『第十四話』
第一章 『第十四話』
——五日目。
「——よいしょっ……と」
掛け声。
しゃがんだ状態から立ち上がるのは青年。
「……改めて有難うございます。アデスさん。俺の要望を聞いてくださって」
「……これも学びの一環です」
その背には人が
「その玉体がどれだけの重量を担えるのか、担う状態でどれだけの活動が可能であるのか」
「貴方自身が己を見極めるための謂わば——"試験"であります」
それら食料の持つ——大人数人を優に超える重量を支えるのは青年女神の玉体。
体内で圧縮された流体がもたらす神秘自然の力。
「達成すべき目標は単純明解。今よりその背に負う荷物を都市へと運び、内容物を神殿に置いて来ること——それが今回の試験です」
「既に寄進の手筈も整えた。目視で分かる位置にさえ置いておけば、後は神職の者たちが上手く分配するでしょう」
「分かりました」
都市の状況確認、食料供給、鍛錬——等の目的を兼ねた今回の試験は都市の人々を案じた青年の進言によって設けられたものである。
集住都市の人口は百を超え、その全ての空腹を長く満たすことは不可能であっても——しかし、一日か二日ならば生命維持に必要な分を賄えると判断し、『手を尽くしたい』と居ても立っても居られず、青年。
単独での高速移動が様になった機を見計らって指導役のアデスに話を持ち出し、幸いにもそれを承諾した彼女の博識と袋を借りて必要な物を集め、今の出発の時に至っていたのだ。
(彼女が食べられる野草とかにも通じていて本当に助かった)
(願いを全て叶えてくれる訳じゃないけど、色んなことを教えてくれて、助けてくれて——彼女がいてくれなかったら俺は、こんな悪夢にも耐えられなかったかもしれない)
(……感謝しないとな)
「……まだ何か?」
「……いえ。大丈夫です。では——そろそろ、行ってこようと思います」
時刻は深夜。
周囲を深い闇に包まれた青年は"暖かな思い"を胸に、意気込む。
「……試験終了後は暫しの自由時間です」
「"明日の決行"を見据え、貴方の必要だと思う準備を怠るな」
「——はい」
僅かであるが人々に——あの姉弟にも食料を届けられると高揚に傾いていた気を引き締める。
(……いよいよ、
(…………やるぞ)
緊張に固唾を飲む。
此度、遅きに失することあれど、早きに越したことはなく。
神獣べモスの撃退決行はゆとりを持つために一週間の予定を早め——"明日・六日目"と決定されていた。
「……次の明朝。再びこの周辺で」
「……分かりました」
「……では——」
そうして、頭巾を被り直したアデスが暗中に姿を消した後。
(……俺も行こう)
(……お腹いっぱいとまではいかないけど、これで……少しでも元気になってくれたら——)
同じく顔を頭巾の内に潜めて。
青年は青色の神気を足裏に纏い、進路とする地表にも展開——都市に向かい、滑走を始める。
——————————————————
——出発から少し。
(……かなり早く着いた)
壁を目前にして足を捻り、滑りに止め。
青年は以前に徒歩でルティシアを訪れた時よりも遥かに早い時間で都市に到達。
(人は……いない)
(門は……閉まってる。なら——)
行儀の良くない行いだと自覚しつつ『非常時も非常時が故に致し方なし』と壁を飛び越え、都市内部に入った青年は周囲の状況を逐一確認しながら神殿へ向かう道に乗る。
(……起きてる人も、いなさそう)
街灯の類が一切ない夜闇は都市部で育った青年の想像以上に深いものであったが、神気を使っての地形探知に慣れた彼女は迷うことなく丘へ。
前回の一件から学習し、下にある女神の素顔を見られないよう、人に出くわすことのないよう静かに歩みを進め——数分後、目的地の神殿に到着。
入り口前にそびえ立つ柱の間を通り、神殿の中へ。
(……なんで……なんで、"この姿"なんだろう……?)
