『第六話』
第二章 『第六話』
(食料を卸して、薬草も渡し終わって)
(次は……——)
今回の都市訪問における用件の過半数を終えた青年女神ルティス。
今朝と比べて軽くなった荷物袋の重みを背に病院を出た、その足で次に向かうのは"居住区"。
(——"お裾分け"をして、今日の用事は終わり)
中心部を離れて人気の減った道を行き、間もなく——目的地へと到着。
(その後は……何をしようか)
そこは既に、一つの家の玄関口。
"私用"のため出掛けたアデスにより長めの自由時間を与えられた青年。
自習以外での暇の活用方法を思案しながらも、今は——人を訪ねて戸を叩く。
「——こんにちは〜! アイレスさんはいらっしゃいますでしょうか……?」
介抱の恩ある少女に、何度目かの"恩返し"をするために。
————————————————
「……すみません。わざわざ中にお邪魔させて頂いて」
「いえ。大した持て成しは出来ませんが、
「——今日はせめて『そのお持ち下さった恵みを共に分け合う機会を』と思い、
「わ、分かりました」
歓待の言葉を述べたアイレスはペコリと一礼。
その容貌に先の渇きや疲労困憊の隈はなく。
キビキビとした足取りで家主の少女は青年から受け取った返礼品——円筒状の布に包まれたチーズを手に台所へと姿を消す。
(悪い気がしていつもは断ってたけど……)
蓑と頭巾を取り去り、揺れる総髪。
神獣撃退後、度々の細やかな食料供給や医療支援によって復興の一助となっていた青年。
何ヶ月か前と同じ位置で椅子に腰掛ける彼女は今回、私的な恩返しのために少女の下を再びに訪れていた。
(……今日は押し切られちゃったな)
その恩返し、返礼品の持参は何も今に始まった訳ではなく。
『(学びに)忙しい』ことを理由に少女の持て成そうとする好意をこれまで何度も断っていた青年であったが——今は先述した通りに手持ち無沙汰。
"既に嘘を信じさせてしまった少女"に対して更なる嘘をつくことは気が憚られ、煮え切らない態度を熱心な引き止めによって押し切られた彼女はそうして——持参した食料を姉弟の家で共に食す機会に身を任せる。
(まぁ……流石に、何度もお断りするのもそれはそれで申し訳ない)
(……今日は丁度良く時間もある。大人しく彼女の好意に甘えさせてもらおう)
(……二人での暮らしが大丈夫なのかも心配ではあったから、無事を確認するいい機会でも——)
「——はい! おきゃく様のグラスです……!」
「あ、ありがとうございます」
(……弟……さんも元気みたいだ。よかった……)
食器を配る少年オリベルを眺め、安堵の笑み。
人の行き交う場で好転の変化を感じ取っていた青年ではあるが、間近で見る姉弟の健やかな姿はやはり微笑ましく。
完全にとは言えずとも戻りつつある髪・肌の艶、肉付きの良さは——都市が危難の正念場を乗り越えた事実を言葉よりも雄弁に語っていた。
それは即ち、青年女神の奮闘が一定の実を結んだことの証明でもあり、"失われなかった日常"の暖かさに抱く『喜び』と——僅かな『妬み』。
("本当に"……『よかった』)
そして——"浅ましさに刺す胸中の痛み"。
料理を載せた皿を手に戻る少女の姿を捉え、青年——己に『祝福せよ』と言い聞かせ、その場に適した"笑顔の仮面"を被り直す。
「——お待たせしました」
「……有難うございます」
目前の台の上に置かれる丸皿。
その上に載るのは薄く切られた白と灰色混ざったチーズと、一枚の素朴なパン。
「いえ。……さ、オリベルも座って」
「はーい」
今回は
人数分の食べ物をほぼ等しく出すことの出来る状況が今は"何よりもの幸福"であり。
(……でも、"自分は空腹で飢えることはない")
(残すことが美徳とされる文化もあるらしいし、そう言ってそれとなく俺のを彼女たちの分へ——)
この期に及んでも尚、姉弟に気を遣おうとする青年は居たが。
恵みの中で自然と緩む頰で席に着いた二人と一柱はそうして食前の祈りを捧げ終えた後——食事の時が始まる。
