『第三話』
第三章 『第三話』
都市を一望する丘の上。
遮られることのない風が勢い良くに吹き付ける中、足取り確かに進む者。
(——着いた)
緩やかな斜面を登りきった青年、その眼前には聳え立つ石造りの神殿。
今朝から漂う都市の異様な気配を察し、『二度あることは云々』で恩人である少女たちの無事を祈る女神は情報収集を主な目的として同地に至る。
(働く人が控えているのは……確か、あっちの建物——)
斜面を駆け上がったというのに呼吸を乱さず。
当然に息つく暇も必要としない彼女はそうして——此処でも輪になって話し込んでいる幾人かを横目に進行を再開。
神妙な面持ちを維持したまま神殿の側に建てられた、丁度に
そうして数秒と経たずに中へ踏み入って、直ぐに内部を見回す——煌めく神の黒の瞳。
(——アイレスさんは……何処だ)
出入り口で他社の邪魔にならないよう横に寄って、見遣る——その内部。
そこでは大方の予想通り、主に神聖な白装束に身を包んだ人間たちが——石机に向かって動物の皮を素材とする紙になにやら金属を擦り付けたり、火の灯る炉の周りで供えの食物を調理したり、また少し離れた場所で儀礼に用いるであろう"葦"の植物を編んだり。
ここは神職の者たちが
(……一目見て無事と分かれば、それだけでも——)
「——あっ! "旅のお姉ちゃん"だ!」
「……? 俺のこと……? ——って、君は"アイレスさんの弟"の……!」
怪しくもその社務所の中に入って直ぐの場所で足を止め、眉根を寄せた険しい表情で頭を回していた青年——不意に聞こえた声の主を探し、視界の隅から近寄ってくる小さな人型に見覚えがあることに気付く。
「オリベル——
「はい! こんにちは! ルキウス……さん?」
「あ、あぁ……こんにちは。はい。ルキウスです」
(……?)
「自分——"わたし"は、君にもその名前を教えてたっけ……?」
「ウチのお姉ちゃんから聞きました。お姉ちゃん、『またルキウスさんから美味しい物を貰っちゃった』って喜んでたので……えぇと、だからお礼を言わないと——どうも、ありがとうございました」
「こ、これは、ご丁寧にどうも。此方こそ、何時も君のお姉さんには——」
(——いや、今はそうじゃなくて——)
「助けられてる、けど——そのお姉さん、『アイレスさんが何処にいるか』……分かる?」
先ずは一人、少女の弟という知人の無事を確認出来たことで綻びかける表情。
けれど、直ちに本題を忘れず口頭で切り出した青年は凛々しい顔つきを維持したまま膝を折って——少年に合わせた目線の高さで話を聞く。
「はい……! お姉ちゃんは今——『お友達と一緒に外へ遊びに出掛けてる"みたい"』です」
(『みたい』……? 伝聞のような——)
屈託のない笑顔を前に浮かべる、それと対照的な合点のいかない顔。
(——いやそれより、『お友達』……は恐らくリーズさんのことで……『外へ遊びに』……それは、"仕事"ではなく……?)