中に入ると当然、目に入る——女神ルティスを模した石像。
それを見上げる生き写しの如き風貌の青年。
(……今は考えても仕方ないか)
未だ答えの分からぬ疑問に心で立ち込める靄。
しかし、限られた時間を思い、像の前に進み出て荷を下ろし始める。
(……都市の人々にちゃんと行き渡るか少し不安だけど、この顔で大勢の前に出る訳にもいかない)
(……今は、"今の俺"に出来ることを)
神殿の床に引く布。
その上に自身が採取した——アデスの助言を得て集めた食べられる山菜を中心とした食料を並べて行く。
(……よし。終わり。後は……)
そうしてまもなく袋の中身を全て並べ終わった彼女。
空になった荷物袋を丸めて小脇に抱えながら神殿内部を後にし——。
(確か、あっちの方……)
丘の上からの神の暗視。
以前に訪れた住居を探しては大体の方向にあたりをつけ——足早に傾斜の道を下る。
(……! ここだ)
住居に囲まれた道を進み、止める足。
目の前には一軒、石造りの家。
それは恩人たる少女——アイレスと弟が住む家。
(あの
案ずる心が震え出す。
しかし、深夜で家を勝手に覗くのも戸を叩くのも色々と問題がある。
青年は勿論、夜盗の真似をする気は更々なく、姉弟含む都市の住人たちに更なる不安をもたらすことも避けたいがため——。
(こういう時は、精神を研ぎ澄まして……)
手を付けた地面伝いに——水の揺れ——人という生物が発する微弱な気配を探り——。
(————! 呼吸の振動……大丈夫。まだ生きてる)
家の中で今も二人の命が息づいているのを確認。
(もう少し……もう少しだけ、待っていてくれ)
緩みかけた表情を直ちに凛々しいものに変え——『残された希望を護りたい』、『彼女たちの続く未来に幸福がありますように』——"祈り"。
(必ず——"成し遂げてみせる")
己の底から湧き立たせる力で立ち、静かにその場、次いで内部を去り——滑走。
護りたい都市を背に向け、本拠地たる川へ戻る最中——少しでも己の不安を紛らわそうと風に当たるために頭巾を上げ、思案。
(……明日は遂に、あの声の主——神獣べモスの撃退に臨む日)
(達成すべき目的・目標は——状況を膠着させているあの獣を撃退して、人々が故郷で生活の出来る環境を取り戻すこと)
顔に受ける朝の冷気を借りながら、考えを整理する。
(撃退の方法は、"誘導"か強引に"押し出す"かで遠く離れた場所に移すやり方が基本)
(この時、昨日話した——獣を操っているような物体が見つけられて、それを無事に取り除くことが出来たらいいけど)
(それが見つからなかったり、獣が暴れて更に被害が拡大しそうな場合には、最悪……)
(……)
駆除——即ち、"殺める"。
心が痛むため言葉にして意識せずとも最悪の場合の選択肢として考慮し、隅に留め置く。
(……それらが、撃退を成功させるための方法で)
(……もし、もしも撃退が無理……失敗した場合は——目的を"移住の補助"に変更)
(……その場合は、正体でも何でも利用して何とか人々の移動を促し、水資源の補給や護衛で支援する)
(今、最も優先すべきは"人命の保護"……忘れるな)
そうして物事の優先順位を再確認。
極力避けたい"棄郷"の選択肢さえも冷静に視野に入れられた後。
「……ふぅ」
一息を吐き、主題を己自身に変える。
(……訳の分からないことの連続で、この夢が終わるのは、いつなんだ)
(そもそも本当にこの夢は——"終わるもの"なのか……?)
