『第十八話』
第一章 『第十八話』
そして猛追——開始しての数分後。
「————!」
深林が疎らの林に切り替わろうかという緑の中、人にルティスと呼ばれる青年女神は。
「見つけた……!」
再起を果たした彼女は雨中を駆け抜けて、遂に——"暴走する獣の後ろ姿"を視界に捉えていた。
「「"————————!!"」」
(っ……止まる気配は、ない……! なら——)
轟く咆哮。
先刻と変わらず、都市の存する方角へ一心不乱に突き進む神獣の巨躯。
その棘に囲まれた平らな背で妖しく輝くのは『光の矢』——温厚であった獣を"凶行へと走らせた原因と思しき物体"だ。
(ルティシアまで後、数十分あるかどうか——なんとかそれまでに、あの矢を——)
(——"引き抜くしかない"……!)
『その矢を取り除くことさえ出来れば獣は正気に戻り、足を止める筈』——。
例え、そうはならなくとも、『人々の下にだけは向かわせてはならない』——と。
危機感と判断で素早く決し——更に上げる速度。
どちらにせよ、大岩の如き巨躯をある程度青年側で制御することは必至であり、今の女神の力で進行を阻止するためには接近しなければならず。
滑走する彼女は獣の足が後方に蹴飛ばす泥を避けながら肉迫——数メートルの間隔を置き、並走態勢へと移行する。
(矢の刺さった位置に……変化はない——『飛び付いて、掴んで、引き抜く』)
(……"尻尾"に気を付けて、それをやる——やるぞ……!)
(今度こそ、迷ってる暇はない! やらないといけないんだ……!)
目視で確認する矢の位置は激しい動きにも抜ける様子は無く、その禍々しい気配も未だ健在。
そして、先刻——青年に手痛い一撃を加えた太尾は揺れて地面を何度も打ち付けては幅のある四本の脚とともに大地を蹂躙、ずしんずしんと鈍い音を立てる。
その高速で動く巨岩——城塞の如き威容に怖気付きそうになる心をなんとかで律しながら——まもなく、青年。
(こっちに気を向ける様子はない——……だったら——!)
一度の深呼吸、口は真一文字として震えを押し殺す。
そして前だけを見つめる血走った獣の眼を横目とし、身体中に神気を巡らせ——。
(——"速攻でカタをつける"!!)
放出——からの跳躍。
「"————————!!"」
獣の背へ向けて、描く水の放物線。
(——届——く————)
棘も飛び越え、目前で揺れる背面。
両手両足の四点で着地——"成されるかという瞬間"。
「————"!?"」
青年の側面——"飛来する尾"。
狂っていても動作する神獣の防衛機構が微細な気の流れから"敵"を感知——故に迫ったかの"迎撃"。
このままでは秒と経たず青年の、『女神の玉体を打ち付け、再び柳の如き心身を折る』と、"見る者"は予測するであろうが——。
(——見える——!)
だが、"二度目の此度"で、そうはならず。
見開く目、視界の端で捉える物体の動き。
一度の奇襲を経て傷を負った彼女は当然に警戒を強め、向かってくる尾に対して即座に分厚い水の障壁を展開——攻撃の威力を殺しに掛かるのだ。
(————! ぐっ——っ!)
その甲斐あってか。
荒れ狂う神獣が振るう尾の勢いは青年の障壁を破っても、威力は確かに減衰され。
「——ぐ——は——っ……!」
吹き飛ばされた青年、地面に落ちて負うのは——軽度の打撲傷。
その程度は傷より漏れ出す青色が直ちに修復するから、まだ動きは止めない。
「————っ"っ!」
だから直ちに身を翻し、四つ這いでも再スタートを切った彼女、最早ただの痛みでは諦めさせるに至らず。
(も、う——!)
その程度では止まらぬ歩みは、更に加速。
風雨が払う泥、拭う口元の青——"血"。
一度開いた神獣との距離を即座に取り戻し、追い越しては斜め前で並走。
(一度————!!)
偏差射撃の要領で狙いをつける目標。
そして、再度再度の試みを成し遂げるため。
学習した青年は尾の届かぬであろう、その攻撃範囲外にあたる背中の上方を目掛け——再度の跳躍。
(尻尾は——来ない——! これ、なら——)
またも描かかれた綺麗な放物線で、落下する彼女を迎える攻撃はなく。
「——っ! わ——っ!?」
遂に獣の背中、その右上方へ到達した女神。
しかし、走行中のべモスの体は激しく揺れ、強烈な向かい風も相まっての転倒。
不恰好にも轢かれた蛙のような体勢で背中に張り付き、けれども振り落とされる難を逃れた。
(——な、何とか乗れた。矢は——! 景色、木が……!)
