『第二話』

第三章 『第二話』



「"宣戦布告"……本気ほんきで言ってるのか……?」

「……今朝、上の奴らはそう言ってた。……血相変えてな」

「いやいやいや、嘘だろ。家畜の一匹、いや一頭か? ……兎も角、流石に『豚が原因で戦争』なんて"悪い冗談"にも程がある! ——しかも、もし、そうなったら……俺たちルティシアは『』で負けた奴らになるってことだぞ……!」

「……声を上げるな。他の奴らにも聞こえる。まだ信憑性も不確かで、これから先がどうなるかはなんとも言えん」



「だから詳しい話は場所を変えてからだ。広場ここだと必要以上に不安を煽ることになりかねん」

「お、おう。分かったよ……にしても、そんなんなったら本当に間抜けじゃ済まない——」



 広場の隅で話し合っていた二人組が建物の間に進み入って姿を消し、音も認識の範囲外に消えて。



(……どういうことだ)



 残される不安は今の会話を立ち聞きしていた青年のもの。

 広場で立ち尽くしていた彼女は眉間に一層の皺を寄せて、覚える目眩で近場の街路樹に手を付いて身を支える。



(今の話は、一体……)


(『宣戦布告』——『"戦争"』……? ルティシアが、この都市が……?)



 先の会話は一部表現こそ滑稽であったものの、しかし読み取れた流れは——『迫る争いの気配』と言った決して簡単に"一笑に付すことの出来ない内容"。

 平時から飛躍した話への及ばぬ理解が青年の思考を真白に染め上げ、焦らせる。



(ルティシアと何処……アルマが?)


(原因は……家畜、"豚で……戦争"……??)



(分からない……分からない)



 高が噂でも——いや、恐怖を煽るような噂であるが故に人の心を持つ女神は惑い。

 彼女は不要な呼吸に肩を上下させながらも事態の全容を把握しようと言葉でものを考えて、けれど揺らぐ心理は論理的な思考を阻害。

 ついつい傾くのは心情を優先した希望的観測の方向。



(——いや、いや……所詮は噂だ。憶測の域を出ない)


(『戦争が起きるのが決まった』なんて……そんなことはない筈だ)


(都市の空気感はまだ漠然とした不安のままで、さっきの人が言ってたみたいに冗談の可能性も……十分にある)




(——つまり、まだ何も確定してはいない。……だから先ずは……"落ち着け"、俺)




 迫り上がる不安を自覚して、瞑目。

 目から入る情報を制限した上での深呼吸。

 そうして止め処ない不安に駆られた時の手順をこなして行く青年は最後に纏う漆黒の裾を握り、己の右腕にする腕輪の黄褐色の輝きを見て——取り戻す、一応の落ち着き。

 師と友の存在を身近に思い、なんとかに繕う。



(……そうだ。まだ何も決まってはいない。何かが確定するような物事を俺はまだ——"観測してはいない")


(……現時点では判断材料が少な過ぎる。量もだけど、質のいい情報をどうにかして手に入れないと……埒が明かない)



 未だ惑いの中。

 然りとて、『確定した情報が何一つ得られていない状況で何かを断定することは困難』だと一先ずは判断し、前を向く。



(……信用出来る人を中心に話を聞いてみるのが得策か……? 余計な不安を感じさせないよう、それとなく)


(だったら、"誰"に聞く? 俺の限られた関係の範囲で、今からでも話が出来そうな都市の人は——)



(——! "そういえば"——)



 都市で言葉を交わした面識のある相手の一覧を振り返り——思い当たる。



(——『リーズ』さん……! 彼女は話題に挙がってた"アルマ"の一員だ。其処で変わったことが本当にあったのなら、何かを知っているかもしれない!)



 噂が何かしらの真実を断片的にでも語っていたとすれば、渦中に置かれた民族にも何かしらの変化があると見て暫定的な方針を決定。

 勢い良く振られた頭で眼差し、既に目的地の方向へ。



(アルマの滞在はまだ続いている筈、だとすれば彼女が居るのは——『アイレス』さんの家か……?)


(——"そうだ"。加えて"こんな状況"、アイレスさん——彼女たちの安全をもう一度確かめてもおこう……!)




(そうと決まれば——!)




