『第三十七話』
第二章 『第三十七話』
女神の神体から少し離れた林中。
闇に覗く白髪と、黒髪と、黄褐色の髪色。
それらの色彩を有する誰もが深い黒色の蓑に身を隠し——彼女たち女神の三柱は引き続き川辺にて執り行われる水の葬儀を見ながら、各々が物を考える。
「……
「……はい」
先頭に立つ小玉体のアデスは後方のルティスとイディアの二柱の話が一段落ついたのを見計らい、弟子に見せる儀式の解説を再開。
それに対する返事と共に意識して前に進み出る青年と——師弟が横に並ぶ形の今日、真実を述べんとし。
(……イディアさんの言う通りだ。今は悲しんでも……嘆いたり、喚いたりしてるだけではいられない)
(都市の人々は真剣に亡くなった人を送り出そうとしていて……その結果を見て俺は、"この先どうしたいのか"——同じ失敗をしないため、考えるんだ)
友のイディアによって言い励まされた青年は手で拭った己の涙を権能で大気に溶かして——顔を上げる。
未だ後悔の燻る内面を知覚しながらも前を向いて、"自身が救えたかもしれない"——けれど"既に失われた命"と向き合おうと。
先に立たぬ後悔よりも"反省"の心で意識を構え、冷然とした恩師の言葉に耳を傾ける。
「……彼の都市の人間達が自身らの葬儀を『渡り』と呼ぶのは、貴方の神体であるこの川を"死後の世界"——即ち冥界に接する"境界線"として見立てている
「この川が、境界線……」
「はい。死した魂が境界線を越えて冥界へ向かうことを"川の渡り"に重ね、あの者達は"水の流れで送る葬儀"と若しくは"落命の瞬間"を『渡り』と、そのように呼んでいるようです」
(死後の世界……"冥界へ渡る"……)
悲しみを湛えながらに見て、聞いて、考えて。
視界の奥で神職である巫女に促されて膝を曲げる喪主の男性の嗚咽する声が漏れ聞こえ、しかしその者は震える手で口を緩めた袋を傾けて——死した母を帰らぬ旅へと送り出す。
「遺灰を川に流す行為は肉体を母なる海と大地の星へと返し、残る魂が己の死した事実を誤解なくに知って、『冥界に向かう死出の旅へ迷いなく
「……」
「事実として、水の循環に乗せられた遺灰は星を巡り、
「それは……はい。でも、肉体が巡り巡って別の形になるのなら…………"死者の魂"も本当に"向かうべき場所"へ——」
「"冥界に行くことが——出来るんですか"……?」
川に注がれて流れ始めた遺灰を目で追いながら、問う。
青年は、自身が『恐れながらに知りたい』と予てから考えていた疑問を"未来へ進もうとする今に"——勇気を出して現実の言葉とし。
直視することの躊躇われた恩師の
「"…………"」
"考え込む"ような不自然な沈黙の間が置かれた後——返る答え。
「……肉体から離れた死者の魂は"特殊な引力"により、世界の深淵へ……冥界へと導かれます」
万能にして博識の神は言う。
謎多き女神のアデスは青年へ——教える。
「全ての魂が境界線……この川を越えて……?」
「……この周辺に住まう者達はそのように考えているようですが、"通常"——冥界へ向かうのに必ずしも特定の道順に従う必要はなく。"何処で最期を迎えようとも魂は彼の地へと至ることが出来る"」
「……それなら、本当の所この川は——"冥界と繋がる境界線ではないんですか"?」
悼む時間を与えるよう、緩やかに流れる遺灰が葬列者の前を過ぎ行く寂寥の川辺。
師弟の後ろで彼女たちの重要な話し合いを"聞けぬ"美の女神イディアは瞑目し、先達の女神の"邪魔をせぬよう"押し黙っていた。
「……"その問いに対する答え"は——いえ、"それを伝える事"こそが
「——私が、この場所に貴方を連れてきた"最たる理由"に当たるものなのです」
「理由……?」
「貴方の神体が持つ"機能"を私は……『貴方に知らせておくべき』と考えました。であるが故に、結論から言うと——」
「貴方の川は周囲の者達が考えるように境界線としての役割を——冥界への入り口という機能を有しているのです」
神は、厳かに語る。
青年と同名の川が持つ"特殊な仕掛け"についてを。
顔の上半分、その色を闇に隠したままに。
「……でも、さっきは特に『道順は決まっていない』とアデスさんは言って、『冥界へは何処からでも向かうことが可能』なら、入り口だと言うこの川は一体……」
「特殊な入り口なのです」
「……?」