身近な棘に掴まって踏ん張りながら目標の矢の位置を再確認。
背中上方、中央で光を放つ矢を視界に捉えるが同時に——変化を遂げる周囲の景色。
それまで葉の緑と地面の茶色に包まれていた景色は一変し、草原の緑と雨雲の灰色が支配する開けた世界と姿を変えた。
(っ——"森を抜けた"のか……!)
猛進する獣と女神は森を抜け、なだらかな丘が並ぶ丘陵地帯に突入したのだ。
そして、徐々に身を起こす青年の見遣る先、遥か前方では、既に。
(——!! まずい……!)
獣の角越しに覗く景色にぼんやりと"灰茶色"の物体——"建造物"が姿を現している。
それは"壁"、青年が護ろうとする都市——まさしく"ルティシアの持つ壁"であった。
(急げ……! 急いで、矢を——!)
焦る青年。
額から流れる一滴の水は風によって後方へ。
このままでは幾ばくも無く神獣がルティシアに到達することは明白であり、彼女は強風に耐えながら離れた位置に刺さる矢へ向かって移動を開始。
四足歩行の爬虫類のような体勢で這いずり、這いずり——"熱と輝きは眼前に"。
「——っ……! (今度、こそ——)」
足裏で気を束ねに束ね、身を固定。
ふらつきながらも上体を起こし、迸る気を帯びた矢を前に一呼吸。
(——"成し遂げてみせる")
獣の荒々しい息遣いに足音、切る風——雑音の全てを消し去り、身を置くのは極限の集中状態。
(都市を、そこに住まう人々を——彼女たちの笑顔を、"未来"を——)
そして来たる——覚悟の試練。
決断的な動作で、体全体で抱き込むようにして矢を掴む。
(————護ってみせる——!!!)
だが、掴む青年女神の身。
「——!! ぐっ——"あぁぁぁぁ"——!!!」
焼く痛みが、"矢の光"から。
掴んで接触する掌に触れる胸元、頰が焦げ始め。
矢を引き抜くための力として神気の殆どを足元からの放出に割く青年は防御に用いる分の神気を最小限のものとし、その身で正面から一度目よりも遥かに鋭い——焼印を押されるかの如き"高熱の痛み"を受けてもの、なお。
「"あぁぁぁぁぁぁぁぁ"——————"!!!!"」
矢ごと、身ごとを持ち上げようと勢い良く溢れるのは水。
漏れる声さえ
(痛いっ、いたい! ——いたいいたいいたい——!!)
青年の史上で最も度合いの高い"拷問のような苦痛"に涙は溢れ、黒き瞳の薄光によって照らされ。
既に蜃気楼の如くぼんやりとしていたルティシアの壁はその姿を確かなものとし、次第に増す形の大きさ。
残された僅かな時間——然れど苦痛を味わう者にとってはどれだけ短くとも耐え難いものであり、何度も何度も青年は『手を放して楽な結末に身を委ねる』ことを思う。
(でもっ、でも——"でも——っ"!!!)
だが、それにも関わらず。
彼女は矢を決して放そうとはしない。
それどころか——痛みを感じるたびに矢を握る力を強めている。
("諦めたくない"っ! ——"諦めるわけには"——っ!!)
『譲りたくない』という思いで放さぬ手。
脳裏に浮かぶは不安に満ちたルティシアの人々の顔、声。
かつての自分と同じ願い——『生きることの希望』を抱える彼らを青年は見放すことなどできなかった、できる筈もなかった。
(——こんな! こんな悲しい思いをするのは! 俺だけで十分だ————俺一人でも十分なんだ!!)
『譲ってはならない』と固く握る手。
次に浮かぶはアイレスとオリベルの姉弟——家族の姿。
暖かな"愛情"に包まれたあの人間たちの"笑顔"を心の支えとし、感覚の消えかかる掌により一層の力を込め、内に流れる水の循環を加速。
(——だからっ! だからこそ俺が——自分——が——!)
恐怖を上回る覚悟。
窮地で受容する自己の定義——。
その揺らぎが玉体内部で閉じていた弁を開き——限定的に湧き上がらせる神の力が。
これまで微動だにしなかった矢を僅か——なれど"確かに傾ける"。
(——女神のっ"っ"!! 自分が——!!)
そして星の形を内包していた青年の——夢見の光。
女神の瞳は黒から青へ色を変え、激しく明滅。
併せて放出される神気、水はさらなる勢いを得て——"遂に"、そうして遂に。
「——"諦めるわけには"————っっ"——!!」
「"——"いかないんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ"————————!!!!!"」
雲の割れる天空で光と水飛沫は虹を掛け。
避難の民はその光景に——"吉兆"の証としての『
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