『第十九話』

第一章 『第十九話』




 都市ルティシア近郊、遥か上空。




「————! ——や、やった——のか————)」




 雲を裂いて、女神。

 陽の光を浴びながら星に引かれて落ちて行く青年の手元では、"輝きを失った鈍色の矢"。

 その表す意味——『女神が矢を引き抜いた』という事実。



(……よ、かった——これで……ルティシア……は……)



 達成と安堵の感に包まれる心。

 速度を増して落下の女神に着地の必要性さえ忘れさせる喜びの念。



(……あの、獣は……——)



 風を受けながら"黒色の虹彩"で見遣る下方。

 狂気を植え込まれていた神獣べモス——"停止"。



(止まっ……た……?)



 あと僅かでも矢を引き抜くのが遅れていれば激突していたであろう場所——都市を覆う壁の目と鼻の先で、猛進から大幅に速度を緩めた神獣は足を止めて立ち尽くす。

 女神の推測は見事に的中し、暴走の源を除かれた獣は走る理由を失ったのだ。



(あの獣も、大事なければいいけど……これで一先ず——)



 倦怠を感じる頭を左右に振り、思考に掛かる靄を振り払い、女神。

 瞬間的に行使可能な力の殆どを使い切り、治癒の遅れで顔から脚部に至るまで線状の焼印やけどを残しながら。

 しかし、それでも——『都市の人々が少しでも早く安心の生活を取り戻せるように』と気張り、感覚の消えた手足に神気を漲らせ、獣近辺での着地に備えんとする。



(後は、遠くに移動させて——)



 けれども直後——"変化を見せるのは状況"。



(海の辺りまで、案内できれば……————っ……"!?")



 近付く地面で、視界の端。

 青年の瞳に映る獣の巨躯——"フラフラと揺れ動く"。



(目は——閉じてる……"立ったまま気を失って"——)



 疲弊した青年の手前、一足先で眠りに落ちる獣。

 無理に動かされ、同じく疲れ果てていたその体は脱力、表情はまさしく憑き物が取れたかの如くに穏やかな寝顔を浮かべ——先刻まで吠えに吠え、猛り荒ぶっていた災害の姿はとうに失せていた。



(——あの位置はまずい……!)



 しかし、その足はゆっくりと



("その方向"、————)



 上下、前後も不覚。

 あろうことか眠る獣、まるで酩酊者のようによろめきながら巨躯の巨体は。




(————!!)




 ——のだ。




(————っ……!! ————『止める』————!!!)




 故にその様を確認して、直ちに速める落下。

 手にした矢を誰もいない適当な地面に投げて突き刺し、排水で空を蹴った女神は疾く両足で大地を踏みしめ、久方ぶりの地面で前へ倒れこむように回転。



(間に合え————!)



 そのままの勢いで起き上がり、護りたい都市を背にして立脚——獣の眼前に己の玉体で飛び出し、構え。




「「"————————"」」

「——!!」




 寝息の震わす空気を間近に、絞り出す力。

 倒れこむ獣の顔を目掛けて跳躍するのは女神。




「————っ……!! ぐっ、……!、!!」




 中に浮いたまま、角を掴み。

 正面から巨躯の重みを押し返さんと。




「ぅ——く——っ……——ぐ、ぬ————!、!!」




 玉体に襲い掛かる重さは猛進していた時の勢いこそ無いものの巨大な鯨ほどの体重。

 常人ならばまず圧死は免れないであろう純粋な力——正面からぶつかっての、拮抗

 乾燥しきった雑巾から最後の水一滴を絞り出すように力を込めても、抗う。

 獣の脚は既に崩れており、ここで食い止めればこれ以上の進行はないだろうと予測して——正真正銘、ここが"最後の踏ん張り所"だ。





「ぐ——ぎ、——っ————!!」





 そして、訪れようとする女神の限界——。





「——"ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ"——!!!!」





 限界への到達——"よりも僅かに早く"。

 横に逸れる獣の顔に体、その重さ。




「っ————————」




 壁を突き破るのではなく、女神ごと壁に顔を擦るようにして倒れ、臥す。

 削られた建材が割れ、壁の一部が崩れるが——



(…………や、やった……やっと止まって……くれた)



 巨大な顔と壁に挟まれて背で激しく壁を撫でた女神は終いに弾き出され、『ぐえ』と気の抜けた声を上げながら地面に激突。

 転がって仰向けとなり、呼吸も忘れ、打って変わって周囲に広がる——しんとした静寂の音が心地よい。



(……痛い……体が、動かない)


(でも、これで……一安心、だ……)



 横で穏やかな鼾を立てる獣の子。

 それに釣られてか、青年でも重みを増す瞼の感触。



(……俺も、疲れた。少し……休もう……)



 尽力した玉体が休息へと状態を移し始める中。

 青年は、ぼやける視界で空に架かる虹を眺めながら意識を手放そう。




「"————"」




(…………?)




 眠りの際に感じる"冷ややかな気配"。

 "降り立ったその者"が放つ声に耳を傾ける余力も既になく。




「……何故なぜ




 青年は静かに瞼を。

 そして意識を——神に見守られながらに閉じるのであった。






「何故、そうまでして貴方は——




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