「……丸太のように太いチーズでしたのでやはり、私たち二人では食べきれません」
「ですので、我らを助けるものと思い、貴方もどうぞ遠慮なく——お召し上がりください」
「……分かりました。では早速、お言葉に甘えて——最初に頂かせてもらいます」
「はい。是非にどうぞ」
客を優先しての態度を示す家主アイレスに一応の確認を取り、青年は皿へと手を伸ばす。
そして彼女のしなやかなる指の動き、先ずは持参の品へ。
(……『ある程度保存が効くから』と思って持ってきたチーズ)
(やっぱりちょっと……臭い)
摘んで取り、口元に寄せたのはチーズ。
鼻をつく独特の"酸っぱい匂い"が特徴的な——
それは青年が今日より少し前、山脈付近で遊牧民との物々交換で手に入れた物。
(癖もありそうだけど……物は試し)
「——……いただきます」
"獣臭い"とも形容できようか。
空気の淀む様さえ幻視するような匂いの元を、そうして青年——齧り、口内へ。
(……なんだろう……)
「——少し癖があるかと思いますが、美味しいと思います。お二人も、是非」
「はい。では失礼して——頂きます」
「いただきます!」
(単体だとヨーグルト……酸味の効いたプレーンのヨーグルトみたいな……?)
隠すのは、いまいち釈然としない心の表情。
ともすれば『返礼の品としては不適切だったか』と案じ、姉弟の様子を横目で見遣るが。
「——おいしい!」
「——! おいしいです……!」
第一声、思いの外——"高評価"。
「こんなに素敵な物を頂き、本当に有難うございます……!」
「……お口に合う物で良かったです」
(そ、そこまでだろうか……?)
目を見開いて下される程の美味の評価に首を傾げ、己と姉弟の間に見られる"感想の差異"についてを考え——理由を探す視線は二人の丸皿へ。
(……あぁ。パンと一緒に食べるのが普通的な……)
千切られたパンと——今まさに千切ったその上にチーズを載せて口へと運び、舌鼓を打つ少女の姿から差異の理由となる答えを予測。
同様の食べ方を己もと思い立ち、模倣。
(……?)
(……確かに何か、合わせるものがあれば酸味も緩和されて、美味しくはなったけど……)
しかし予測、完全には的中せず。
『"飽食の時代で生まれ育った己"が此処では特別なだけかもしれない』と、ぼんやり暫定的な考えを浮かべる。
(初めて食べる味はこんなものかな……?)
(舌が慣れれば、もしかして癖になるのかも——)
そして深まる謎の霧を払うように、初の奇妙な後味を濁そうと手に取るのは杯。
その中を満たすのは紫色——すり潰された葡萄の果肉が食感に面白き飲み物——謂わば『ネクター』
流されるまま、今もパンとチーズを咀嚼する女神の口へと迎えられ——。
(…………? ——)
混ざり合う——"三つの味"。
(————!!)
単体では"酸味"が強すぎたチーズの主張を受け止め
、和らげる——素朴なパン。
また、葡萄がもたらす濃厚果実の"甘味"が全体を包み込んでは溶かし、曖昧とする境界線。
時に交互に、時に一緒で訪れる——"酸味と甘味の飽きさせぬ連携"の美味。
「————」
回転めいて撫でる女神の舌。
伝わる味の"劇的な変化"。
(——……"しい")
頭を悩ませてばかりいた青年。
舌を通じて"鬱積と苦悩の心"を洗うように揺り動かされ、ふと思い出すのは"味という概念"——"自分に味覚が備わっていたという事実"。
延いては非日常が連続する中で——"忘れていたものたち"。
「……い、です」
『笑顔の他人と囲む食卓はこんなにも輝いていたのだろうか』、『暖かったのだろうか』
「……おいしい……」
「おい、しい……です……っ」
"遠ざかった過去を確かめる術はなく"。
夢と現——意識さえも混濁。
最早感じた衝撃で味も分からず。
「本、当に——」
今や過去の記憶は"ぼやけ"、家族の詳細な顔形すら——。
「——"美味しいですね"……!」
——分からなくなってしまったのだから。
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