『第二十九話』

第二章 『第二十九話』



「——おぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」



「"————!?"」



 打ち込まれる掌。

 渦潮の如くの回転によって練り上げられた力。

 防御の薄い腹部を下から勢いよくに突き、伝わる痛みが怪物に泡を吹かせるが——"しかし"——!



(——!? ——こいつ——っ!)




(——!?)




 戦いの中で成長を続ける怪物。

 不意を突かれた化け蟹は恐ろしいまでの反応速度で青年の掌が身に触れる直前——"跳躍"。

 女神の突き上げんとする渾身の一打を事前に上空へと逃げることで、完全とはいかないまでもその必殺の威力を受け流す形で"大幅に低減"させたのだ。



(——っっ……! 駄目だ! 威力が足りない——!)



(次、次だ————!!)



 怪物の巨体を片手で持ち上げるような態勢の中、刹那の思考。

 直撃であれば間違いなくに絶命級の威力を有していた攻撃を去なされ、しかし仕留めきれなかったことを悔いる暇はなく。



("このまま攻撃しても受け流される"だけなら——)



 緩慢に感じる時の流れで噛み締める奥歯——再び全身に漲らせる力。

 威力を低減されたとはいえ、敵である怪物が後手に回って無防備な腹部を晒している状況は変わらず。



(だったら——"次"は——ッッ!!)



 従う教え。

 師のように流麗とはいかないまでも、先を見据え——捻出する即興の手。




「っっっ——ぬぅ—っお"ぉぉぉぉぉ"!!!」




 己と敵の、星に引かれた落下が始まる直前。

 青年は余らせていた左手、左の掌をも怪物の腹部へと添え、両手で巨体を支える姿勢を取ったかと思えば直ちに足裏——水の放出を再び開始。

 昇る、昇る、天に昇る。

 怪物の跳躍さえ、敵がした回避行動の勢いさえ利用して——"敵ごとに急上昇"——!



「ぐ、ぐぐ————ッッ!、!!」



(この、まま——ッ!)



 そうして、夜天に浮かぶ神。

 尚も上昇を続ける女神は添えた両手を腹部の中心から横にずらし、楕円の敵胴体を持ち上げる格好から——。



(裏、がえ——して——ッ!)



 状態に移行。

 狙い通り吐き出す力で怪物の表と裏をひっくり返し——"上下の位置関係をも逆転"。

 女神が上に、怪物が下となって。

 そのまま仰向きの怪物の、晒させる腹部へ向かって女神——。




("逃げられない一撃"を——ッッ!!!)




 蹴る——両足の裏で蹴りを放つ。

 足蹴にし、力任せに蹴った怪物の体を"地面"に向かって——




「"——!??" ——————————」




 未だ体内に掌打の揺れが残る怪物、急降下。

 視界の端に映った女神の影が突如として真下から姿を現した事実を理解する間もなく、落下。

 岩盤と甲殻の激しく砕ける音——その激突を知らせ。



「っ……くっ……————」



 飛び散る岩と水と、土砂の中。

 友が事を成そうとする様を見届け、意識を失い倒れる女神の黒髪、夜闇と同化。

 地上では彼女含む倒れ伏した者たちの弱々しい息遣いが泉の流れる音に掻き消され——再び、静寂に包まれる空間。

 戦闘の気配を察して鳥も獣も、虫さえ去って行った場所に動く物は殆どなく、風に揺れるのは精々が木々に草花で。







 では、"怪物と共に天へと昇った青年"は——







 その答えは



("今度こそ——)



 天に瞬く一番星。

 いや、瞳に宿すは星なれど、妖しく輝く妖花なり。



(——終わらせる")



 幾望きぼうの月を背に。

 夜空星空、青の花。

 蹴飛ばした勢いで更に上へと昇った女神の青年——構える。



(高さを利用して、蓄える力の——)


(この、一撃で)



 腕を引き絞り、標的を見据える。

 下方、仰臥位ぎょうがいとなった敵へ定める狙い。

 髪の裏地と瞳を青く、煌めかせながら。



(俺は、お前を——)




(——殺すんだ)




