『第二話』

第二章 『第二話』



(……この辺りにしよう)



 ゴツゴツとした足場、生い茂る棘持ちの木々に気を配り、風景に青年は目を凝らす。


(……"気になるもの")


 師たる女神によって川周辺地域についての調査を命じられたこの者——ルティス。

 山菜の採取で低地の方は既に親しんだ彼女はそれ故、未だ見ぬ新たな発見を求めて平時の活動域よりも標高が高い地域を調査対象の場所として選択。

 現在地の落葉樹林が針葉樹林に切り替わるかという植物相の境目で辺りを見回す。


(……といっても、何にしようか)


 背景には聞きなれない蝉の声。

『調査』といっても師は期間限定の弟子に対して特別に『課題』を設定した訳ではなく——。



————————————————————



『——本日は『実地調査』を行います』

『実地調査……ですか?』

『はい。貴方の神体である川、そして周辺の植物相及び動物相、それらを支える地形や環境などについて調査を行い、得られた情報や結果を私に報告してください』



『——『道は好む所によって安し』とも言います』


『よって、『ただ知る』若しくは『他者によって知らされる』よりも、『おのずから知りたい』という貴方の意を汲み、効率の良い知識知力の浸透を促したいと——』



『——なので、今回は貴方が『自由に知りたいと思ったもの』・『気になるもの』を調査対象として下さい』



————————————————————



 ——と、いった具合に。

 青年は己の興味・関心の自由を推奨された上で野に放たれ、『指定がない』ことの"開放感"と『自由選択の手間』に僅かな"煩わしさ"を覚えつつ。

 指示通りに調査対象を求め歩き、物思いに耽っていたのだ。


("気になる"……気になるといえば、やっぱり……)



("あれ"か……?)



 地面に生える植物を中心に観察していた青年は視線を上げ——遥か高くに並び立つ山々——人に『ヒドゥン』と呼ばれる"山脈"に目を向ける。



(相変わらず……でかい)



 この世界を訪れてから、常に視界の中にその存在を主張していた山脈。

 その大きさ——"標高"は青年が今までで実際に目にした物の中で最も高く、山脈を構成する山々の殆どが凡そ"八千メートル"を超える『霊峰』たち。

 その上部は生命を振り落とすかの如き急角度の斜面に岩肌、白い雪の粉を有し。

 現に植物の緑は青年が其処な環境へと近付く程に姿を潜め、言外に伝わる『生存の困難性』、『息衝くことの過酷さ』。

 辺りに目立つ動物の姿も現状では見当たらず、この地が『確かな理由』なく訪れるべき場所ではないことを流れて来た"夏の凍て付く空気"により、青年は肌身で実感する。



(『夏場でもこの辺りは涼しい』、もっと上に行けば『寒い』だろうことは一つ、新しい発見で……)


(それにここから……よく見ると……)


(山脈の後ろ……もっと遠い所に何か——)



(——"山脈より更に大きい物"が見えるような……?)



 そうして、泳ぐ視線。

 山脈の遥か後方、遠方でそり立つ"巨大な物体"へと注がれ。

 八千を超えて雲海を割り貫き、そらに向かって伸びるその雄大なる様——過去と今の世界観が持つスケールの違いに驚嘆した青年は暫し、時を忘れ。



(————で、でかい)



 立ち尽くし見上げたそのまま、数分が経過。



(あれは……"本当に自然の山"? それとも……"塔"——)



『整えられたかと見紛う程に天を指すそれは何か』、『頂上には果たして何が、どのような景色が』と——考えようとした矢先。




(——!)




 玉体を——"背後からの波"が襲い。



("物音"——!)



 変化を察知した青年、直ちに跳躍。

 聞こえたのは"音"——枝の踏み付けられ、折れた音。

 太枝の上に身を置いて探す、音の発信源——。



(……! あれは……)



『フゴフゴ』と鼻を鳴らして歩く、焦げ茶色のずんぐりとした物体。

 数秒前まで女神の立っていた場所を通過するそれは獣で、豚のようで、つまりは——。



(——……"猪"?)



 凡そ体長一メートルの——『猪』。

 木々を薙ぎ倒して都市をも踏み潰す巨獣などではない只の動物であり、青年は安堵に息を吐き。

 しかし、猪の突進は人命を脅かすだけの勢いがあることを既知とする彼女は頭上からの警戒を続行。

 玉体でも正面から受ければ悶絶間違いなしのそれが立ち去るまで真剣に心を構えようとし——数秒後。



(……この辺りにも来るものなのか)


(牙は……ない、から……メ——)



(——!)



