「己の考える所を私に伝えようと言うのなら、どうか冷静に……"紡ぎ出せ"」

「……はい」



 思考の行き詰まりを抱えていた若者を宥め、それに従って青年——人の生理活動とはおもむきの異なる形式的呼吸を意識。

 間を置く数秒で内なる水の状態を穏やかな状態に戻した後、先刻に見聞きした変事へんじについてをつまびらかに話して明かす。



「……では、貴方の速度で構いませんので、話を」



「私が『貴方の力になり得るか』、更には『力を貸すべきか否か』の判断は……"その後に"」

「……分かりました」




「……そしたら早速、説明します。どれも伝聞が含まれる内容で、信憑性についてはハッキリとしないのですが——」




——————————————————




「——ふむ」


「貴方の説明を纏めれば、つまり——」



 一通りを話されたアデス、口元に手をやる仕草。

 青年の集積した断片的な情報を纏めて彼女が述べるのは、その纏めた"概要"である。




「——牧畜と傭兵を生業とする民族集団アルマ。"ある神"の血を引くと言われる彼女達の、その高貴の証とも言える神威の象徴——"黄金の豚が都市で命を落とした"」


「そして、結果として被害を被る形となった側は——それを成した——"殺害した"のは都市に住まう一人の少女だと主張し、その身柄を拘束した後、自分達の里へと連行」


「また延いては都市に対しても責任を問い、損害に対する賠償を要求。支払いに応じなければ武力行使さえ厭わない構えである」




「……そう言った所でしょうか?」




 事のあらましを述べ終えて、確認で流す視線。



「……大体は、そうです」

「……ふむ」

「俺が直接に異変や事件の起こる瞬間を目にした訳ではありませんが、都市の有力者や巫女の人たちは実際に焦っているようでしたので……強ち真っ赤な嘘でもないと、思います」

「……」



(……一般の人の間では噂話程度で危機感はあんまりなかったけど……あれだけ騒ついていたんだ)


("全く何もない"というのも変で、現にアイレスさんの姿は……都市にはなかった)



 アデスに対して肯定を返した青年は賢者の助言を待ちわびて、その間も焦燥の心は"目下最大の懸念事項"である『少女の安否』についてを考える。



(……アルマの方には彼女の友人であるリーズさんもいる筈だから、『酷い目には遭っていない』……そう、思いたいけど……)



 けれど、考えるほどに憂いの色は濃くなるばかりで。



「……概ね、理解を得ました」

「……!」

「……軽率な行動に出ず、他者たる私に助言を求めたのは賢明な判断と言えるでしょう」

「それは……」

「私と議論を重ねる事で解決の糸口を見出すのも、貴方にとっては有力な選択肢となり得る」

「! それじゃあ早速、解決策を——」



 その憂いを晴らしてくれるかもしれない待望の助言に飛び付かん勢い——続く言葉で遮るのはアデス。



「ですが、その前に一つ。貴方に"確認"をば」

「……?」

「女神ルティスを信仰する者達が危機的状況に置かれている事は理解をしましたが、肝心の"貴方自身"は——それを"どうしたい"のですか?」

「俺自身が、どうしたいか……?」

「はい。事態の解決を図るにしても先ずは"目標"とする所が必要です」



(目標……)



「一口に解決、問題の解消と言っても方法は数多く。故に参考として貴方の意見を聞き、その"理想とする状況"を暫定的な目標として設定、議論の軸ともしたいのです」



 仮的なものとはいえ指導者の役を担う女神。

 そうして教え子に深い思案を促し、返る言葉を待つ。



「それなら、俺は……」

「……」

「少しでも……悲しい思いや苦しい思いをする人がいないよう、"事態を丸く収められれば"と思います」

「……」



 そうして、青年。

 抽象的な意見ではあるが己の見解を一先ずは伝えて。



「……貴方の言う『丸く収める』とは、それがどういった範囲をすのか、私の立場では推察する他ありませんが——」



 目を伏しての黙考を挟み、開かれる女神の小さな口。



「……察するに、"円満的解決"——即ち"武力的闘争を起こすまい"と、此処では『戦争の回避』を一つの大きな目的にすると……そうした認識で相違はありませんか?」

「はい。貴方が言うように『戦争を起こさない』のは勿論重要で……後、アルマに連れて行かれた『少女の安全を確保する』ことも——俺にとっては重要です」

「……分かりました」



「……であれば人間の少女、その安全を確保する事も目標の一つとして設定し……加えて安全それは、戦争の回避が実現できなければ元も子もないと思われますので——"こうしましょう"」



