第二章 『疫病』
『第一話』
第二章 『第一話』
熱と光、荒々しく色を撫でる初夏の真昼。
「では——」
川の畔。
向かい合って距離を取り、仁王立ちとなるのは——肌と髪の白く、衣の黒き女神アデス。
「——いつでも、どうぞ」
目立った戦いの構えもなしに瞬き——場の空気を重苦しく掌握。
鋭い真紅の眼差しで相対する神を射抜く。
(…………っ)
固唾を呑むのはその先、青年。
艶のある黒色の髪と瞳を有する長身の女性。
しかし、その実で内心を"元男子高校生"とする者——かつての名を『河上誠』、今は『ルティス』と呼ばれる女神なり。
(……相変わらず堂々としていて——)
「…………」
(——捉えどころがない)
垂らした腕で掌を開き、気を巡らして一応の構えとする青年の総髪、風に揺れ。
しかしそれとは対照的、悠然と立つ指導役の女神は衣を揺らさず、側頭部で結わえた白髪も同じく——型の見えない沈黙不動の立ち姿。
(……でも、やらないと——)
「…………」
(終わらない、か……)
慈悲慈愛のない冷淡な表情のまま、アデスは
訓練にて先の攻めを許される青年へ『どのように仕掛けるか』——『"その答えを示せ"』と言外に語り掛ける。
「「…………」」
沈黙に乗る蝉の声、風にそよぐ木々の葉や川の流水。
そうして、向かい合う人外たちの放つ"圧"に堪え兼ねた蝉——熱された油の撥ねる音を出し——その飛び立つ瞬間。
「——!」
——青年が仕掛ける。
恩師目掛け、激流が身を押して浮かして一直線の踏み込み。
勢いを腕に乗せて放たれる攻撃——"掌打"。
筒に見立てた体内で圧縮された気を纏う右の
「……」
「——っ」
しかし、アデス。
優しささえ感じさせる程に柔らかく、突き出される青年の攻撃を手折るようにして自らの腕で内から外に払い除け、
(なら——
「————!」
だが、
外に逸らされた腕を薙ぐようにして手の甲で女神を側面より強襲。
「…………」
「——、——くっ!」
けれど二の手、はたき落とされ。
三度四度、更に、更に——僅か数秒の間に詰めた連続攻撃が黙する女神の玉体を捉えることはなく。
攻めあぐねた青年は飛び跳ねるように距離を置き、仕切り直す。
「——突きの鋭さは増している」
「伝わる水の波動。打ち付ければ丘をも砕かん——」
「——だが、しかし」
肩口の大気に残る振動を眺め、師はここまでの所感を述べる。
「——当たらなければどうということはなく。当面の課題は……『動く相手へどのようにして攻撃を届かせるか』」
「……」
「予め、攻撃のいなされた後についてを考え、移り変わる状況の中でも
「緩急を織り交ぜては誘い込み、実際は絶え間も油断もなくに打ち付ける——"波のような攻め"が一つの理想です」
「波……」
「と、言い表しては……少し、抽象的が過ぎるでしょうか」
「それは……はい」
「でしたら……そうですね。今は単純に、"先に回る"ことに注力してください」
「"先"……ですか」
「はい。欲を言えば牽制も本命も、"その全てが必殺の技"であることが望ましいのですが、今の私は貴方にそこまでを求めてはいない」
「"見る"……今風に言うなら邪視、邪眼……若しくは魔眼。そういった一瞥の動作だけで事を成せるのならば、それに越したことはありませんが……それも難しく。よって——」
「相手よりも先んじて戦況を有利な方へと進める"必勝の流れ"——"勝算の型"を見出す練習をしてみましょう」
そう言うとアデスは掌を開いて、そこに青の色を集め——先の青年と似た構えを取る。
「先ずは私が手本を——先程の動きを真似た上で
「は、はい」
「勿論、隙に乗じ、反撃に転じ、私に有効打を与えようと試みても一向に構いません。どちらかが"有効"を取るまで続けます。いいですね?」
「分かりました」
見解を擦り合わせた姉弟、頷きの交換。
「では、早速——」
その後。
アデスは次の言葉を合図に和らげた空気を引っ込め——攻め立てる。
「——"始めます"」
「——!」
(——速い——けど——!)