「貴方の川は"有事に際してのみ開かれる"特殊な、緊急用の……謂わば『非常口』のような物」
「非常、口……」
「はい。冥界で異常事態が発生した場合においても魂の導きに差し支えのないよう……そうした事態を見越して事前に整えられた『非常用の口』が貴方と同名の川である、他でもないこの"ルティスの川"なのです」
「……俺が泳いで隅々まで見回った時には、それらしい仕掛けは見当たりませんでしたが」
「"当然です"。進み入る事は勿論、知覚する事さえ"条件を満たさなければ不可能"であり——生者が迷い込む事、叶わず」
「それ故に、永遠の春を生きる者など言語道断。彼ら彼女ら、未だ死の法を知らず。……同じく貴方という女神も、冥界の土を踏む事は"特例"を除いて不可能と知れ」
「死して、その受容を経た者以外は辿り着けぬ——
「それこそが——現宇宙の『冥界』である」
(……"死して、その受容を経た者以外は辿り着けない"……"見ることさえ出来ない"……入り口)
まるで焦る心臓があるように、青年の玉体——早まる律動。
意味なく嘘を言わない師の神より伝えられた事実が重く、確かな驚きとして心を揺さぶり——。
だがしかし、アデスという女神が『冥界』や『死』について詳しく語る様には"あまり"——『違和感はなく』。
「……ではつまり、逆説的に考えてこの川は——死者だけが通れる冥界の非常口」
「……概ねその通りです、我が弟子。異常変革の中で終極へ向かう魂たちの"現世最後の拠り所"が貴方の川なのです」
「川に、そんな意味が……」
説明を終えようとする指導者。
結びに自らの思いを教え子に明かそうと、真横に動かした玉顔で若き女神と『向き合おう』。
「……貴方がそうした事実を知って『どのように思うのか』、『何をどうすべきか』と考える事は自由です」
「貴方の道行きは他ならぬ貴方自身の選択に委ねられる事が望ましく、何かを強要してしまうような事は極力に避けたいとも私は思います」
「……ですがそれでも今、貴方に神体が持つ意味を知ってもらったのは、『それによって貴方に後々の指針を見出す契機を与えられるかもしれない』と、そのように考えての事だったのですが……」
「……」
「……所詮は女神の老婆心。要らぬ御節介として聞き流して頂いても一向に構いません」
「……いえ、そんな……」
「……柄にもなく話し過ぎました。葬儀も終わりの段階に移ったようですので、引き続き、静かに彼らの行いを見守るとしましょう」
そう言って頭巾を引き下げては更に目深で被ったアデスの炯眼真紅は川の方向へと戻され、それに合わせて残る二柱も同様の向き——動き始めた葬列者を眺める。
「……あの者達の葬儀は水葬であると同時に、"花で死者を送る"『
(列の人たちが川に、花を……)
喪主を先頭として川岸に並んでいた人々は腰や膝を折って屈み、各自が手にしていた思い思いの花を川水に浸し——手を放す。
其処では花の持つとされる言葉を意識した者、名も知らぬ目に付いた花を摘んできた者、故人が生前に好んでいた花を用意した者などが居て、手向けとして選ばれた
しかし、大きさも形も色も不揃いのそれら花々が作って見せる『水面の上の花畑』の如き有様は鮮烈で、陰鬱な空の薄暗ささえ霞む"明るい華やかの光景"——葬り送る式の最後で咲き誇り。
(! ——————)
予想外に見えた鮮やかな別れの色彩に、言葉を失う青年。
死者の背を押すようにして先に送られた遺灰の後を着いて流れて行く花たちを黙して見守り。
去り行く取り取りの色に悲しみや喜びが綯交ぜとなった自身の心情を重ねては——。
——ただ静かに、"人の去り際"を見送るのであった。
————————————————
「……本日の要件はこれにて終了です。貴方たちの時間を邪魔した事——深くお詫び致します」
海へ向かう遺灰が花と共に姿を消して、葬列者たちも立ち去った後、浅けれど頭を下げるアデス。
彼女は弟子とその友の和やかな談話を打ち切った事実を詫びては、"邪魔者"として足早に去らんとするが——。
「……
「「(女神)アデス(さん)」」
重なり呼んだ二柱の声。
ルティスとイディアが同時に声を掛け——翻る漆黒の動きを止めさせる。
「……何ですか」
「——あっ。御免なさい、イディアさん。被ってしまって」
「——此方こそ。貴方も女神に伝えておくべき事があるのなら、私は後で構いませんよ」
