『第三十五話』

第二章 『第三十五話』



(————っ)



 離れて行く父母の背中。

 望郷の夢見より、覚める青年。



(——ここ、は……)


(……いつもの……天井)



 起きたばかりの仰向けで見えるのは岩の天井部で、その見慣れた薄暗い景色によって現在地が地下神殿だと知り——漏れる吐息。



(……マントも袋も、畳んである)


(記憶にないけど……イディアさんだろうか?)



 日光なくとも空間を照らす神の灯火。

 師の置いた光源を頼りに見回す周囲には青年の常用する物品が畳んで整えられていて、畳んだ覚えのない彼女は他者の存在を感じ取る。



(……あの後どうなったのか、彼女に聞いておかないと。どれだけ時間が経ったのかも聞いて……念のため自分でもルティシアに向かって、それから——)



 上体を起こして伸びをし、猫じみた仕草で擦る瞼。

 気の抜けた動作だが、今もこの者にとって目下最大の問題は『都市を襲う疫病』であることに変わりはなく。

 起きて早々、倦怠感の失せた休息の余韻も忘れて考え事に勤しむ青年。

 "怪物討伐の報告とその効果"を確かめんと医師の滞在する都市へ向かうことを決め、そのために立ち上がろうとした——瞬間。



「——目は覚めましたか? 我が友」

「——!」

「ふふっ……おはようございます」

「お、おはようございます」



 一対の黄褐色——明かり届かぬ闇で浮かび上がり。

 掛けられた友好的な声に寝ぼけまなこの青年は慌てて鸚鵡おうむ返しで、近付かれて徐々に明らかとなる女神の輪郭へ、尋ねる名。



「……イディアさんですか?」

「はい。暗闇で脅かしてしまったでしょうか?」

「い、いえ。大丈夫です」



 それに対して現れた長身の女性は肯定と微笑みを返して、灯火に寄る。

 そして股の間が見えないよう長脚を折って座るのは、髪の一部を緑から薄くして黄色に変える女神のイディアであった。



「近くに失礼させて頂いて——ふぅ。久し振りに私もよく寝ました」

「……イディアさんも寝てたんですか?」

「そうです。目覚めたのは今し方で、貴方よりもほんの少し前に、その辺りで」

「……それでしたら、此処まで俺を運んでくれたのもイディアさんですか?」

「いえ。我々を運んでくれたのは彼の女神、女神アデスです」

「ということは……アデスさんがお戻りに?」

「はい。丁度あの時、我が友が眠りについてまもなくに彼女が来てくれて、そのまま私に代わって後始末を引き受けてくれたのです」

「成る程。では、都市への報告もアデスさんが?」

「恐らくは、はい。既に済ませて頂いたものかと」

「それは……後でお礼を言わないとですね」



 同じ火を囲み、擦り合わせる情報。

 アデスの帰還を耳にした青年の目は無意識に輝度を増して、その恩師の姿を求めるように泳ぐ視線を、友神は微笑ましくに見守り。



「それでまた、寝てる間にどれくらい時間が経ったのかは、分かりますか?」

「それは私にも分からなくて……御免なさい。ですが多分、我々が目覚めたのを感じ取って彼女が直ぐに来てくれると思うので、その時に——」




「"四日"です」

「「——!」」




 青年の願う再会の時は、間を置かずに來れり。



「……より正確には言えば、貴方たちが眠りに就いてから凡そ八十二時間が経過しました」



 出入り口となる階段を塞いでいた扉の板が退かされ、差す光を背に"漆黒の女神"が地下神殿へと進み入る。



「あ——アデスさん! お久しぶりです……!」

「……久しく御無沙汰しました。女神ルティス」



「……初となる実戦を終えたようですね」

「……はい。でも、イディアさんの助けがあったから何とかなったようなもので、俺は全然……教わった通りには出来ませんでした」

「……」



 階段を下りて歩いて、二柱の女神に歩み寄るその途上で頭巾を上げる女神アデス。

 淡い色の白髪を露わとし、同時に表出した常と変わらぬ気怠げな眼差し。

 赤の瞳で見据える先の女神へと労いの言葉を掛ける。



「……『自らの不足を知る』。それもまた成長にとって必要な、"己を知る"ための重要な段階です」

「……」

「……誰もが武によって力を示す必要はなく。今後の指導については貴方の報告を聞いて課題や適正を考慮した後に、意見交換の場を設ける予定であり……兎にも角にも、大儀でありました」



「"無事で何より"、と……今はそのように伝えておきます」

「……はい」



 そして、諸々の無鉄砲ぶりを自省して萎縮する青年を励ました後にアデスは小さく咳払い。

 師弟の内的な話を後回しとし、今は順を追って手早く要件を伝えて行く。



「……女神イディアについても同様です。その後、変わりはありませんか」

「はい。休ませて頂き無事に回復、調子も良好。女神の気遣いに今一度の感謝を」



「そしてまた、お尋ねしたいのですが——」

「都市への報告であれば、既に用は済んでいる」



(!)