 左手の人差し指、次いで中指の順で——アデスは二本の指を立てて見せる。




「女神ルティス。貴方が何としてでも達成すべき"大目標"として——『戦争の回避』を」


「そして、大目標それが達成された場合の次なる"小目標"として——『少女の安全の確保』」




「——以上"二つの目標"を議論の軸として話を進めて行きたいと思います。宜しいですか?」

「はい! お願いします……!」




 そうして、向かい合う師弟は頷き合って了承の意を表明。

 黒と白という対照的な髪色が映える川景色、都市が抱える問題の解決を目的とした——女神たちの議論が始められる。



「コホン——であれば今一度、簡単な現状分析から」



「現在、対立状況にあるのは——同じ山脈周辺に居を構える民族アルマと都市ルティシア」


「対立の原因は——アルマが神から賜った黄金の豚の損失」



 暗い赤の眼光が言外に聞き手の青年へ拝聴と思索を求め、それに対して適宜返される相槌。

 女神アデスは"頼みきり"を許さず、教え子にも一定の積極性や自主性を期待して、投げる問い。



「ではそこで、仮にこのまま状況が悪化——ともすれば事態が開戦と相成った場合……貴方の気にかける都市はどうなってしまうのでしょうか?」

「……ルティシアはこの半年で既に二度の災害を経験しています。なので、一度目の神獣襲来の際に戦える者の多くが負傷してしまったことや、病を経て人々の栄養状況が未だ芳しくないことを考慮すると……もしも戦いが始まってしまえば、"敗北は必至"かと」

「……然り。付け加えて、対するアルマは牧畜の他に傭兵も生業とする戦闘に長けた民族。彼女たちと都市が武力で衝突をしたのなら、両勢力の内どちらが勝者、敗者となるのかは——"火を見るよりも明らかなり"」



 思う正直な返答の次、疑問に感じていることを質問。



「……質問なんですけど、アルマの人たちの戦いって……負かした相手を全員……子供も含めて皆殺しにしたりは……しません、よね……?」

「……先の事です。断言はできませんが——」

「……」

「私の知る限り——これまでの彼女達アルマが鏖殺をしたという事実は存在しませんので、その可能性は今も低いままであると思われます」

「……」

「また、彼女たちは戦いの場を選ぶだけでなく、戦闘員と非戦闘員を区別する統制の取れた者達でもある。……故に、戦う意志を持たぬ者への一方的な攻撃についても同様の事が言えるかと」



(取り敢えず、最悪の可能性が一つは薄まった……はず。後は——)



「……答えてくれて有難うございます。後、もう一つの質問もいいですか?」

「——」



 切迫した状況が状況であるが故の不安の疑問はなるだけ早くに此処で解消しておこうと。

 遠慮がちに挙げた右手を高くしたまま続ける質問は——手振りで容認の意を示した恩師へ。



「戦争になれば傷付く人が出て……多くの悲痛や憎悪が生まれしまうと思いますが——」

「……」

「そこには当然……も……"いる"んですよね……?」

「……」



 それ、"言うに及ばずの第二の質問"。

 しかし、青年にとっては——"確認せずにはいられなかった重要な確認事項"。

 "諦念"が大部分を占める彼女の心で、しかしそれでも"己を奮い立たせる為"に改めて問う。

 少なからず戦争が齎す結果とは——"何か"を。



「……アルマ、ルティシアのどちらか一方に限らず、戦争が起これば少なからず従来の生活が立ち行かなくなる者と、そして何より——"死者"の出る可能性は極めて高いと言えます」

「……」

「勝利して得られるものはなく、また敗北して失うものもなく……それでは何の為の争いか」

「……そう、ですよね。変なことを聞いてしまって、ごめんなさい」

「……構いません。私も非難をしている訳ではありませんので」

「…………」

「……」



 そして、燃料は得られた——発奮に要する材料が。

 また新たに薪は焼べられ、泡立つ心に痛い程の熱を覚える女神。

 一時、彼女は視線を師から背け——今も変わらず流れ行く神体たる"渡りの川"へと目を向ける。



(……それに、直接的な加害、被害だけじゃない)


(戦争になれば限りある物質は戦う人たちに回されて……戦うのが困難な人たちは……)



 状況が苦しくなれば早くに切り捨てられるであろう、戦場とに位置する者たちを思う。

 高齢者や年少者、病や怪我を抱える者たち。

 彼ら彼女らは例え幸いに戦火から逃れることができたとして『皺寄せの苦しみはどうなのか』と——やはり『少女たちに涙を流させまい』と。

『その体を未だ川に流させてはならぬ』と。



(……させない。ルティシアの人々にもアルマにも——"そんな思いはさせたくない")




(そんなこと——"絶対にさせてなるものか")




 戦争という新たな理不尽に逆巻く水、青の神気。

 怒りにも似た感情で、けれど何より悲痛に流れる涙の光景を『自分がもう見たくない』と——決然の眼差しで師へと向き直る。




「……質問は以上ですか?」

「……はい。話の続きを、お願いします」




 多くを失ってしまったことによる"心の傷"。

 塞がらぬ、その深い海溝の如き傷口より溢れる『痛み』こそ、断絶を経た今になっても青年を激しく突き動かす——"女神ルティスの原動力"なのであった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る