 そして、駆け出す。

 都市の中心部を離れ、力強い足取りで既知の少女の住まう家へと向かう。

 混迷極まる状況で人々の恐怖心から生じた信仰——その熱量を一身に背負い、一挙手一投足に込める力で疾風の如く。

 女神は恩人たちの無事を祈り、脇目も振らずに駆けて行くのであった。




————————————————————




「——すいませーん! ルキウスです! アイレスさんはいらっしゃいますでしょうか?」




 早々に到着した先で三度、戸を叩いて呼ぶ。



「……すいませーん! …………」



(……? 留守?)



 だが呼び掛けても返事はなく。

 住居の石壁には澄んだ声が跳ね返るのみ。



(アイレスさんも弟も、どちらも出払っている? となると、リーズさんも居ない……?)


("こんな時"に限ってか……)



 現在時刻、凡そ昼前。

 都市の姉弟と親しむも、彼女らの平時の生活について全てを知っている訳ではない青年。



(……彼女たちにも生活があるから仕方ないけど、でも……状況が状況だ)


(この目で一度、無事は確かめておきたい。……だから、探す方向でものを考えるとして……)



 異様な空気と恩人の姿の見えないことが重なり、不安の心に占める割合は増すが——今は深く考え過ぎないよう頭を振って。



(……先ずは、そこの人たちに聞いてみよう)



 都市の中心部と同じように数人で集まって不安げな表情で言葉を交わす人々——先程から視界の端に捉えていた女性たちに歩み寄り、おずおずと。



「……あ、あの、突然すいません。少し、お聞きしたいことがあるのですが……」



 気持ち程度に頭巾を上げて温和に緩めた視線を晒し、声色も極力優しくして話し掛ける。



「……なんでしょうか? 見ない方のようですが……」

「は、はい。自分は都市の外から来た商人で、今はそちらの家に——アイレスさんと言う方に用があって訪ねて来たのですが、彼女はご不在のようでして……」



「なので、差し支えなければ『彼女が何処にいるのか』——ご存知でしたらお教え頂けないかと思い、話し掛けさせてもらったのですが……」

「……」

「……どうでしょうか?」



 応じてくれた相手の女性を見下ろす形。

 黒尽くめの青年は怖がらせないよう更に顔を外気に晒して、瑞々しい玉顔を傾けて。



(教えて……くれるだろうか?)


(駄目なら駄目で、やっぱり自分の足で情報を稼ぐしか……)



 あまり気にされない隠蔽効果が働いたとして、それでも見ず知らずの相手に少女の動向を教えるのは——『それはそれで不味いのでは』と思いつつ、次の取るべき行動についてを考え始める。



「……それでしたら」

「は、はい」

「……この時間ならアイレスは"神殿で仕事をしている"と思いますので、どうぞそちらに」

「! わ、分かりました。神殿ですね。向かってみます。教えて頂いて有難うございました」

「いえ……どうも」

「では……失礼しました」



 だが、『往々にして不特定多数の視線がある場所なら教えても問題はない』——と判断したかどうかまでは分からないが。

 この付近に住んでいると思しき相手の女性はアイレスの所在を青年に教えてくれて、それによって思案を中断した女神は深いお辞儀で礼を言った後、情報を得て『長居は無用』と足早にその場を去ることにしたのであった。



(……教えてくれて助かった。アデスさんの蓑があるから妙な疑いを掛けられることはないにしても変な真似は避けたかったし……善意に感謝します。知らない人)


(アイレスさんは恐らく神殿にいる——次に向かう場所は決まりだ)



 中心部に戻る道に再び乗って、神殿のある丘の方向へ進む最中。

 青年は胸中の"嫌な騒めき"について己に考える暇を与えないよう別の——"明るいこと"を考える。



(それにしても、神殿で……"仕事")


(彼女……アイレスさんは十四歳くらいだと思うけど、その歳で働いてるなんて……"凄い")



 よくよく考えてみれば消去法でそうするしかないだろうが故に当然のこととはいえ——妹の姿を重ねていた年下の少女が若くして働きに出ていることを知って、素直に感嘆。




(……俺なんかより、全然凄い)




 本格的に働いた経験のない己の心で少女の働き口があることへの喜びと——しかし『貧困』・『搾取』、『過酷な長時間労働を強いられてはいないか』など——不安をも湧き立たせ、食料を主とした支援策を更に充実させることも検討。

 けれど青年、優先する現在に出来るのは『祈る』のみと"孤児の幸せ"を祈り——何より今の幸福それを支える一助にならんと駆け抜ける。




(……俺に出来ることは多くないけど……でも、これからも、どうか——)





("彼女たち"のせいが幸福で満ちたものでありますよう——"願います")





 けんのある表情。

 切実な願いを女神おのれにかけても疾走するのであった。


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