『第五話』
第二章 『第五話』
「いつもありがとうねぇ」
「いえ、こちらこそ。いつも助かってます」
黒の蓑と頭巾で身を覆い、背には大きな荷物袋を背負った者が手で受け取るのは鈍色——"狼と丸盾"の意匠が施された"硬貨"。
それを手渡した中老の女性の側には茎の長い山菜たちが束になって台上に置かれており、どうやら山菜と硬貨で取引が行われていたようだ。
「若い
「……大丈夫です。一応"鍛えてはいる"ので、なんとか」
案ずる言葉を掛けられて僅かに眉根を寄せるも直ぐに口元で『たはは』と笑顔を繕うのは青年——正体を秘した女神のルティス。
荷を卸した彼女が立つのは都市ルティシアの中央広場兼の
晴天の今日、内外問わず人々に開かれた都市の中心部に青年が足を運んだのは、飢饉を経て復興を続ける都市への——ささやかな"食料支援"のためであった。
「……とは言え、高く買い付けてやれないのはやっぱり悪い気がするよ……日銭は足りてるのかい?」
「それも、はい。大丈夫です。"あまり使わない"ので」
「そうかい? ……ウチも騒ぎの後でしてやれることはあまりないけど、飲み食いや寝るのに困ったら頼っておくれよ。それぐらいは……ね?」
「! あ、有難うございます——!」
神獣と飢饉の騒ぎから負けずに立ち直りつつある市場には多くの商店が戻っては立ち並び、都市の風景を活気のあるものに演出。
広場は昼前の食材を求める人で賑わい、響いた青年の感謝の声も雑踏に紛れて消え行くほど。
「——おぉっ、元気ないい声だ! 老い先短い婆さんのアタシには、アンタのその若さが羨ましいほどだよ……!」
「そ、そんな、貴方もそこまでは……」
「ハッハッハ……! ちょっとした冗談だよ、冗談! 確かに、老け込むにはまだ早いさね。気を遣わせちゃってすまないよ」
「——まぁ兎に角、困った時は今のようにお互い様だ。さっきの頼りの話、覚えといてくれよ」
「は、はい。かたじけない……です!」
明瞭にものを語る店主は老いを感じさせない親切な女性。
青年が"訳ありな外部の商人"として振舞っていたこともあり素性を互いに詮索しようとはせず、同様の理由で互いの名前さえ知らずとも——しかし、以前に勝手が分からぬ青年の、その戸惑いながらも初めて持参した食料を快く買い付けてくれたのが中老の彼女であった。
以来、青年はルティシアに訪れる度に同じ場所に品を卸す——謂わば"ちょっとしたお得意様"の関係を相手との間に築き、"その関係"は未だ都市経済の動向に疎い青年にとっては目利きの出来る善良な"人間との貴重な繋がり"で——"大切に思うものの一つ"ともなっている。
「——うん。それじゃあアタシも張り切ってお仕事しないとだ」
「若いアンタ、次も宜しく頼むよ!」
「はい。此方こそ、またお願いします!」
朗色で振り合う手と手。
次の用事を済ませようと広場を後にする青年のその腕——手首で輝く黄褐色。
そこには経緯を聞いた師より着用を勧められた『腕輪』——"イディアと名乗る女神からの贈り物"が琥珀を掲げて、瞬き光る。
————————————————
広場を後にして数分後。
「——こ、こんにちは〜……」
控えめな声量で自身の到来を告げる青年が進み入ったのは円形の建物。
その内部では円に沿うようにして簡素な寝台が並べられ、空間は細かく物干し竿に掛けられた布で仕切られている。
そして静謐の中で耳に聞こえるのは咳き込む声や鼻をすする音であり、どうやら此処は体調の優れぬ者が回復のために集まる場——"病院"であることが沈んだ空気感から察せられるだろう。
「す、すいませーん……」
そう言った場であるが故に発する息や足の音に気を遣いながら青年は中を進み、中央の柱に併設された台——"受付"に当たる所へ向かい、人を求めて声を掛ける。
先の騒がしい広場を離れて真逆の雰囲気に足を踏み入れた彼女はこの病院に——"ある人物"を訪ねに来たのだ。
「——こんにちは。お待たせしてしまったようで申し訳ありません」
「い、いえ」
「本日は、どのようなご用件でしょうか」
すると、青年の呼び声を耳にして棚での物品整理を中止した一人の女性が現れ、受付の台を挟んで声掛けの理由を伺う。
清潔な動き易い白衣に身を包むその者は医師の補助を生業とする"看護師"である。
「あの、医師の先生に頼まれて薬草を届けに来た者なんですが……」
「……! でしたら、先生からお話は伺っています。いつもいつも、ご苦労様です」
「いえ」
「ですが先生は今、午前の診療が長引いていて……少々お待ちになって頂いても宜しいでしょうか?」
「分かりました」
(……やっぱり忙しいみたい。かといってこれ以上遅く来てたら、お昼ご飯の時間が——)
今は急ぐ理由もなく。
師より自由を与えられている青年は看護師に軽く会釈をした後、身近な椅子に腰掛けて待とうとするが——。
「——ふぅ……。では、昼の休憩に出てきます。何時もの場所に居るので、緊急時は——」
