『第四話』

第二章 『第四話』



(——!)



 背面、及び足裏から水を放出。

 星の重力に抗って飛ぶ青年女神、空に逃れた灰色の鳥との距離を一気に詰め、そして——。



(——やった……!)



 嘴に下げられた包みをするりと掠め取り、見事——奪われた老婆の荷物を取り返したのだった。


(間に合って良かった……)


 取り返した荷物を落とさぬよう脇に抱き抱え、星に引かれるまま落下。

 悔しげに鳴いて飛び去る鳥の背を見送り、女神は二本の足でしっかりと着地。



「——取り返しましたよ! お婆さ——」



 そうして、"喪失を回避"——荷物の奪還を持ち主の老婆に嬉々とした様子で報告しようとするが。



「——あっ」



 だが彼女は自身が見せた一連の"人間離れ"した動きを思い出し、間の抜けた声を漏らす。


(し、しまった……!)


 大の大人二人分を優に超えた高さを跳び、飛び。

 しかも"空中を蹴った"かのような二段の跳躍を披露してしまった青年、顔を伏せ。

 必死に言い訳を考えだそうと頭を捻る。


(——や、『山育ちだから』……は流石に……)


(なら、『実は妖精』的な……のも、キツい……)



(いっそ、『女神的な存在』だと言って——いや、言わずに去った方が——)



 あれでもない、これでもない——悩む青年。

 師曰く——『人の振りをして人を襲う者もいる』とのことであり、今更人間だと言い張るのも不自然極まりなく。

 だが観念して正体を明かそうにも、自らの口から"女神の名を自称する"ことは青年にとって憚られ。



(荷物を返して、一言謝って……姿を隠そう)



 窮する心情が下した決断に従い、包みを戻そうと泳がせていた視線を戻そうと——すると。



「……かたじけなく存じます。素敵なお方」



 意外にも老婆は慌てず、丁寧に一礼。

 腰を抜かすようなこともなく、寧ろしっかりとした足取りで歩く。



「……不注意にも溺れた私を助け、川の渡りまで手伝ってくださり、その上……荷物まで取り返してくれるなんて——」


「本当に……本当に——有難うございます」



 そうして、憚ることなく告げられる感謝。

 今や老婆は歩み寄り、目を点とする青年の目前。



「……で、でも、『俺が何者なのか』とか、気にならないんですか……?」

「……?」



「"怖くはないんですか"……?」



 老婆のあまりにも一直線な、疑う気のない感謝に打たれ、却って口にしてしまう疑問・不信感。



「……"怖い"? 何故ですか……?」

「だって、さっきの俺はどう見ても動きをしてて——」



「……もしも、"俺が悪いことを考えて姿を真似ているとしたら"——」



「……そうなのですか?」

「いや、そんなことは全然……ないですけど……」

「私は、貴方を怖がってなどいません」

「それは、でも……」



 たじろぐ。

 何故、名乗りもせず素性も明かさない相手を——"この老婆は信用してくれるのか"。

 いくら老成していたとして、"人外の化け物"を目の当たりにしながら何故——"狼狽えぬのか"。

 青年には分からなかった、納得がいかなかった。

 老婆の荷物を手に、晴れぬ表情で立ち尽くすばかりであった。



「……それに——」


「たとえ、貴方が"人間"で、若しくは"そうでない誰か"だとしても——」



「私は——"私のために行動してくれた貴方に"、心からの感謝を伝えたかったのです」



(……!)



 語りながらも青年を追い越す老婆。

 それを振り返って見る青年の視界は輝く赤に染まり、気付けば開けた森の先、丘の向こうでは燃えるような夕陽が顔を覗かせていた。



「……まもなく、都市が見えてきます」



 あまりの"眩しさ"に腕で日除けを作り、顔を顰める青年。

 半ば、既に人外としての正体を明かしてしまった女神はそうして——惑いの中でも"せめてもの行い"として相手を安全に送り届けようと、陽光を背にする老婆へと語り掛ける。



「なので、せめてその場所までは、同行して案内を——」



「いえ。私はここまでで大丈夫です」



「……」


(そう、だよな……。そこまでの信用は——)