 始まる落下。

 放出制御で足を上に、顔を下に向けて加速を始めた青年の後ろで軌跡が続く。

 彼女がこれより為さんとする事。

 それは、天に昇り得た位置エネルギーを星の引力が齎す急降下によって運動エネルギーともする——力学的エネルギーによる"最後の一撃"。

 未熟と不完全の不足を星の力によって補う——神の搏撃はくげき




「————」




 軌跡光跡の先頭で見える敵の姿。

 徐々に近付いて明瞭となる怪物の身は大地にり込み、痛ましく。

 しかし青年は身動きの出来ない敵へと必殺の一撃を打ち込んで仕留める想像を、試行を繰り返し——何故だか溢れる涙を、振り切って。




「っ"————!」




 突き出す右手。





「ぐ、っ——"ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ"!!!」





 る一筋、青の閃光。

 苦しみを終わらせるための力で今——"敵を討つ"。










 そして。

 衝撃で地面に亀裂広がり、飛沫の落ちた後。










「——はぁ——っ、はぁ、はぁ、はぁ——」



 飛び退いて怪物の、恐らくは死体から距離を取る青年。

 敵の体内へ伝えた重要部が圧壊する破滅的振動の手応えに顔を顰めながら、しかし手の表面では展開した水を続けて高速振動させ——残心。



「ぅ……くっ——————」



 油断なくに。

 自らが仕留めたであろう相手を鋭く見つめ、力なく倒れた後も細かく痙攣していた歩脚と鋏が完全に停止したのを見て取り、巨体の律動も沈黙した事を確認した後。



「——っ……はぁ……はぁ……」



(……おわ、った……?)



 戦いを終えた青年は膝から崩れ落ちる。

 視線は残していても湧き出る安堵には逆らえず、右手を地に付けて倒れ込むことを辛うじて回避。

 濡れそぼつ虚ろな表情で荒い息遣いを継続しながらに震えを戻し、へたり込む。



(これで、ルティシアの人々もきっと……良くなってくれる筈……)


(少し休んだ後に、報告と……様子を見に戻ろう)



 疲弊したために正確ではないが、続く倦怠感は今の所なく。

 使い切った心身の力を早くに補おうとしてか、青年は意識の内で睡魔に襲われ、瞼の重みが増す中で考えを絞る。



(眠い、けど……その前にイディアさん……)


(彼女の無事を確かめて、落ち着ける場所に……案内、を……)



 頭を左右に振り、震える足で立ち上がる。

 休眠に入るのはまだ早い。

 青年にはまだ、囮という大役を見事に務めてくれたであろう友——美の女神イディアの安否確認という仕事が残っているのだ。

『危険に立ち向かい、約束通りに助けてくれた彼女を放って眠りこける訳にはいかない』と、つんのめりそうになる足取りでなんとか、女神の捜索を開始。



(……どこだ……?)


(さっき、怪物が見ていたのは確か……——)



 消耗が故に鈍る知覚で、疲労困憊の青年は暗中を探って進み——まもなく。



(——! 音……口からの息の音……!)



 穏やかな風に乗せられて届く"呼吸の音"を耳にし、更に感覚を澄ます。

 真っ暗な夜の森で"黒"の虹彩は、それでも帯びる薄光で一寸先を月と共に照らし。



(方向は……やっぱりこっちの方で……——"!!")



(——"人影"……! "誰か倒れてる"——いや、恐らくはそれがイディアさんの筈……!)



 地面に発見した"人型"に向け、急いで駆け出す。

 人型それは大地に刻まれた刃の縦線から横にずれて倒れる"女性"で、記憶するイディアの背格好とほぼ等しいために美の女神そのものだと判断して、駆け寄る。



(まさか、攻撃を受けて——!?)




「——だ、大丈夫ですか! イディアさん!」


「聞こえていたら、返事を……!」




 よろめきながら、夜の黒と同化した女性の側へ。




「——イディアさん……!」


「何があったんですか、大丈夫なんですか……!」




 倒れる女性の背後より近付き、手の届く距離で膝を折る。

 間近とする相手の髪色は"黄褐色ではない黒"の長髪のようにも見え、纏う衣服も色や丈が異なるように思えたが——"夜闇の所為"として差異を処理する青年は一向に反応のない友を案じ、手を伸ばす。




「……少し体に、肩に触れます」




 一言の断りを入れてから宣言通り、肩に触れる。

 息の発信源はやはりこの女性で、触れて伝わる振動が命の活動を続けていることを教えてくれる。

 けれど、未だに返事はなく、沈黙の理由を知りたい青年はイディアと思しき女性の肩を持ち、背を向けて寝転がる体を"仰向け"にして抱きかかえようと動かし——。





「大丈夫ですか——」





 露わになる相手の顔を覗き込む女神。

 それは傍から見れば"青年が水面を"——を見ているかのような光景であった。






「イディアさ、ん……——」






 つまり、、青年が驚き怯えて後ずさるのも無理はなくて——"見知った顔"を前に激しく動揺するのも当然のこと。



「ひっ"————!?」



 というのも、そこにいたのは青年が最近に知り合った女神でなく——。

 得たばかりの友でもなく——。

 即ち美の女神にして友の



(な、なんで——そんな——どうして——)



 再会を期待する友の姿は何処にもなく。

 しかしなれど、先までの戦場に転がっていた女性の姿形はまるで"一卵性の双生児"——の如き顔、"川の化身たる女神の"。




(どうして、"今の俺"が……前に——)




 ルティスと呼ばれる青年の目の前には、何故か同じく——。





 が眠り——のである。



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