「……有難うございます。では、お先に失礼して——アデスさん」
「……?」
間が重なったことを詫び合った後、厚意で順番を譲られた青年が先に、小首を傾げて待つ女神と向き合う。
「その……自分なりに、亡くなった方の命とどのようにして向き合うのかを考えてみて、それの報告というか相談なので、イディアさんにも聞いて貰いたいんですけど……」
「……承知しました」
「——」
生来の女神たちが頷いて見守る中、述べる考え。
「やっぱり、イディアさんの言う通り……悲しんでいるだけでは変えられない、それでは大切な何かを見失ってしまうような事があると自分も感じて——」
「……」
「——だから、今に感じている"悲しみ"や"悔しさ"を次に活かして、未来へ進むのに重要な糧とするために自分は……『今日のことを忘れないでいよう』と思いました」
「それで、忘れないために何か出来ないかと考えて、自分も都市の人々と同じように亡くなった人の安らかな眠りを願って——『花を供えたい』とも思ったんですが……」
「……
「……でしたら、一応はあの人たちのやり方に合わせて花を流したいんですけど……ルティシアの葬儀で供える花に"決まり"みたいな物はあるんでしょうか?」
感じた思いを確と記憶に刻み込まんと。
実際の
死に纏わる儀礼を良く知る恩師に伺いを立て——。
「決まり、ですか」
「はい。花の大きさとか種類とか、色とか。後はこうした方がいいみたいなのはありますか?」
「……そうですね。特にあの者達は"供えの花について厳格な規定を設けていない"と私は記憶していますので、貴方の自由意志に従うままでも問題はないでしょう」
「分かりました。それなら自分で少し、やってみようと思います」
「イディアさん——お待たせしました」
自らの用が済み次第に順番を友へと送り——開いた袋の中、漁って求めるのは供花。
(……確か、いくつか勉強用に摘んでおいたのがあった筈。その中から——)
「了解です、我が友——とはいいましても、私が女神に尋ねようとしていた内容も、殆ど貴方と同じようなもので」
(——イディアさんも……?)
「……女神イディア。貴方も花を?」
「はい。女神アデス。友と同様に私も死者へ花を供え、哀悼の意を表したいと思います。名や顔を知らずとも同じ世界に生まれた存在として……その亡くなる一件に関わった者として、せめてもの見送る思いを込め、"この花"を」
そう言って腰に下げた小物入れから花を取り出してみせるイディア。
青年に先んじて出された
「——そういう訳ですので、我が友。準備が出来次第、私も貴方と一緒に花をお供えします」
「は、はい。一緒だと安心で、それは嬉しいんですけど……」
「? どうかしましたか?」
「……実は、手持ちの花がイディアさんに貰ったこれしかないことに気付いて……」
だがそうして、後は彼女ら『花を流すのみ』となった時。
一方の青年が袋ではなく蓑の内側収納から取り出す花——今はアデスによって凍結乾燥の処理が施された"白の菫"。
言葉通り、彼女の持ち合わせの花はこれだけで、しかし出会った時にイディアから贈られた物を当事者の目前で水に流すことは躊躇われ——場都合の悪い表情は隠せず。
「……腕輪と同じく、その用途を決めていいのは持ち主の貴方ですよ、我が友。しかもそれが他者を想っての行為に使われるのなら私は全然、嬉しくに思いますが」
「そう言って貰えると有り難いんですが……この花は貴方からの贈り物であることは当然として、実は……個人的に気に入っている物なので、手放すのが惜しくなってしまって」
「成る程。それでしたら……」
「はい。それで今から、何処かで適当な物を摘んでこようかと思っていて。待たせてしまっても悪いので、先に流してもらっても——」
「……でしたら、"これ"ではどうですか」
そうした弟子の『下手な段取り』を見兼ねた白黒女神が、花を持って進み出る。
何処からともなく取り出した一輪の——丁度、女神のする耳飾りと良く似た——"黄色の花"を。
「アデスさん? これは……」
「私の好みの花です。……"中身の伴わぬ
「あ、え——はい。貰っても大丈夫でしたら御言葉に甘えて、それを頂きたいと思いますが……いいんですか?」
「遠慮は要りません。同じ
「あ、有難うございます——」
(——……? 『私自身の分』?)
