『第二十八話』
第二章 『第二十八話』
「——私は誰だ」
美の女神イディアは問い掛ける。
自身へ、その生まれし頃より背負う『問い』を。
『美の化身たる己とは何者か』——即ち、『美とは何か』
未だ旅路の途上に在る己へと、"現状定義の確認"——及び変更を求め、問い掛ける。
「——私は俺だ」
十人十色、千差万別、千紫万紅。
明確にして絶対唯一の答えが見えぬ曖昧の概念へ、今は"一つの解釈"を当て嵌めて行く。
「——俺は誰だ」
確かめんとするその色は"青"。
揺らぎ定まらぬ色彩の中で見た——『己は苦悩と恐怖を抱えながらに、しかし他者の苦痛を終わらせん』とする友の在り方に見た"一つの理想"を自らにも重ね——『自身もそう在りたい』と強くに願う。
「"俺"、は——」
「"俺の名前"、は……?」
再びに閉じ、直ぐに開かれる瞼。
元の黄褐色は何処へやら、白と黒と灰の無彩色に染まる"瞳と髪"は問いを経て激しく彩りに波を見せ、無彩の後に荒ぶる無限の虹色はやはり"青色"へ。
瞳と髪の房が青みがかった黒へと変色し、遂に虹を飛び出す濡れ烏めいたその色は髪全体さえも侵食しては更に広がり——女神の玉体を"青年の思い"で塗り潰さんとする。
「名前、名は……分からない——」
「分からない……? だったら、俺は……?」
「俺は一体……誰なんだ……?」
女神の玉体の帯びる薄光が周囲を照らし始める。
月下に貌を変える一輪の花、しかし穏やかな光は加速度的に輝きを増幅。
衛星の月明かりさえ霞ませ、女神由来の恒なる光は一瞬の内に泉の空間を飲み込み——。
「……俺は……——!」
顕現するのは清らかな川の——"明媚"の光。
「——俺は——っっ!!」
『名も知らぬ友を助けたい』——"忘れぬ"と誓って願う、変じた女神。
己の名すら覚束ぬまま、苦悩の中で足掻きを続ける。
————————————————
そして——戦場。
強烈な光に包まれた、その場所。
「"——————!!?"」
(——な——なんだ——"光"——!?)
突如として視界を謎の光に染められた怪物と青年は共に驚く。
特に前者の化け蟹は敏感な複眼で
(——今の、"イディアさんがいる方向"から)
(まさか、彼女が何か——)
対する、今の今まで怪物と向き合っていた青年は"光の源"と思しき方向を背にしていたため、動揺から一足早くに回復。
薄らと余波の影が残る瞼を急いで上げさせ、美の女神の動向——いや、今はそれより重要の戦況と敵の状態を把握しようと頭を回す。
(いや、それより怪物は——)
止んだ攻撃の波、しかし無防備は晒すまいと、仕切り直しの好機到来を感じる青年。
先ずは適当な遮蔽物を探し——ぼんやりとした視界の中に見えた樹木の後ろへ滑り込み、戻るのが遅い視力の視認を早々に諦め、水を介した感知で状況を探る。
(——敵の位置はまだ変わってない、止まってる)
(……今ので俺を見失ったのか?)
そして幸いにも、どうやら閃光弾の如き現象で目の眩んだ怪物は青年という敵を見失ったようで、距離を取った彼女を追う素振りはなく。
けれど、念入りに判断材料を集めるルティス——怪物の口より滴り落ちた水の振動から微細な変化に気付く。
(……"顔の向きが変わった")
(止まって、"一点だけを見ている"……?)
激しく動き回っていた複眼が恐らくは動きを止め、今と先程まで青年が居た方とは別の"明後日の方向"で顔の向きを固定したのだ。
(何処を、何を——いや、今はそれより、『"次"にどうするか』だ)
(今の状態を隙と見て死角から回り込むか、それとも別の……——)
動きを止めた怪物、潜む青年。
防戦一方の悪しき流れこそ一時的に断ち切られたものの、比較した場合には前者の方が『巧者』として試合運びで利を得ることは最早明らか。
殺意の研ぎ澄ます度合いに両者の間で決定的な差異があり、迂闊に再戦を持ち掛けても怪物の決断的な動作が決定打を持たぬ青年に遅れを取らせ、またも勝ちの目を薄くするだろう。
(ここは一旦、退いて……別の、別の……)
(……最悪、アデスさんに何とか頼みこんでみるのが——いや、彼女が戻ってくるのを待ってたら時間が……)
故に、逸る気持ちを抑えながらに敵を注視する。
悪戯に時間と即座に行使可能な余力を消費するだけでは勝算は見えぬと。
(——だったらやっぱり、俺が此処で終わらせるしかない)
(イディアさんの力を借りて、決定的な隙を突いて——)
しかし、勝負をかけるならば。
『決定的な隙を突き、対処と反撃の間を与えずに敵の腹部へ全力の一撃を己で叩き込まねばならぬのだ』——と、決意も新たに蘇りつつある手足の震えを律した——その頃。
(……そういえば、イディアさんは何処に——)
(——!! "動き出した"!)
