『第十一話』

第二章 『第十一話』


 灰色の雲に覆われた空の下。

 野山と丘を走り抜けた青年は問題の都市に到着。

『病の流行』という穏やかでない祈祷内容の真偽を確かめるため、足早に壁内へと足を進める。


(……人が少ない)


 そうして内部へ進み入り、はやくも覚える違和感。

 今は夜ではなく昼だというのに、道を行き交う人々の姿がまるで見えず。

 通過する広場——平時ならば食材を求める人で賑わう都市の中心部も、風切る音が静か過ぎて。


(…………)


 青年の中で静けさの思わせる"波乱の予感"がにわかに現実味を帯びて行き、『嘘』や『勘違い』を微かに期待していた彼女は色を失う。


(……とにかく、今は先生の下へ)


 足の運びを早め、向かおうとするのは病院。

 親交のある姉弟の方へ先に駆け付けたい気持ちもあったが、冷える心は現状の把握を優先。

 仮に、"恩人である少女の再び窮する姿を真っ先に見てしまえば精神的動揺が大き過ぎる"とも判断し、正確な情報と希望に繋がる対応策を求め、向かう。

 既に視界に捉える円形の建物、その中に居るであろう医師を求め、駆ける。



(都市に、都市の人々に一体、何が——)



 逸る気のまま、目前で急停止。

 急ぎ、目的の建物へ飛び込み——。




(————っっ! こ、れは……——)




 真っ先に鼻腔を刺激する——"酸の匂い"。

 幸いに病人と激突することはなくとも、いや——ともすればそれ以上に"悪い状況"を嗅覚に遅れた視覚と聴覚も捉え——女神は病院内部の"惨状"を認識する。




(——祈りの内容は、"嘘じゃなかった"……っ!)




 見えた光景——寝台は勿論、壁や床にまで体重を預け、ぐったりとした様子の人々。

 耳に聞こえるのは彼らの荒い息遣いと、液体の落ちては撥ねる音——嘔吐の声。

 姿を消した者共はここに居た。

 鼻をつく胃酸の匂いに思わず顔を覆う青年の前、肩を上下させながら苦しみ悶える"病の患者たち"は病院でひしめいていたのだ。



(そん、な……どう、して——)



「——!! 貴方は……!」



 冷静に努めていても大きく揺れる"青年"の心。

 思考を真白に染め、襲う立ち眩みに体さえ傾いては、辛うじて出入り口を手で掴んで支えとする"女神へ"——掛かる声。



……!」



 見知った女神を視認して早足で近付いてくる声の主。

 それは白衣を着込み、手袋をはめ、布で口元を覆っては同様の身なりの人間たちに指示を飛ばしていた——他でもない彼自身も患者の治療にあたっていた医師——医師のディクソン。



「あ……先生! こ、これは——」

「今から説明します。ですが念のため、今はこれを」



 額に汗を滲ませるディクソン。

 彼は腰に下げた袋から真新しい布を取り出し、それを青年に手渡す。

 そして動揺を隠せないながらも、女神の方も即座に手渡しへと応じ、頭巾を被ったまま布を見様見真似で口元に装着。

 都市の祀る川水女神の顔貌を上と下から覆い隠す。



「か、川で巫女の話を聞いて慌てて飛んで来たんですが、これは一体……」

「説明します。こちらで話しましょう」



 医師は患者たちの居る空間とは扉で隔てられた個室に女神を通し、他の医療従事者にいくつかの声を掛けてから語りを始める。



「——結論から言いますと、都市の人口の凡そ三分の一が急性にして悪性の伝染病——

「——!」



 単刀直入に事実を告げる。



「多くの人に症状が現れたのは昨晩です。既に不要不急の外出を控えるよう都市には伝え、患者の増加自体は抑えられていますが——"現状の事態は深刻です"」


「主な症状は激しい"嘔吐"、及び"発汗"による『脱水症状』です。体温は高くなく、むしろ低体温に陥り、免疫力も低下——」


「——私の知る中では南方の風土病である『水失病すいしつびょう』に酷似していますが差異も多く……悔しながら、病名の特定・断定には至っていません」



「……治すことは、出来るんですか?」



 医師に問う青年、悲痛な面持ち。

 彼女がこの部屋に入るまでに目撃した患者たちの中には、名前こそ知らねども見覚えのある者も存在していた。

 軽重の差はあれ、その多くが体の水気を失い、張り付いた骨の表皮に浮き出る様は痛ましく、苦しみに上がる呻き声は耳にするだけで精神が磨り減る——地獄の様相。

 唯一の好材料は『その中に姉弟の姿が見えなかった』ことだが、苦しむ患者を前に個人の事情を優先して安堵を覚える心——青年には己が"浅ましく"感じられた。

 故にそうした薄情への"自戒"の意も込め、彼女は問題の早期解決の糸口を探るべく——女神としての情報交換に臨む。



「……水失病も今回の病も、人命を脅かしているのは"急激な脱水"です。二、三日の間、水分補給を欠かすことなく適切に行えば——"命の危機を脱することは出来る"と、私は考えています」