「滞在する医師へと女神の行った事の、敵を退けた経緯いきさつを伝え、まもなくに理解を得ました。余計な心配は無用です」



「また、同時に——」



 耳をそばだてる青年にも確と聞こえるよう、疫病に見舞われた都市の現状を言葉として口に出し。




「怪物と関連した件の病に罹患していた者たちの——の兆しについても確認しています」



「——ほ、本当ですか……!」




 待ち望んだ"吉報"を耳にして堪らず会話に割って入った青年へ、その詳細を告げて行く。



「……嘘ではありません。この私自らが足を運び、院内でその様子を"見て取りました"」

「で、では、都市の人々は——治るんですか?」

「……ほぼ全ての患者で極度の脱水症状は失せ、栄養の経口摂取も可能となっている。健やかなる日常の営みへ戻るには、大体が後数日と言った所でしょう」

「……!」



「延いては都市を襲った"疫病の危機"——かと。我が弟子」

「——……よ、よかった……」

「……ついては医師より貴方へ言伝を預かっています——」



「——『今回の件では大いに助けられた。今後の女神に捧げる熱心な信仰を誓い、可能な限りの礼をしたいため、折を見て自分の下へ寄ってほしい』——とのこと」



「——以上の言伝、確かに伝えました」

「……分かりました。次に都市を訪れた時にはそうします」




(……よかった、本当に……——)


(皆んなが元気になれそうで、本当によかった……)




 都市の人間たちが命の危機から脱したであろうことを心の底から喜ぶ青年は——自身が四日も寝込んでいたことに疑問を抱くことさえ忘れ——感情のままの微笑み、向ける先には恩ある神々。



「……改めて、色々と御迷惑をお掛けしました。アデスさんにイディアさんにも、貴方たちには助けられてばかりで本当に、何て言ったらいいのか……」

「……私は貴方の一角ひとかどの神として自立を期待し、それで以て他の誰でもない己の手間を省こうとしているだけですので、お気になさらず」



 師は何時もの如くに表情を変えず、対して後に続いて話すイディアは満面の笑みで。



「どう致しまして。私の方も自分の"好き"でやっていることですので、あまりお気になさらず。これからも困り事があれば遠慮せずに頼ってくださいね。我が友」




「御二方とも、本当に有難うございます……!」




 今日一番に張った声と下げる頭で伝える謝意。

『何かと目を掛けてくれるアデスとイディアの二柱なくして今の自分はあり得なかった』と日々の実感で知る青年は——しかし『抱える秘密』の罪悪感に胸の"微かな痛み"を覚えながら。

 より具体的な行動でも恩に報いようと、先ずは友と約束した料理の件を話し合わんとす。



「……でしたら、ちゃんとしたお礼もしたいので——先ずはイディアさん。料理の約束、その日時を決めちゃいませんか?」

「それは勿論。構いませんよ」

「次に都合のいい日は何時いつになるでしょうか?」

「私の日程については"ゆとり"がありますので、時間と合わせて貴方の都合で調整して頂いて大丈夫です。また、必要な材料や器具があれば教えてください。此方で用意したいと思います」

「いえ、流石にそこまで貴方に手間は……手始めに本当に簡単な料理ものから作ろうと思っているので、イディアさんに負担してもらうようなことには——」




「…………」




 だが、微笑み合って更に親睦を深めようとする二柱を眺める者。




「…………女神ルティス」

「?」




『水を差すようで悪い』と思ってか、思わずか。

 溜めた間で歓談の時を終わらせたのは黒の女神。




「……あ! す、すいません。アデスさんを置いて話し込んでしまって」

「……それは構いません」

「今、イディアさんと前にした料理の約束について話していたんですが……もし宜しければ、その……ア——」

「いえ。女神ルティス。貴方達の仲を邪魔したくはありません——邪魔したくはないのですが……今より少々、貴方の時間を頂きたいのです」

「俺の、時間……?」




 冷厳を崩さぬ女神の——"変える流れ"。




「はい。今この後、貴方には——"私と共に向かって貰いたい場所"があるのです」

「え……」




 小さな玉体から放たれる"冷ややかな空気感"が、青年の肌を通して"不安なもの"を感じさせる。




「……"今から"ですか?」

「はい。目覚めたばかりで大変に申し訳ありませんが、これは……、『立ち会って説明しておくべき』と私が判断した——の場所なのです」

「……何処に、行くつもりなんですか……?」

の下流へと向かいます」

「それは……また、どうして……?」

「……目当てとする理由は——」




 大団円的に訪れようとした明るい雰囲気を壊されるようで、怪訝な面持ち浮かべて問いを投げた青年。

 しかし、未来に希望の想いを馳せていた彼女は次の瞬間——返されるに息を呑み、動揺に言葉を失う他はなかった。






「その場所でこれより——」


が執り行われるからです」




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