 強張っていた表情、目を見開いては——柔らかな笑みへと変貌。

 それ、何故ならば。



(子ども——"うり坊"だ……!)



 先行する雌猪を追い、茂みより出でる者たち。

『とてとて』と揺れ動く褐色の愛らしきシマウリ模様。

 幼く小さな猪たち——俗に言う『うり坊』が青年の眼前に姿を現したのだ。



(か、可愛い……!)



 数は四。

 体長は親と思われる焦げ茶の猪の半分にも満たず。

 先述した特徴的な縞模様が背にあることから、生後凡そ数ヶ月であろうと推測できる幼子たち。

『丸っこくていじらしい』その容貌を前にして青年の表情は思わず緩み。



(……けど、それなら尚のこと——近寄るのはやめておこう)



 だがしかし、冷静に。

 子守り子連れの獣の危険性を考慮し、木の上から静観に徹する青年女神。

 今の彼女に獣と相対し、敵対する理由はなく。

 害のない限りは猪たちの"命"——"親と子の関係性"も『自身にとっての護りたい対象である』と思いながらに見る。

 "これまで歩んできた道程が凡ゆる命の営みに見出させる何か"——『尊びたい』とでも言うべき、焦がれるような思い——『憧れる程の熱意』を胸に秘め。

 それでも静かに、静かに——息を潜めて見守ろう。



(……ん? なんだろう? 鼻で地面を漁って……)



(木の下、そこで何かを……"探してる"?)



 すると、まもなく。

 牙の確認できないことから雌だと思われる先頭の母猪が一本の木の下で足を止め、辺りの地面を嗅ぎ回り始めた。

 その様子が気に掛かった青年は前のめりで目を凝らすが角度が悪く、母猪の背に視線を遮られ。



(あっ……行っちゃった)



 漁るのをやめた母猪、子たる瓜たちを引き連れては茂みの中へと姿を見て消し——残されるは青年の好奇心。



(それにしてもさっきのは……なんだったんだ?)



 周囲の生命反応を洗い出しては問題となるような物がないことを確認し、地面に降り立つ。

 一つ『気になるもの』が見つかっても、抱いた疑問が解決されないのは『後味が悪い』と。

 事象を紐解く手掛かりを求め、母猪が嗅ぎ回っていた木の根元で膝を折り、調査を開始する。



(……地面が凹んでる)


(何か、掘ってたのか……?)



 不自然に凹む、根元の地面。

 凹みの周りに散って積もる土はおそらくは先ほど掻き出された土。

 その中心、歪な円の形に空いた空洞——その穴が先の母猪によって掘られたものであろうと推測。

 慎重に払い除ける土の中——発掘される物あり。



(……木の皮……にしては何か厚みが……)



 指先で摘み、"何らかの破片"と思しき物を見る。



(……どこかで見たような、見ないような)



 それは薄茶色で、摘めるほどに小さく。

 まじまじと触って眺める表面は皺が走り、細かく分けられたそれは粒のようでもあり。

 しかし青年、全くの初見という気はせず、記憶で照合。



(でも、猪が木の根元で探すような物は——)



(——あ……!)



 そして、置かれた状況から導き出される結論。

 遠目から見れば"黒色の野いちご"のような姿をしたその欠片の正体に思い当たり。



(もしかして、これ——)




(——『トリュフ』か……!)




 歯の間の詰まり物が取れたかのように目を開いては輝かせる青年。

 手にした欠片の正体が"きのこ"——それも猪によって地中から掘り出された茸の子実体しじつたい——所謂『トリュフ』と呼ばれるものであろうと見当をつける。



————————————————



 そうして、思いがけぬ出会いに心を躍らせ。

 茸の欠片を収穫物とした青年。



「——よっ、と」



 数時間に及んだ今日の調査を終え、帰る戻り足。



(トリュフはきのこで、きのこは菌類で……)


(木や岩に張り付いている苔みたいなのは地衣類ちいるい……だっけ……?)