少年と居住区の人間から聞いた話とで僅かに生じる『食い違い』は一層に心を逸らせ、間を置かずに晴らそうとする疑問で口を開きかけるが——しかし、また別の人の声。
「——オリベル! 勝手に知らない人の所に行っちゃ駄目だよ。アイレスから貴方の世話を頼まれたんだから、もし貴方に何かあったら私……お姉ちゃんに顔向け出来なくなっちゃうわ」
発声を遮られて、しゃがむ青年の見上げる先。
そこに居たのは栗色の毛を持つアイレス——ではなく、初めて目にする黒髪の少女が足早に此方へと歩み寄って来る。
(一瞬、アイレスさんかと思ったけど……違う)
「あっ、ごめんなさい。"イレーヌ"お姉ちゃん。……でも、この人は知らない人じゃないよ」
「そうなの?」
歩み寄って、視線の合った青年と交わす簡単な会釈。
「——初めまして。えぇと……貴方は?」
「は、初めまして。自分はアイレスさんの知り合いの……旅の商人をしているルキウスと言います」
「アイレスの……」
「……でしたら、私の方も一応の紹介を。私もアイレスの知人で、このルティシアで巫女を務めさせて頂いている『イレーヌ』と言う者です。以後、お見知り置きを」
「は、はい」
「それで、ルキウス……さんは今日、どの様なご用件でこの場所に?」
「それなんですが——」
「ルキウスさんはアイレスお姉ちゃんに会いに来たみたいだよ!」
頭巾を上げながらに話そうとした青年に先んじて、オリベル少年が訪問の理由を言う。
「アイレスを、訪ねて……?」
「はい。特にこの場所で何かをするという訳ではなく、商売で近くまで来たのでアイレスさんの所に顔を出そうと思ったんですが……どうやらご自宅にも此処にも不在のようで——」
低くしていた腰を上げ、取られた台詞を補足する形で事情を説明。
『外に遊びに出ている』、『少年を預かっている』のような先の人間たちの発言から——"現在地にも目的の少女たちが居ない"であろうことを察する中、次の考えでイレーヌに聞こうとする詳細。
「……」
「——弟さんの話によればアイレスさんは『外に出ている』とのこと」
「……ですので、差し支えなければその場所と……可能なら何時ごろお戻りになるのかを教えて頂ければと思ったのですが……」
「……分かりました。それについてはお教え致します」
「! 有難うございます」
「ですが、少々お待ちを」
「あ、はい。それは勿論。お忙しい所をすいません」
件の少女を知る人間に承諾を得られて、漸く不安の足取りを掴めるか——"といった所"。
「——オリベル。ちょっとお姉ちゃんたち、『難しいお話』してくるから裏で待っててくれる?」
「はーい!」
「いい子。すぐ行くから、またどっかに行かないでね」
「分かったー! それじゃ、ルキウスお姉ちゃんもまたね!」
「……また」
(……"難しい話"?)
アイレスの話をすると言うのに弟を別の場所に移す意味が分からぬまま、走り去る少年に手振りを返して。
「さて……では、ルキウスさんは此方に」
「は、はい。あの……難しい話とは……?」
「……それについて、今からお話します」
(……なんだろう。また……嫌な感じ)
支柱の後ろ、人気のない暗がりに向かうイレーヌに従って立ち位置を変える青年。
直後、不穏の色を濃くする心でまた巫女である少女の深刻な表情を目の当たりにし、己も似たような顔付きで以って本題を切り出す。
「——それで……アイレスさんはいつ、お戻りになるんでしょうか……?」
「……その時期についてなんですが、実は——"私にも明確なことは言えない"のです」
「……? でも、先程は弟さんを彼女から預かっていると……それなら、遊びからいつ戻るかも本人から——」
不明瞭な返答で、益々に濃くなる不安。
雰囲気の変化に気付いた先から現実味を帯びて行く"嫌な予感"は——。
「……いえ、単刀直入に言って——アイレスは都市の外へ遊びに出かけた訳ではありません」
「……それは……どういう……」
今此処に——"的中"を始める。
「"アイレスは山の手に住まう民族——アルマの者たちに同行して
「……それはまた、どうしてですか……?」
(……此処でも『アルマ』……まさか、本当に何かが……?)
向かい合う黒髪の乙女。
青年の眼前、沈痛な面持ちの少女イレーヌによって語られる以下の——"事実"。
「私もハッキリとは"伝えられていない"のですが……」
「……」
「……ルキウスさんはアイレスの友人にしてアルマの一人である少女——リーズのことはご存知でしょうか?」
「は、はい。以前に一度アイレスさんの家でお会いしましたが……彼女と何か、関係が?」
「……はい。と言うのも実は昨日、突然に彼女が知人である私の下を訪れ、こう言ったのです——」
「——『アイレスを私たちの里へ連れて行く。その間、彼女の弟を頼む』……と」
「……それが遊びに行くのとは違うなら、理由は一体……」
「私も気になって詳細を尋ねました。するとリーズは続けて——」
「——『アイレスが私たちアルマの大切なものを損なってしまったかもしれない』」
「……と、そのようにだけを言い残して、彼女はアイレスの弟を押し付けるように一族共々ルティシアを立ち去ってしまったのです」
(——アイレスさんが……アルマの大切なものを損なった……? 『壊してしまった』ってことなら、その責任を問われて……外へ?)