変わる水の流れ。
怪物の動き出しを認め、反射的に漲らせる力。
(口の泡が吸い込まれて、また——"攻撃が始まる")
(でも、あっちの方向には何もない筈だ)
吸引の音が知らせる攻撃の前触れ。
それを聞いて青年は何時でも回避行動に出られるよう備えつつ、しかし敵の体が隠れた自身に射線の向かう立ち位置ではないことを疑問に思い——。
(俺を狙っているわけじゃないなら、他に何を狙って——)
思い当たる。
(——まさか)
気を引かれる怪物の視線の先。
まさしく"囮"として——『その役を務める女神が攻撃の対象となっているのではないか』と。
(イディアさんが敵の注意を——"!!")
可能性に思い当たった瞬間——夜の静けさを引き裂くのは轟音。
圧縮された水が大地に痛ましい引っ掻き傷を残すそれは怪物の放つ刃だ。
(っ——やっぱり、そうとしか……!)
刃の水が走った先に何があるのかを青年の位置からは視認出来ず。
だが、水神は怪物の攻撃に手応えかなかったことを肌感覚で察しながらに、一先ずは攻撃目標とされているのが恐らく囮の務めを果たしているイディアだと判断し、『ならば』と自らも勇み——立つ。
(だったら——絶対、
(敵が俺を見失って彼女が引き付けてくれている、この"隙"に——!)
息を吸い、続く攻撃を備える怪物。
その複眼が捉えるのはやはり一点だけで、先刻までの競合相手は今や眺める巨躯の背後。
今現在、身を潜める青年の存在は完全に敵の意識の外にある——即ち『隙』の見えた時。
(この——ッ!)
(——"瞬間に"————!!)
女神は飛び出す、木陰から。
星の輝きを抱く目を薄く細め、決断的動作で駆けては跳ねる——物陰を伝い、停止。
怪物の完全なる後方、死角へと瞬時に到達した女神は玉体を、闇に潜め——。
"無限よりの暴れる力"を必死に制御し、水としての形を与えて引き出す女神の——"青年ではない女神"の放った水の棒手裏剣が関節部に刺さり。
肉へと染み込む刃の痛み、標的の体をたじろがせた——。
まさに——その瞬間。
「"————!??" "——!!"」
(——"今"——!!)
足裏より——爆発的な放水。
直線を避けた念入りの道筋、蛇行で滑る女神は。
(———"力を"——っ!!!)
既に——"怪物の真下で回転を始めている"。
目的地に滑り込んで達したその勢いを利用し、練られる水は渦を巻く。
「っ———、——、、———ッ!!!」
最早輝きを隠さぬ瞳と、力む掌。
回り回って描く光跡は青い蛇の
「——!!」
加速する回転。
怪物が自分の真下に恐ろしい程の冷温を感じて、まさに肝の冷える思いをする時には、遅い。
正面で捉え、今に攻防を続けていた柱が何故か下に——敵の侵入を許した事実に気付いたが、もう遅過ぎた。
青年の折り曲げた膝下と後ろに引かれた腕には既に十分な量の水と、その齎す勢いが蓄積。
溜めて、放たれる女神の力は目指して向かう。
「っっっっ——————"!"」
天を目指すのだ——怪物の真下より、夜の天を。
「ぐ——っ"——おぉぉぉぉぉぉぉぉ"!!!!!」
一層に強く輝く、青き瞳。
足よりの氾濫、噴出する激流が浮かす川の化身。
塒を巻くのを止めた蛇の
「——お"お"ぉ"ぉ"ぉ"ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ————!!!!!」
天を衝く柱。
突き上げるその手、『未来を掴め』——!
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