 森を抜けたことで直接に吹き付ける風が眩しさと相まって青年に両腕を使わせる。

 それにより、唯でさえ逆光を背にして見え辛い老婆の姿はより一層不明瞭となり——"折り曲げられていた背筋が真っ直ぐに伸びた"ことにも、青年は気付けず。



「……"それよりも"——」



 風に乗って運ばれる声色の——その"若々しき波色"についても、同じく。




「最後に——"貴方の名前"を、教えてはくれませんか?」



(名、前……)




 そして尋ねられたのは"名前"——未だ答えの出せぬ問い。



「……名前、は……」

「……?」



 しかし言う口、淀む。

 自分が誰なのか——『誠』か、『ルティス』か。

 今の自分はどちらで、かつての自分は何処へ行ってしまったのか——『どうなったのか』

 魂が知っていたとしても、その答えを明言することは怖く。



(正直に……言おう)



 故に、考えを一巡させた後にゆっくりと口を開く青年は。

 先の老婆がそうしてくれたように、相手へと正直な気持ちを伝えるために——最善を尽くす。




「……実は、



「……それは……」



「正確には"どう名乗るべきか迷っていて"、"自分にもまだ——



「…………」




 無言で聞き入るのは老婆——いや、"かつて老婆であった者"。

『依頼された試す行い』は既に終わり、その輝く"審美眼"——黙して静かに、青年の苦悩を見つめる。



「自分が何者で、何処に向かえばいいのかさえ分からなくなってしまう時があって……」

「……」

「だから、申し訳ないですけど……名前をお伝えすることは出来ません」



「……変なことを言って、ごめんなさい。ですが今の自分が言えるのはそれぐらいで……取り敢えず、この荷物をお返しします」



 苦しくとも心情を吐露した青年。

 何者でもない己の支離滅裂な言動を後ろめたく、そして居たたまれなくに思い——取り戻した包みを持ち主へと差し出してはその後、足早に立ち去ろうと決心する。



「……思いを正直に伝えて頂き、有難うございます」


納得のいくものを、悩みながらに己自身を探す——旅路の途上に居るのですね」



「あの、荷物……」



 しかし、差し出される包みを老婆?は受け取ろうとせず、指を立てた手でそれを静止しながら言葉を続ける。



「そうとは知らず、貴方を苦しめるような問い掛けをしてしまいました。加えて、試すような真似をしたことも同時にお詫びします」


「本当に——ごめんなさい」



 そして、一礼。



「後日、改めてお詫びを、並びに礼をするため伺うと誓いましょう」



(荷物は……?)



「そして私に嘘偽りのないよう"誠実"な言葉を選んでくれた貴方に——贈りたい物があります」



「一つは"一輪"。すみれの花です」



 今や、唖然とする青年よりも目線を高くする相手から手渡されるのは"花"。

 その染まる色は白く、五枚の花びらから成る形は喇叭らっぱのようで。



「その花。本当は少し、時期に外れているのですが——」



「——『いつでも、どこでも、咲きたいように咲く』……そんな花があってもいいと、私は思います」




「あ——荷物、荷物は……っ!」




 風、舞い上がらせる花吹雪。

 相手は尚も荷物を受け取る素振りを見せず、開く距離に青年は焦り、包みを掲げて声を張る。




「——荷物それも貴方に差し上げます。元より貴方に、"貴方の誕生を祝す"ために持参した物です。遠慮はいりません」



「——っ! それは、どういう——」




 "未知の権能"が姿を闇で飲み込んで隠さんとする間際。

 謎の女性の襤褸から覗く虹彩と髪は黄褐色が鮮やかに——前髪で混じる"異彩の髪"は黄色で緑色で、赤で青で、白くも見えて。

 青年の瞼越しに残される"無限の色"——"虹"の輝き。




「でしたら最後に私は——"私を想い"、、自らの名を名乗ります」




 残す言葉は『初めまして』の"ご挨拶"。




「初めまして。素敵なお方」




「私は『イディア』——『女神イディア』です」




 こうして出会った二者。

 その"再会"は——暫し先の事となる。







「どうか、貴方のこれからの旅路に——"幸多からんことを"——!」





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