『第三十六話』
第二章 『第三十六話』
「…………」
灰色雲の下。
澄んだ空気が漂う早朝の森を歩む三つの影は、それぞれが同種同色の隠れ蓑で身を覆う三つの柱。
「……まもなくに到着します」
「……はい」
アデスの言葉に対して生返事で応えたのは、陰鬱な表情の青年。
俯き加減の彼女は川を目指して先導する師の小さな背を追いながら、"こうなった"経緯を思い返す。
(……俺は……——)
————————————————
『その場所でこれより——』
『——死者を葬る儀式が執り行われるからです』
拠点とする地下神殿。
目覚めたばかりの青年に師の告げた"一つの事実"。
『…………どういう、ことですか』
『……都市ルティシアの人間が『渡り』と呼ぶ葬送の儀式——即ち"葬儀"・"葬式"が
("葬式"って、それじゃあ……誰か、人が……)
『亡くなった』——落命の者が出たという事実に心、打ち拉がれる青年。
眉間には露骨に皺が寄り、同じく深刻な面持ちで黙る横のイディアと共に——先から顔色の変化を見せず、既に"喪服"の如き様相の——白黒の女神の説明を耳で受ける。
『……この"渡り"は女神ルティス、貴方の信仰及び存在に深く関わるものです。貴方がこの先でどのような路を選ぶにせよ、女神に"生きて歩む機会"を与えた彼らの思いを知ることは……他でもない貴方という渡りの川の女神にとって——"世界を自らで生きる指針"の、その一つとなり得るのではないかと私は思い、今、話を——』
『ま、待ってください。今そんな、信仰だとか存在だったりを言われても混乱して——だって、葬式だなんて、なんで、そんな……』
『……』
険悪と言う程でもないが師弟の間に"価値観の相違"による微妙な空気感が生まれ、失った色で狼狽える青年に代わって現状を確認するのは美の女神——髪を深い青に変色させるイディア。
『……"
『然り。貴方の認識に相違はなく、女神イディア。今より三日ほど前、病の原因が除かれた都市で人間が一人、命を落としました』
『……そんな、だって俺は確かに怪物を倒したのに、なんで……』
だが、友が改めても事実の内容は変わらず。
納得のいかない口振りの青年へ、アデスの付け加える情報。
『……我が弟子。貴方が疫病を撒き散らしていた者の命を絶ち、その結果として患者である人間の多くが一命を取り留めたことは真実です』
『ですがしかし、その誰もが疲れ果てた状態から息を吹き返すことの出来る『強さ』を持ち合わせていた訳では当然になく——重ねた歳の体で病と闘うことに疲弊して息を引き取った者は、"確かに存在した"のです』
『……っ』
(……間に合わなかった……? 俺は?)
覆らぬ訃報は青年を座り込ませ、しかし彼女は自分のした選択と行動に"決定的な誤ち"はなかったかを本能的に精査。
(そんな、そんな……全力でやったのに助けられなかった……?)
(助けられなかった命、俺が助けられなかった、その……人、は…………——)
そして、流れ出す冷や汗の一筋。
演算し終えた事件の顛末の、その先で"更に恐ろしい想像"をしてしまった女神は。
"暫くに会っていない都市の少女"の姿を胸に、その"組み立ててしまった最悪の仮説"を否定するための材料を師に求めて問うのだ。
『——その亡くなった人ってまさか、子ども——小さい女の子や男の子では、ないですよね——?!』
『……大小は兎も角、死者の肉体的性別は"女性"であった筈ですが——』
『!! な、名前は——』
そうして。
師より告げられる"犠牲者の名"、それは——。
『……その者の名は——』
結論で言って——青年の案じた少女と、その弟の名ではなかった。
教えられた死者はルティスの"初めて聞く"——"知らない名前の者"であったのだ。
————————————————
(——あの時、俺は安心した)
(……人が亡くなったっていうのに、それを喜ぶように考えてしまって……——)
募る、自己への嫌悪。
例え百を超える患者数の中の一人という——死亡率を一パーセントより下まで大きく引き下げることに貢献出来たとて、空模様に似た気を晴らすことは出来ず。
「……見えました」
先導が目的地への到達を伝えたのに従って、そのやや離れた木陰で他の二柱と同様に足を止める青年。
「儀式の最中のようです。この場から様子を伺いましょう」
「……」
頭巾の下から覗いて見る先、見慣れた水の流れ。
川の緩やかな岸線に沿って人の作る列、人数は二十程度。
その多くが寒色の衣に身を包み、青年と似た遣る瀬ない顔付きで暗く、水底へ向けるのはまさしく沈むような視線で。
「……列の先頭に立つ者が
「……」
やはり表情の冷色を維持したままに淡々と、目前の儀式についてを解説して行くのは女神アデス。
彼女に喪主と呼ばれた人間は青年の見知らぬ若年の男性で、その顔には深い悲しみで泣き腫らした痕が目の縁に見て取れた。
「喪主の次に位置を取るのは巫女です。彼女の導きによって儀式は進行します」
「そして、喪主の持つ"袋"に入れられているのが
(あんな小さい袋に、亡くなった人の……遺灰が——)
喪主たる人物の持つ、簡素な茶色の皮袋。
それは巾着袋でもあり、男性の両掌にすっぽりと収まるその大きさ——"人間の一人を収容しているにしては"——『あまりにも小さく』、見る青年には感じられ。