瞬時に詰められた距離。
繰り出される初手は宣言通り、先の青年を模倣した単純な掌打。
しかし、師の放つ
そして同様に続く二撃目、薙ぐ手の甲をこれもきっちり、はたいて落とす。
(——ここまではっ、同じ)
(次、は——)
そうして、三の手。
攻撃をいなさせて腕を上下に開かれるような体勢となったアデスは。
「只の水が触れるだけでは——」
(————!)
「——"熱い"でしょうか」
張った右手に"紅の炎"を宿し、燃えるその手を青年目掛けて振り下ろす。
「——っ」
それに対して青年。
咄嗟に上げた左腕を水で包み、受け止め——昇る蒸気。
(——!)
(攻撃が軽い! これは——)
しかし、第一第二と比較して妙に抑えられた衝撃と、水を蒸発させたにしては控えめな温湿布程度の熱に意表を突かれ——"浮かぶ疑問に動きが止まる"。
(——! しま——)
「"次"です」
その隙——見逃さぬのはアデス。
不必要に力んで体を硬直させた青年の懐へ小柄な玉体で飛び込み——肉薄。
与えた衣服で揺れを抑えられた胸を鼻先として迫り、三の手よりも猛々しく炎が燃える左手を後方に引き——絞る標的、腹部。
(——まずい——っ!)
胸元に飛び込んできたアデスの、火炎の規模からして恐らくは本命と思われる左手の"炙る一撃"。
その手から逃れようと認識思考は加速するも、腕や脚で防御態勢を取るには障害となる者が——女神そのものが懐に収まっては妨げとなり、青年の動きを制限する。
それはまさしく、相手が取るであろう防御行動を予めに潰す——"先を見据えた攻撃の一例"。
そうなっては青年に残された選択肢、然程に多くはなく。
「————くっ!」
対処法として"回避行動を選択させられ"。
足裏からの勢い付けた排水で跳び、
(——あ、危なかった……!)
後方で川中へと着水。
標的を失って水を叩いたアデスの、その炎熱が作ったと思しき蒸気の幕を前に。
靄がかった光景の先で、未だ水面を下に眺めて固まる紅の瞳を見つけては——。
(でも! ここから反、げ——)
(——? 体が、"
反撃に転じるため体を動かさんとし——"持ち上がらぬ脚"——"違和感"。
身を動かせぬ状態で慌てて見遣る違和感の該当部。
(——!?)
(——こ、"凍ってる"!?)
脚部——"氷結"。
(これも、アデスさんが——)
浅瀬の水面から展開する氷。
女神の空振った拳でそのまま水中を伝う"謎の力"——厚手の靴の如くに膝から下の脚と足を包んでは決して離さず。
("炎"に"氷"って、そんなの聞いて——)
(……! そういえば、彼女はどこに——)
秒の間。
相手の存在を失念していた青年の上げる顔。
急いで見上げた先——空には。
(————え)
既に——"体の縦軸を水面と平行状態にしながら回転蹴りを放つ女神の姿"。
落とし入れて冷やし固められた青年に"定められた詰めの一撃"、迫り。
「————っっ」
悟る敗北と恐怖に閉じられる瞼。
しかし——数秒が経っても怯えるその身を痛みは襲わず。
「……"私の"——」
恐る恐る開かれる瞼。
氷を溶かされ、仰け反っては身を川に浸す青年。
仰向けの状態で見るもの——女神の下半身。
広がった裾の下、股下に履く物のあるキュロットスカートとそこから伸びる黒のタイツに覆われた脚。
青年の顔横で水を踏むのは足——膝下を包み、"X状に交差"する脛当てを持つロングブーツ。
そうして。
見事、青年を倒した白黒の女神は。
「——"勝ちです"」
控えめでも高らかに。
冷厳の表情にて——己の勝利を宣言したのであった。
————————————————
「——本日の"武に通じた半神を想定しての模擬戦闘"はここまでとしましょう」
川中から倒れた青年を引き揚げたアデス。
翳した手の熱で濡れた身を乾かしてやりながら予定の完了を言って知らせる。
「……"
「……加減の配慮が十分でなかったことについてはお詫びします」
「ですが『先手を取らねばどうにもならず、しかし先手を取らせぬ者』——"理不尽の化身"とでも言うべき存在がこの
周囲には響き渡る蝉たちの声が戻り、空より来たるは熱の波。
女神アデスと同じく女神のルティスの
師はその間も共に学びを続ける弟子へ、乾かすついでで点検を終えた隠れ蓑を手渡しながら——今日も今日とて教えを授ける。