要素と要素とが線の繋がりを見せ、危惧に早まる神の律動。
(そんな……突然過ぎる。そうまでしないといけないって、そのアルマの大切なものは一体……——)
(……『アルマ』、『損なわれたもの』…………"まさか"、『賠償』って——)
広場で耳にし、拾い集めた異変の噂話までもが"妙な噛み合い"を見せての今。
「……待ってください。その、アイレスさんが損なってしまったかもしれない……その『大切なもの』と言うのは、まさか——」
青む青年の確認に対し、イレーヌの口から語られる——『少女が損なって失われたアルマの大切なもの』とは。
「……はい。既に噂は耳にしているようですね。ルキウスさんは前にアイレスから聞いた彼女の関係者のようなので先にお話しておきますが——」
「恐らく貴方の予想通り——アルマは『アイレスが彼女たちの神威の象徴である黄金の豚を害した』と現在、私たちの都市に主張し、併せてその"損害賠償"を要求しています」
「そしてまた、その要求が受け入れられなかった場合……"強硬手段"に出るとも」
大変な事件が起こって、それに恩人の少女が巻き込まれたという受け入れがたい事実が——目眩となって青年を襲った。
(そんな……——)
「……先の二度の災害に続くかのような、大いなる者の意志さえ感じる新たな異変に事態は混沌としています」
「つい先日まで我々ルティシアの不幸を憂い、支援を約束してくれていた彼女たちアルマが碌に話し合いもせず刃を向けるような姿勢を見せるなど……にわかには信じ難いことです」
沈鬱悲壮に語るイレーヌの言葉は最早青年の耳に届かず。
すっかり色を失った女神は濡れ烏の総髪を大きく振って、柱に手を付いて。
「大丈夫ですか? 彼女を気に掛けてくれる貴方には嘘をつかず実状をお教えした方がいいと判断したのですが……申し訳ありません。宜しければ奥に空きの
「いえ、大丈夫です。……旅の疲れが出てしまっただけなので心配には及びません。お気遣い……感謝します」
「そう、ですか……?」
再度、意識が白く染まり始めた女神は何処か気の抜けた様子で返事。
言葉とは裏腹にその表情では虚ろな眼差しを覗かせて、混乱する思考を静めんと反射的に落ち着いた孤独の場を求める。
「……少し頭が痛くもあるので、外で風に当たってから戻ろうと思います」
「……」
「……大変な中、お話して頂き、ありがとうございました」
「いえ……。我らが女神は異郷の者も寛大に迎えてくださりますので、何かあればまた直ぐ、お申し付けください」
「……はい」
そして丁度、社務所の奥からイレーヌを呼ぶ声が届く。
「私も戻らないといけませんので、今日は此処で失礼させて頂きます」
「……アルマとの一件については此方で使者を出して詳細な話し合いを求めている所ですので、不安ですが……今は待つしかありません」
「……」
「その間も、アイレスの弟は私の方で責任を持って預からせて頂きますので、その点については御安心を」
「……お願いします。あの歳で独りは……寂しいかもしれないので」
「……はい。共に彼女と、都市の無事を祈って待ちましょう——」
「——では」
——————————————————
(…………どうしよう)
社務所の外で立ち尽くす。
視線の先では聳え立つ山々が朝の光を受け、その肌を白く輝かせていた。
(……ルティシアに起きた異変の正体はアルマの態度が急に変わったことによるもので、その原因は都市で彼女たちの大切な豚が死んでしまったこと……——)
(……そして、その豚を死なせてしまったのが——アイレスさん)
(……そんなことが、本当に……?)