(俺の救えなかった、助けられなかった人があそこに——)
(あんなに、小さな……袋、に——)
「っ——」
「——我が友……!」
目の当たりにした『命の軽さ』で揺れる視界。
その生々しき光景に自責の念は更に強まり——悪くする気分で脚や膝は脱力。
横に倒れようとする青年——その肩を支え、既の所で友の身を助けたのはイディア。
「……イディアさん、俺……駄目だった——みんなを、助けられなかった」
「……」
「死なせたくないって、悲しませたくないって思ってたのに……間に合わなかった」
「俺が梃子摺ってたそのせいで、人が——っ!」
彼女は涙の水を流し始めた青年へと語り掛ける。
友の精神を案じ、任務の終わった今も同行を続ける事を選んだ美の女神イディアは粛々と、自身の思う事実を述べる。
「……責任があるとするなら、それは貴方を十全に支援することの出来なかった私にもあります」
「そんな……! イディアさんは身を挺して危険な役目を務めてくれました。悪いのは俺です。俺が力不足だったから、こんなことに……」
「……我が友。行動の一つ一つを見直して不備を洗い出すのは勿論に重要ではありますが、先にも言ったよう私は私に、貴方は貴方に出来ることで全力を尽くしたのです」
「——可能な限りを尽くして、それでも最良の結果に届かないことは往々にしてあり、そしてそれが悪だと言うならば『理想に至れなかった者の全てが悪』だということになってしまいます」
濃い青紫と薄緑、髪で混ざり合い。
肩に手を添えたイディアは目と目を合わせ、思いを自責の青年に伝える。
「私たちは神であっても、全知や全能ではなく。『完全な理想を自在に世界へ現せる者だけが悪ではない』と言うのなら、道の途上に居る不完全な我々は常に悪しき者なのでしょうか?」
「……」
「善悪を分けるその真相を私は知りません。ですが私は、そうは思いたくないのです。『苦しむ者たちのために』と全身全霊で、『他者の助けになろう』と必死になって戦った貴方が悪ならば……戦えなかった者や戦う力を持たぬ者たちは更に"悪質"で、"未熟や非力であることが許されない冷酷な世界"が今に現れていたことでしょう」
「……」
声の振動を"万能なる未知の権能"で外部に漏らさず、冷厳の女神——黙するアデスの背後——続くイディアの言葉。
「ですが、友よ。実際はそうではない、そうではなかった。少なくとも私の知る限りで貴方は——分かり易い力の有無や強弱で価値が定められる世界に挑むよう行動を選び取り、戦ったのです。襲い来る理不尽と」
「……事実、結果として亡くなる方は居ました。けれどあの時、貴方が行動したからこそ守れたものがあった、救えた命だって今に存在する。それもまた、一つの事実で——」
「——だからこそ私は貴方の選択と行動が、なにより"貴方自身が悪であるとは考えていない"。過度に責められるべき存在ではないと思うのです」
瞬く黄褐色の輝きは、青年の目に眩しく。
「そしてまた、時は戻らず」
「今の私たちが居るこの場所は誰かを責めるための物ではなく——亡くなった死者を悼み、送り出す葬送の場です」
「故に送り手のすべき事は死という事実を認めずに喚くようなことでもなく——」
(…………)
思って掛けられた言葉が心に突き刺さる。
とても、とても痛い程に。
「——次に似た機会が訪れた時はどうすればいいのかを考えて、先に……未来に進むしかないのです。《過ぎた過去》》の行いを悔やんで嘆いているだけでは、未来は勿論——」
「——"今の大切なもの"さえ、失ってしまうかもしれないのですから」
「……」
黙りこくる青年、視界の端。
川辺の喪主が巫女の導きに従い、緩める巾着の紐。
遺灰を境界線に見立てた川に流す——死者の"別世界への渡り"が今、新たな始まりの時を迎えようとする。
「なので、あまり……自分だけを責め過ぎないでください。"我が友"」
「私と貴方は、共に助力を誓った友の間柄。悩める時は次に何をすべきか、一緒になって考えることだって出来るのですから……窮した時は再び、遠慮なくに私を頼ってください」
「今の私が言いたかったことはそれで全てです。……申し訳ありませんでした。少し強く、肩を掴んだりしてしまって……」
「……俺の方こそ、ごめんなさい。衝撃で動揺して貴方に、イディアさんに不満をぶつけるような真似をしてしまって本当に……すいませんでした」
迫る死者の旅立ちの時を前に、青年。
深く、深くに頭を下げ、自身も悲しみからの再出発を考えようと——上げた顔で前を向く。
「……俺も、考えてみようと思います。この一件を受けて自分がこの先、どうすればいいのかを」
「……はい。助けが必要ならば何時でも言ってください。共に考え、進みましょう」
「……有難う、ございます」
「…………」
"死"を目前として苦悩する青年の様子を静かに観察する"師"のアデス。
彼女は弟子の頰に残る
"死が齎す幾つもの悲しみ"を、その見える形として間近にしても尚に変わらぬ彼女の理想は——『深淵の闇に秘された、アデスという神のみぞ知るもの』である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます