『第二十七話』
第二章 『第二十七話』
「"——————!!"」
怪物、けたたましくに発する音。
木の幹より跳び出る女神の気配を感じ取った化け蟹は直ちに横歩きで急接近を開始。
歩脚を激しく上下に、しかし縺れぬよう器用俊敏に動かしながら巨躯に有るまじき軽快な様で女神に迫る。
大地を踏み鳴らして、迫り——。
(——!)
そうして。
先んじて動き出した美の女神ごと、敵を秘していた邪魔な遮蔽物をも纏めて切り裂かんとする鋏の刃が——振るわれる。
「————!」
「っ——!」
走り出していたイディアは跳び退いて、巻き添えのような形となったルティスは屈み——その凶刃を回避。
無残にも切断されたのは不動の大樹だけであり、けれど、身を隔て隠していた物体を切り払われたことで再びに対面するのは怪物と、青年。
(——っ)
沈む最小限の動作で敵の横一閃を躱した女神。
鋏の切り裂く空気の圧が玉体の表面、後頭部を荒々しく撫でて行く感覚の中——滲む汗。
二度、三度と"回数を重ねる攻撃の鋭さが徐々に増している"事実に穏やかでない心中となりながらも、"目的"は忘れず。
("今"——!)
囮として飛び出したイディアを狙って繰り出されたであろう鋏の"大振り"が過ぎ去る瞬間——。
その終わりに見せる攻撃後の"隙"を突かんと、汗水を散らしながら即座に顔を上げ——腹部への痛撃を目的として歩脚の隙間へ果敢に飛び込もうと身に力を込めるのだが——。
——"しかし"。
(——!!)
目前の歩脚。
青年の前で並び立っていた筈の怪物の脚たちは突如——その姿を消して——"再び地面に突き刺さって現れる"。
(——なにが)
異様な現象を前に、高速化する神の思考。
反射的で状況把握に努めんとする女神はまもなくに気付く——視界に映っていた怪物の姿が、歩脚と鋏の向きが反対に——"左右対象になっている"こと。
("回避にしては早すぎる"——)
眼前に突き立てられた歩脚の数こそ先と同じ四本であったが、晒された胴体の側面、複眼の位置が左右で"逆"となっていた。
即ちそれは怪物が自らの体を動かして体勢を百八十度の回転——"反転"させたということであり、この蟹の化け物が強靭なる脚の"跳躍"で以って瞬時にその動きを成し遂げたという恐るべき事実が今、着地で押し潰される空気の流れによって証明され——。
(只の回避行動でなければ、"これ"は——!)
作られた風に揺れる黒髪。
意表を突かれた青年は自身が後手に回っている感覚を、まさしく先に動く敵の手の動き——"迫る巨大な鋏"によって実感。
("攻撃"の、ため——っ!!)
迫り来る次の手。
躱された鋏という攻撃の隙を、しかし即座に体を反対に入れ替えることで打ち消し——更には余る鋏での連続攻撃。
月光を受けて妖しく煌めく鋭利の刃、交差するその間に——女神の存在を収める。
「————っっ!!」
だが、自身の置かれた状況、敵の狙いを秒コンマ遅れて察した青年。
人を超えた反射神経を持つ今の彼女は決断的判断で自らの反撃を断念し、足に集中させた青の神気——急いでそれを放出。
まさに首の皮一枚、身に触れる紙一重の差で鋏の間から脱出を果たし、後方へ飛び退く最中——直前までの立ち位置で迷いなくに閉じられる鋏、大木を容易に消し飛ばす様を目にする。
「っ——はぁ……はぁ、はぁ——」
地面を削りながらの着地。
分かり易い痛みはなくとも、"予想を上回り続ける敵の攻勢"は心に痛く感じられ。
(——敵の勢いが増している)
心の何処かの隅で、怪物を『たかが甲殻類』と考えてしまっていた青年は猛省、更に高く見積もる敵の力量。
だがまた、後手に回る現状を打開しようと攻勢に出るため、先んじて足を踏み出さんとするが——。
(水が——来る——!)
再びに聞こえ出す空気吸引、水圧縮の音。
口から漏れ出す泡と飛沫の収束し、線の刃の攻撃としての形を与えられて射出されるのを見て取り、その向かう先で青年は踏み出すための力を横方向へ出力。
動きの起点を狙った縦に一閃の水の刃を見た目は小気味好く、けれど内心は恐る恐るに回避。
(次は——横——!!)
間、髪を容れずに描く方向を変える刃。
縦の攻撃を避けて横に逃れ、今も無防備に身を浮かす女神を——怪物は"返す刀"で狙う。
地面に対して水平の、薙ぎ払う水刃——強襲。
「——っ!」
「——ひ——っ」
主要の的である青年——噴き出す水で宙を蹴って回避。
射線に立っていた投石中の美神——慌てて地面に突っ伏して回避——切られた黄褐色の長髪は再生。
(攻めっ——られない——!)