「それなら、水分補給をすればこれ以上の悪化は……」

「……そうなのですが、その前にいくつか——"問題"があるのです」



「問題……それは、どういう……?」

「それについても説明します。至急解決すべき問題は——大きく分けて"二つ"です」



 予断を許さぬ状況でも理路整然と説明を行う医師——彼に感化された青年も惑う表情をせめて険しくも力強い真剣の色に固定。

 聞きに徹し、現状を表す説明の理解に努める。




「一つ目は『水の不足』です」


「——飲用にしても洗浄用にしても、"清潔な水"が足りていないのが都市の現状です。井戸を通して地下から汲みあげるにしても限度があり、次点の川へ往復するとしても時間と労力が掛かり過ぎる。このままでは数日中に利用可能な水資源は枯渇してしまうでしょう」


「よって、最優先で対処すべき問題がこの"水不足"です」




 第一に解決すべき問題は『水の不足』

 "水"という語を耳にして青年は川水としての己が役に立てると思い目を見開くが、今は口を挟まず。

 次に語られる第二の問題を聞く。




「そして、二つ目は"糖"——分かり易く言って『砂糖の不足』です」


「——治療に用いる飲料水はただ清潔なだけではいけません。詳しい説明は省きますが此処では"塩と砂糖"を必要とします」


「塩については岩塩が産出する近隣の土地柄故に余裕はあるのですが、塩よりも量を必要とする砂糖は一帯でのまとまった採取が難しく、取引価格も高価。それに何より——先の飢饉を経たことで今は備蓄も殆どありません」


「限られた時間の中、植物から糖を確保する方法も進めてはいますが量は心許なく。よって、調達は外部を頼ることになります」




「——既に砂糖は勿論、同時に水の供給を目的とした支援要請を他の都市や集団に求めてはいますが……はっきり言って、必要な分が間に合うかどうかは"非常に危うい"のが、今の状況です」




 視線が床を向くディクソン。

 強く握られた拳は震え、己の無力感へ憤り——しかし病魔から人々の命を救うため、説明を終えて直ぐに次の行動へと移る。



「……大まかな説明は以上です」


「そしてお話した通り、兎に角——今は時間が惜しい」



 医師は伸ばした両手を腰下に添え、そのまま深く——"女神"に向かって頭を下げ、"願う"。



「……ですので、単刀直入に願わさせて頂きます——女神」


「私はのちに何であっても捧げる覚悟です。ですのでどうか、今一度——」




「貴方の力を都市のため、人々のため——お貸し願えないでしょうか」




 求められる協力。

 文脈から察するに水神の力は水を要する現状で大いに役立つことが予想される。

 医師は女神の持つ権能を頼ろうと言うのだ。



「……どうか、どうかお願いいたします。私たちだけで、この苦境を乗り切ることは——」



「……顔を上げて下さい。先生」



 ならば、その請願を聞き入れるかどうか。

 選択の決定権を持つのは願い頼まれた当事者の青年であり——だがしかし、彼女は悩む素振りを殆ど見せず、沈黙を破ることにした。



「話は大体、分かりました。確かに今の状況なら……"自分"が力になれるかもしれません」

「……では……」

「——"はい"」



 そこに深い理由はなかったのかもしれない。

 いや、寧ろ"呆れるような私情"が肯定を返す理由で——ただ青年は目の前で起ころうとしている

 己は勿論、家族をはじめとした他者が病の苦痛に苛まれるのもで、いつかした妹の看病で効果的なことが何も出来なかったのも

 それらの過去の思いが今の患者や医師たちの苦しむ姿に重なって、他の誰でもない"自分の心が軋む"から——応えることにしたのだろう。



「——なので早速、詳細な指示をください。先生」


「貴方の判断が今の自分に、何より人々には必要なんです」


「"今の自分"に出来ることがあるなら、喜んであなた方に協力させて頂き、そして——」




「必ず——


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