「"大事な客"を待たせるのはあまり褒められた事ではありません。さあ、行きますよ。我が弟子」
「——えっ、アデスさんも行くんですか?」
「はい。今は私も貴方達を見て『偶にはそうするのも良い』と、思いましたので」
そう言うと、花の一輪を弟子に手渡したアデスは奇術師の如くに妖しくゆっくりとした動作で袖からもう一輪の同じ造花を引き出した後、先駆けて川に向かう歩み。
それを受け、頷き合ってイディアと共に青年も黒の影を追って、川へ。
両手を塞ぐ花の片方——白の菫をスカートの
————————————————
「——では、女神イディア」
「もう暫くの間、不在の間を頼みます」
「はい。お任せを」
「……我が
「——」
無言で頷き、了承を示す。
指導要領の見直しは『また別の機会』と取り決めて、"私事"に戻らんとするアデス——。
「……では——」
翻す闇に小柄な姿を浸して——消えて。
「……」
「……」
残された二柱。
「……イディアさん」
「なんですか……?」
「もう少しだけここにいても……いいですか?」
「勿論、構いません。……私は席を外した方が宜しいでしょうか?」
「……いえ。それは大丈夫、で——」
「——……寧ろ、"近くにいてくれると助かります"」
「分かりました。では、私はここで……貴方の気の済むまで、お待ちしています」
女神たちの川に載せた三輪の花はとうに視界から失せ、葬送の締めで以て一連の出来事の終わった気配を感じる青年。
それにあわせ、水流の音を背景に心の整理をつけんとイディアへ滞在を提案し、その了承を得て物思いに耽ろうとした矢先——降り出す雨。
「……降ってきちゃったのでやっぱり、待ってもらうのは——」
「いえ。折角、"貴方が私を頼ってくれた"のです」
「……でしたら、せめて"これ"を」
青年という女神が指を振って描く
水神の権能は美の女神の頭上で"透明な傘"にも似た水の薄膜を張って、友が濡れるのを防ぎ——言外に交わされる感謝の笑み。
(……泣いてるだけじゃ、いられない)
けれど、青年自身は『そうしたい気分』であるが故に"濡れる"ことを選び、身を打ち付ける水の冷ややかな痛みを甘んじて受け入れる中。
(もっと学んで、鍛えて……より多くの力を手に入れて——)
(——次こそは……上手くやってみせる)
蓑に隠した手の先、握る拳。
降り注ぐ雨水で頬を濡らしながら——しかし、静かな決意。
雨中で冷える玉体——それでも、心で燃やすのは闘志。
(俺に——"今の自分に持てる物"の全てを使って、"今を生きる都市の人々を守ってみせる")
最早消すこと叶わず、胸を焦がす"悔やみの炎"——過ぎ去った日々への止め処なく溢れる思い。
それら、今の"不完全な女神"で逆巻く青の輝きとなりて——
(——これ以上、理不尽に命を奪わせてなるものか)
(これ以上、悲劇で失わせないために俺は——)
("自分"は——女神として)
未だに抱く恐れも今は奥底に秘め、今日。
川水の柱は改めて——"描き入れの時"へと進むことを決めるのだ。
(女神ルティスとして全力を尽くすと——誓うんだ)
(……"この命"が尽きる、"その時"まで)
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