 未だ十分に明るくとも降り始めた日の下。

 女神アデスの待つ中流を目指して川沿いを進む彼女の蓑の懐では——拾った桃色の小さき花が顔を覗かせている。



(地衣類は菌類と藻類そうるいの共生生物で)


(前者は後者の光合成で利益を得て、後者は前者の存在で目立った利害を受けないからその関係は……)



(確か——片利共生へんりきょうせいに当たる……筈)



 トリュフ以外にもいくつか気になった物を採取して『拠点』を目指す女神。

 彼女は道すがら、以前に食材を探す傍らに師より学び得た知識を内心で復習しつつ歩みを進める。



(両方が利益を得られる場合が相利共生そうりきょうせいで、他の共生の形態は……)



 反復するのは特に快く耳に馴染んだ内容。

 生々しい夢を何と定義すべきか迷いつつも、青年は"生き物"の——『生きる』とは何かをぼんやりと、今日は関係性の観点から考えながらに歩み。

 水辺の岩を飛び越えては、聞こえる鳥の囀りや跳ねる川魚の勢い、せせらぎの音に親しむ——揚々としたその動き。



(……兎も角、そんな風に少しでも多くの命がより良く、共に生きられたら——)



 しかし。




(……?)




 不意に停止する。

 打って変わり、顔を顰めて見遣る先——"影"。



(あれは…………?)



 川の畔。

 人を超えた視力が捉えるもの——人大ひとだいの影。

 咄嗟に足を止めて観察するそれは小柄で、しかしころもらしき襤褸布から覗く"手は杖を握り"。



(……"老人"……?)



 腰を折り曲げているであろうが故の小柄と杖の存在。

 そうした特徴から青年はやはり影が人のものであり、また該当の人物が老齢か体を悪くしている者だと推測し——"訝しむ"。



(……"こんな所"に老人が…………?)



 疑念を抱くのも当然。

 今のこの場所は"周囲を深い森と切り立つ斜面に囲まれた川の上流"であり——本来、だからだ。



(……だ)



 青年は以前、遊牧民の人間が給水のため家畜共々で川の上流付近に立ち寄る様を見たことはあった。

 だが、その時の人間は若く足腰は健やかで元より山岳に住まい・激しい起伏に慣れ親しむ者であり、少数ではあったが武装もしていた。



(地形的に辿り着くにも大変で、猪をはじめとした危険な獣もいるのに、どうやって……?)



 青年の知る限りでは今のように足腰の弱った人間——それも"老いた人間単独"での来訪は前例がなく、考えれば考える程に"異質な現状"に高まるのは警戒心。



(ただの老人とは思えない——)


(いや、それ以前に——"そもそも人間なのか"?)



 木陰に身を隠し、注意と用心を深くに観察。

 問題の人の形をした影は何やら杖で川中を突き、緩慢な動作で足先を水に浸そうとしている。



(まさか……川に入ろうとしている……?)



(渡るにしたって老人一人じゃ……危険過ぎる)



 現在地で流れる水の勢いはそれ程でもなく、深さも多数派の成人男性や女性の中では長身と区分される青年女神ならば胸元に達するかという所。

 しかしそれを渡るのは当然、水流に耐えられる膂力ありきの話。

 姿勢を保つのに杖を必要とする者にとってはあまりに酷であり、倒れるにしても流されるにしても予見されるのは"致命の事態"である。



(……"どうする")



 握る拳で滲ませる水。

 今ここで、"流れの速度を穏やかに変える"などして『相手を助ける』か。

 "藪蛇"の危険性を考慮して正体不明の存在に下手な手は出さず、『気になったものの一つとして師に報告することを急ぐ』か。



(相手が格上の危険なそんざいだとしたら、無闇に刺激すべきではない)


(でも、もし普通の人間で、老人で……しかも困っているのだとしたら……"見捨てるのは嫌"で——)



 警戒の中、迷う。

 今にも"足を踏み外しかねない"対象を前に煩悶し、己の思い描く理想から行動を逆算しようとする。




 が、その答えの出るより早く。




「————っ!」



 青年である彼女は直ちに老人へと声を掛け、警戒心は何処へやら——木陰より身を乗り出すこととなる。

 というのも、その老人——いや、上げた声の高さからしておそらくは"老婆"。




「——だ、誰かっ! 誰か——!」




 まるで、"いつかの誰か"のように飛沫を上げた。

 案の定、流れに足を滑らせて転倒し、勢いよくに着水し——。





「——た、"助けておくれ"ーー!」





 大きな水飛沫を上げ——川に落ちたのである。




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