何処ともなく見つめる虚空。
心に映す故郷の記憶。
体感時間にして一週間ほど前——朝、学校へ向かうために後にした自身の"実家"、そしてそこで待っているであろう"家族"を想う。
(……帰りたい。帰れるものなら)
(そのためには、ただひたすら夢が覚めるのを待つのが一番いいのかもしれない……けど)
(……でも——)
固く、拳を握る。
"痛み"さえ——"感じる"ほどに。
(……この夢が覚めない悪夢なら、少しでもそれを——良いものに"変えたい")
(あの時、俺が感じたような苦しみ、恐怖を抱えて……それでも尚必死に生きようとしている人たちを——無視することは夢でもしたくない)
(終わらない、"終わっていない"のなら、まだ——間に合う、変えられる筈だ)
(彼女たちにある未来。"今の俺"ならそれを——)
掌で作り出す鏡面——水に映る女性の姿。
目を落とす——
「……」
そこに映った彼女の表情、湛えるのは憂いの暗い色。
(……元の自分がどこに行ってしまったのか。今の自分がなんでこんな姿になってしまったのか——今も分からなくて……怖い)
("気持ちが悪い"とさえ、たまに感じる——)
奥底に沈みかけ、冷える心——。
だが、それでも。
(——だけど——)
今は——燃やさねばならぬ。
(今の俺だからこそ——出来ることもある)
宿さねばならぬのだ——闘志を。
(……だから、やってみる。やってみるよ)
(……これから俺の進む道がどんなものになるのか、何が待ち受けてるのかも分からないけど——)
鏡を消し去り、前を向く。
(……もう——後悔は、したくないから)
——————————————————
同日——
都市ルティシアの神殿にて。
「——嗚呼、我らが神」
「
「どうか、どうか」
降りる夜の闇が訪れる時の中。
燭台の火で照らされた神殿内部。
そこに集まる白衣を纏った巫女たち数人。
「我らに加護を。我らに慈悲を」
「か弱き我ら、信仰の徒を御導き下さい——」
信仰する神を象った石像に向かって跪き、何やら祈りを捧げている。
「…………」
そして、跪いた数人の巫女と石像の間にはもう一人の少女——他の者と同じく白衣に身を包みながらも、額や首、腕や足に金銀豪華な装飾品を身につけた少女が、静かに。
床にて一人、仰向けの姿勢で寝転がっていた。
「——どうか、我らに貴方様の叡智を。神の託宣を御授け下さい」
祈る彼女らが待ち臨むは"神の言葉"。
この日は朝に"匿名での食料の寄進"があったとはいえ、それで民の命が持つのは三日か四日程度。
依然としてこの都市は予断を許さぬ状況が続いており、神殿では今日のように神の言葉を請う祈りが連日、熱心に捧げられていたのだった。
「——どうか、どうか、お願いいたします」
「どうか……お願いします……」
巫女の長と思われる女性の必死の祈りも虚しく。
横たわる少女——"神の依り代"たる少女に変化はない。
昨日や一昨日と同じく、またもや祈りが徒労に終わるのか——巫女たちの心模様も空の変化に合わせ、暗然たる思いに沈み始める。
そして時間だけが過ぎて去り、王のもたらした聖なる陽の光もまもなく完全に失せ——。
「————!??」
始まるのは——"
「——だ、誰だ!? 儀の最中に火を消したのは……!!」
神殿、突如として闇に包まれた。
巫女長が驚いて声を上げるが名乗り出る者はおらず、心当たりのない他の巫女たちも慌てふためく。
「……い、いえっ、誰も火に触れてなどは——」
「夜、夜が早くに訪れたのです……!
神殿の中には何時もならば設計通りに差し込む筈の月明かりさえなく、視界を染めるのはひたすらに闇夜。
闇、そして恐怖が掌握する人の心——神殿は厳粛の場から喧騒の場へと姿を変える。
「お、落ち着きなさい! 貴方たち!」
「無闇に動き回ると危険です! 今は一旦、壁に寄って待機を……!」
「我らの主にとっては恐怖さえ許容の対象、必ずやお許しくださる。託宣の祈りは中止です……!」
「そこの貴方も、一度は起きて——」
長が声を掛けるのは依り代役の少女。
寝転がる彼女が踏み潰されては大変だと。
その体を起こすように背後に向けて先に声を飛ばし、手を引いてやろうと振り返る。
「!? あ、貴方、立てたなら、こちらへ——」
しかし。
「"…………"」
「———"ひっ"……!?」
そこに立っていた依り代の少女。
抱く瞳の妖光——染まるのは"闇中の真紅"。
「————!? あ、あ、あなた、い、一体、ど、どう——」
『『——聞け——』』
「——っ! っ!?」
その発する声は、"重く"。
『『——これは託宣である——』』
尋常ならざる少女の響かせる言葉が腰を抜かす巫女たちへ——伸し掛かる。
『『——間もなくの未明——』』
『『——お前たち——』』
『『——安らかなる渡りを望むのならば——』』
『『——都市を離れよ——』』
星を抱く、暗くも赤き宙の瞳。
超常の視線が見つめる世界で巫女たちは声の出し方さえも忘れ、涙を流して言葉を刻む。
『『——そして——』』
そうして、次。
憑いた神、言い終える言葉を境として——。
『『——水の蛇、立ち昇るその時まで——』』
『『——決して——』』
『『——戻ることなかれ——』』
人の知る夜が帰る時。
依り代の少女は闇に抱かれ、それはゆっくりと静かに床へと下ろされ——久方ぶりの快い眠りに就かされるのであった。
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