息をつく暇もない波状攻撃、活動に呼吸を要する生物であれば間違いなくに動きは止まり粉微塵になっていただろう状況で、青年は本能的に考える——『このままでは埒が明かない』と。
生まれて一週間と経たぬというのに、いや——であるが故に戦いの中で学び、"成長する怪物"にこれ以上の時間を与えるのは得策ではなく、悪戯に時を進めるだけでは体力の限界を迎えた"患者たちが死に絶える"——『急がねば』と。
だが、執拗に優先対処の目標として青年を狙う怪物はやや離れた場所で何やら光るイディアには目もくれず、永久機関の解体・停止を目的とした殺意の連続攻撃——川水の女神に反撃の隙を与えようとはしない。
(でも——っ!!)
夜の泉で発光するだけの羽虫のように無害な女神と、堅固なる甲殻に傷を付けた女神では後者の方がより危険であることは最早"自明の理"であり、よって育ち盛りの怪物を相手取るにあたって青年が選ぶべきだったのはやはり"初手の奥義"——遭遇直後に最大威力、"必殺致命の一撃を
(——攻め——ない、と——っ!!)
だがそれでも諦めない——諦められない女神は空中で右の拳を握り、体内で流体高速循環。
「————ッ!!」
苦し紛れに、それでも問題解決の糸口を求めて繰り出す攻撃。
青の気を纏う右手から投球のように投げ放たれるのは圧縮された水の塊。
(そして——!)
その水の着弾を待たずして、着地を終えた青年は駆け出す。
怪物は自身に差し向けられた遠距離攻撃を複眼で正確に捉えようと一時的に攻めの手を緩め、女神は狙い通りに動きを止めた敵のその僅かな隙に乗じて腹下に潜り込もうと駆ける。
正面からは口よりの水の刃、側面からは鋏の振りが待ち受けることも考慮——怪物の後方目掛けて弧を描くようにして回り込む。
(——ここだ!)
そうして、完全なる敵の背後。
歩脚の間に飛び入ろうと——女神は前に跳ねる。
だが——"怪物も跳ねる"、"上に"。
「——!?」
天高く跳ねた怪物はそれによって飛び道具を回避、巨体で今日一番の跳躍。
驚く青年の見上げる先、僅かである筈の滞空時間で真下の
(——跳んだ状態から攻——撃——!?)
咄嗟に蹴る地面——抉られる。
空中から水の刃で狙われた青年は敵の動きを具に観察していたために避けられたが、"しかし"——大きな音を立てて大地に着地を果たした怪物、既に女神を正面に据え、次弾——装填開始。
「くっ——!!」
(隙が——作れない——!)
女神に舌を巻かせ、執念深くに"殺意"は柱の影を追い続ける。
————————————————
一方、女神イディア。
「——っ!」
怪物と青年が共に攻撃とそれに対する見事な回避で応酬を続ける最中、彼女は彼女で奮闘。
横に伸びた水刃を躱した時のように守護神仕込みの回避術で度々に迫る巻き添えの危機も避け、しかし出力故に有効な攻め手を持たない女神。
「くっ……!」
「まるで、効果が……——!?」
投石や意図的な光の明滅によって怪物の気を引き、示し合わせた通りに囮の役を務めようとしていた彼女、その頭上——またも水が通過。
直接的な戦闘に参加せずとも危険には変わりない立ち位置でそうして努力を重ねてはきたが効果は全くと言っていい程になく——敵の眼中にあるのは青年のみで。
「他に、使えるものは……——」
異彩の髪を恐怖や不安や心配で、濃淡様々の緑に染めながらに迎える"手詰まり"。
彼女に残された有望の手段は——"奥の手"ぐらいのものとなる。
「…………」
故に、今一度に整えんとする心。
雲間から覗く月光に照らされる表情は悩ましげ。
"自己に危険の生じる可能性が高まる"選択をするため——呼吸を一つ。
目前で戦いの起こる切迫した状況でも、イディアは自身にとって必要となる決意を備えようと、一瞬の間を置くが——。
「——ぐっ——っ!」
「——!」
聞こえた苦痛の声。
頰を掠めた水刃の、それによって青の血を流す青年の——負傷する友の姿が加速させる決意。
「——やるしか、ありません」
「友を失う恐怖に勝るもの……それは、"自己の喪失"——いえ、
死闘に臨み続ける確かな名も知らぬ青年という友を助くため——女神は意を決する。
「女神、女神イディア」
瞑目しては恐怖に揺れる心を鎮め、独りごちる。
「"今の私"は、"貴方"は美の……美を追い、探し求める女神であって——」
「ならばこの先、"これより"は……?」
抱える苦悩を表出させ——。
「貴方は一体、何者か?」
「私……私は何故この場所に? 何の理由で存在しているのか?」
「それすらも分からぬ"己"は、"自分"は、"私"は——」
「"わたし"、は——」
崩壊の際で
見開く瞳は一度、黒で白で灰色に染まる。
始めよ、探して選べ——女神。
限りの無い彩りの中から"成りたい姿"を、"在り方"を選ぶのは他の誰でも無い——自分自身なのだから。
「——私は誰だ」
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