「"全知全能"については定義が困難なため一旦は傍に置くとして——万能は実在します」
「神格や権能を多重に併せ持つ神は多く、高位の神ともなれば凡ゆる属性を司るのが常です」
「それ故、相手が"火炎の神格"を持つからといって水神が必ずしも有利を取れるという訳ではなく、寧ろ——川や海の一つ二つなど些事でしかない者たちが
「そうした"恐るべき事実"を——川水である貴方は自衛に活かすためにも、忘れてはならぬのです」
「聞いた感じでは"防ぎようのない災害"みたいなんですが……覚えていた所でそれは、どうにかなるものなんでしょうか?」
「何も『武力によって戦い、圧倒する』ことだけが護りの手段という訳ではなく、事前の知識で敵の脅威を直ちに概算することが可能であれば、『逃避』や『利害の一致する者との協力』などの選択肢も早くに見えてくるでしょう。知っていての損は……あまりないかと」
「な、成る程……」
丸々二ヶ月以上を学びに費やし、しかし未だ未熟を敗北によって痛感する青年はやや悄気りながらも大人しく先達の話に耳を傾ける。
理不尽が意志を持って襲い掛かって来ることの現実味が理解しきれずとも、事実として以前に——"都市ルティシアは神の獣によって襲われ"。
また、言及された『万能の実在』も——"目の前の女神の多才な振る舞い"からして強ち嘘だとは思えず。
「……と、言った所で本日は『場の流れを掌握する先読みの勝算』についてを体験によってお教えしましたので、次の戦闘訓練までに私が先程お見せした一挙手一投足を分析しておいて下さい。動作の持つ意味合いについて、答え合わせをしますので」
「分かりました」
「良い返事です。では、残りを自由時間としますが……今日も、自由質疑応答の時間を希望しますか?」
("質疑"……)
質問と疑問を表す言葉を耳にし、単純に心で浮かぶ——"何度目かの素朴な疑い"。
(やっぱり、不思議なことが出来る彼女は人間じゃなくて……"神"で——)
(それにしても、物を浮かしたり、燃やしたり凍らせたり——)
(——彼女は一体……どういう神なんだろう?)
"正体への疑問"。
半ば夢だと思い込む世界で早くから抱いていた"恩師への疑念"は拭えず。
未だ自身についての多くを語らぬ女神の正体——その神格もまた同様に、"不明瞭"。
(質問すれば、何かしら答えてくれるかもしれない。彼女は……優しい方だ)
(でも、予めに言わないってことは……何か、言い辛い事情があったり……?)
「…………」
「……?」
悪気なく注視する"少女然とした女神の姿"。
見た目相応に思える時もあれば、言動は何処か大人びており——『頼もしく』。
しかし身の幅は華奢で、然らぬ
「……何か?」
「——!」
(彼女に対して何を——っ)
——とまでを考えた青年。
やんわりと無意識的な視線の動きを指摘されては我に返り。
身を近づけた折に見た恩師の顔や体を思い出しては"色の付いた感情"を抱いてしまう己を強く嫌悪。
恥じ入ることに注力し、疑問を口にする機会を再び見失う。
(なんて事を考えてるんだ、俺は……!)
「——い、いえ、なんでもありません」
「……そう、ですか」
「そ、それより、自由時間についてなんですが——」
殆ど化けたような状態で女性である師と距離を詰め、剰え心の裏で
そうして、失望されることを、気味悪がられることを、拒絶されることを——"酷く恐れる青年"。
(自分が秘密を抱えている、隠し事をしている身で……相手の事だけを都合よく知ろうなんて、そんなの……)
『口を噤む』選択肢を取る。
"真実の種族や性別"、"名前"を明かして『見捨てられる』、『今の関係が打ち切られる』こと。
孤独を抱える青年にとって
(どうせ本当のことを言ったって……人間だの男だの……信じてもらえる訳がない)
(だから今は、今は"これでいい"……
(兎に角、今は学びを積み重ねて、その後に何か、恩に報いて——)
(彼女に返せるものがあれば、それで俺は——)
無理矢理に見据えるのは過去よりも——疑問を先送りにし——思いを馳せる未来。
初対面で既に考え付いた女神の神格について青年——知らないふりを続ける。
"
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