頭を抱えて、青年は事態を振り返る。
(先ず、恐らく……彼女が豚を害してしまったとして、それはほぼ確実に"故意ではない"筈だ。優しい彼女がそんな、いきなり生き物を殺すなんて……とてもじゃないが考えられない)
(でも仮にそう……事故でそうなってしまったとして……それが理由で戦争の話まで持ち上がるなんて……"おかしい"だろ)
つい先日まで恩神たちとの食事を喜び、気の休まる時間に笑みさえ溢していた女神ではあるが、受け入れ難い情報を知ってしまった今では当然、顔には焦燥の影が差す。
(もういい、もういいだろ……この都市と、それに彼女たちがまた大変な目に遭うなんて、もう……——)
苦難の現実に打ち拉がれて、人目も憚らずにしゃがんで
(……
待っているだけでは何時かまた『大切なもの』を"取り零してしまうのではないか"と——"喪失"を極度に恐れる青年自身が今は己に立ち止まることを許さず。
(それなら……"考えろ")
腕輪の反射する輝きで心に熱を貰い、またしても焦る自分を客観視して——深呼吸。
(出来ることを……考えろ)
"独断で突っ込んで足を滑らせるような失敗はしまい"と。
滞っていた気の流れに意識を集中させ、体温的にも冷やす己で認識の範囲・視野を広く持とうと努めに努める。
(——『今の俺には何が出来る?』)
(——『誰の為に何をすべきなのか?』)
立ち上がり直して、神の視線——丘の上から見下ろす都市の姿。
不穏な噂話が立っても集住は集住で、囲む壁の内側では当然今も人々が生活を営んでいる光景が見て取れる。
その一部、広場に掘られた共用井戸で水を汲んでいるのは幼い少年と大人の女性——親子といった家族だろうか。
(……今、俺の中で問題になっているのは——この都市、"ルティシアが再び危うい状況にあるということ")
(そして何より——"アイレスさんが何かしらの事件に巻き込まれて、彼女の安否が確認できていないということ")
(この二つが当面の心配事で——そのどちらにも関係しているのが……"アルマ")
件の少女たちが向かった牧畜の民が居を構えているらしい山の方へと向き直り、自覚する
『自身が何をすべき』で『何をすべきでないのか』を言葉として導出しようと試みる。
(……ルティシアは使者を送ったみたいだけど、人の速度では往来にも結構な時間が掛かる)
(だとすれば……やはり、彼女の安否が心配だ。直接、俺が様子を見に行く選択肢は——)
(——いや、今は緊迫した状況だ。無闇に行動したら最悪の事態に……まだ半信半疑だけど、"戦争になってしまう"恐れもある)
(なら……どうする、どうすればいい……?)
だが、いくら頭を悩ませようとも元男子高校生程度の属性しかない青年に天才的閃きは降って来ず。
(——っ)
(いくらこの体を、力を手に入れたとして、こんな時は……どうすれば……!)
初めて直面する戦乱の危機をどうこうする知恵がある筈もなく、陥る——思考の堂々巡り。
(俺では、俺だけじゃ……どうしようもない)
(人の集団同士の対立なんて……争い以外なら、やっぱり——)
そうして、徒らに過ぎる時間。
本来ならば今日この後、見回りを終えた青年は川に戻って引き続き女神からの指導を受け賜る予定であったのだが——その"開始時間"までも今に過ぎて。
("話し合って"何とか——)
遅刻者の下に——"催促の黒い羽"が届けられる。
(————"!!?")
(うわっ——と、"鳥の羽"……!? 危な——)
見上げる空、"使いの黒鳥"。
(——いや、初めてだけどこれは……前に言ってた"警告のあれ"……! "遅刻を咎める"意味……!)
(つまり、"アデスさんを"——"待たせてしまっている")
同時に、煮詰まっていた青年が此処で漸く思い出したのは——"恩師が身近に滞在中"であるという事実。
(——待てよ。でも、"そう"だ)
(確かに今は俺だけじゃどうしようも……どうにもならないかもだけど——彼女なら……!)
怒られるかどうかという心配よりも、寧ろ残る希望への期待に目を見開き——慌てて急いで、丘の斜面を下って行く。
(俺よりも遥かに多くのことを知ってて、それに力も凄い彼女なら——)
(アデスさんなら、"もしかして"——!)
駆ける、突風のような速さで。
師である女神は再三『甘やかさない』と弟子に伝えているのだが——苦しい今はそれも故意に忘れて疾走し、あっという間に壁の外へ。
(こんな時にも、"もしかする"——)
(助けてくれるかもしれない——!!)
そして、そのまま爆発的な勢いで切るスタート。
背面から放出する気の推進力と、足裏の接地面で滑る水を利用しながら——師の待つ川へ、助力の可能性を願いながらに猛進。
言われずとも既に多くを見知って——"その上で静観を決めている"——"人ならざる女神"の下へと突き進むのであった。
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