「——あ、すいません。たった今、丁度終わったみたいです」
幸運にもその必要はなく。
横を向いた看護師の後ろ、病院の奥の部屋から一人の男性——青年が探していた壮年の医師が姿を現わしたのであった。
「では、行ってき————貴方は……」
「こんにちは。ディクソン先生。頼まれていた物をお持ちしました」
病院の出入り口に向かおうとしていたその医師は蓑を被る青年を——いや、"女神を見る"や否や足を止める。
何度目かの顕現に未だ慣れずに驚いて、ズレる眼鏡の位置を畏まった動作で直すその優男こそ——先進都市で学を積み、優れた医療知識・技術を持つに至った人間——『ディクソン』と言う名の医師であった。
「これは、これは……ル——いえ、
ディクソン、対面する相手の秘する名を口にしかけ、一音だけで踏み止まる。
「……本来ならば私の方から向かうべきものをご厚意でお持ち頂いて……心の底から、頭の下がる思いです」
「そんな、先生こそ都市の復興をご厚意で助けてくれているんです。礼を言わなければいけないのは"お"——自分の方もです」
というのも、ディクソンにとって"青年が女神であることは既知の事実"であり、これ以前に両者は面識があった。
師たる女神アデスより『神だと知る人を知れ』と課題を仰せ付かった青年は丁度よく療術に必要となる薬草を求めて川近くの山に踏み入った医師と知り合い、培った土地勘と知識で採集を助けていたのだ。
また、相手のディクソンが半神を医療の師として学んで超人慣れしていたことや、"人を助く神の実在"の目撃経験があることも相まって話は円滑に進み、一人と一柱は『都市ルティシアを助ける』という共通の目的の下で以後の協力を誓い合い——今に至る。
「御言葉、恐悦・至極に存じます。ならばやはり此度の恩情は命ある限りに忘れず。我が
「い、いえいえ。そこまで畏まらずとも大丈夫ですし、先生はもう既に十分、都市の人々の助けになっていると思うので、その……どうか、顔を上げてください」
背景に飛ぶ汗が見えるかの如くに焦る女神はしかし表面、楚々柔和。
師の課した『
「それであの、早速——持ってきた薬草の確認をお願いしたいのですが……」
「あっ、そうでした。では、頂戴して……手短に済ませます——」
青年の下ろした荷物袋から取り出された包みをディクソンが開き、中身を改める。
「——これは解熱に……こっちは神経痛を……火傷用に……発汗作用があるからして……——」
独りごちる医師の眼前。
そこにはギザギザした葉のツンとした匂いが特徴の香草や棘のある肉厚の葉を持つ多肉植物などの薬草は勿論、黒や茶色の大小様々な種子や樹皮といった療術に活用可能な多種多様の植物が集められていた。
それら全て、ディクソンへの協力を申し出た女神が彼の要望を聞き、川や森、野山を駆け回って採集した物である。
「——確認が終わりました。十二分に私が求めていた物が揃っています」
「改めて再度、貴方の助力に感謝を」
「此方こそです。先生が飢饉の話を聞き付けてルティシアに来てくれたから、人々も早く元気になれて……自分だけではどうにもなりませんでした。本当に有難うございます」
向き合い、両者は頭を下げあって感謝の意を示す。
医師ディクソンは神獣の脅威が去ってまもなくに疲弊したルティシアを訪れ、食料と栄養の不足によって衰弱した人々を治療、その他の傷病者の回復も助け——都市の復興に大きく貢献。
更には未だ信頼の置ける医療知識・技術に乏しいこの辺境の都市に滞在し、同業者や後進の育成に努めてもいる。
先の一件で体のみならず心にも傷を負った人々も彼という名の知れた名医の到来を喜んでおり、青年の言葉通り、"ディクソンという優れた医師の存在なくして今日の賑わいは有り得なかった"と言えるのが今現在の事実なのだ。
「貴方のような方にそこまで言ってもらえると……私も、師に良い報告ができそうです」
「いえいえ」
「私の方は今暫くこの都市に滞在するつもりですので、何かお力になれることがあれば、なんなりとお申し付けください」
「……分かりました。自分の方でも可能な限り先生や都市の人々を助けたいと思うので、また必要な物や事があれば教えてください。定期的に顔を出しますので」
「はい……!」
そうして、自分の用件を済ませた青年女神は
「お時間を取らせてしまって申し訳ありませんでした。それで先生は、昼食の方は大丈夫なんですか?」
「……そういえば、そうでした」
「医師である私が食事を抜いて体調を崩してしまったら本末転倒、治るものも治らなくなってしまいます。ですので、午後のためにも本日はここで失礼させて頂きたいと思います」
「はい。どうか先生も、体にお気を付けて」
「では、良き日をお過ごしください」
「そちらこそ。では——」
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