『第十三話』

第一章 『第十三話』




 ——四日目。




「……最低限。最低限ですが貴方も、神としての己を知得した様子ですので——」




 黒と白混じる薄明の下。




「学びを、"次の段階"へと進めたいと思います」

「次……?」




 白黒女神——アデスは話を持ち出す。

 陽の光に紛れて行く数多の星明かりを仰向けで眺めていた、休息終わりの青年へと。




「はい。本来ならば、"高位の神々"とも渡り——いえ、単独でも逃げおおせられるまでに習熟の度合いを高めたいのですが……」

「……」

「……今は、時間が限られている故。程良く"己"を知った所で次は、"敵"について——」




「——『神獣べモスとは何ぞや』……と言った、相手の性質や力量を把握する段階——"座学"の時を挟みます」

「座学……ですか」

「はい。『相対するかれを知り立ち向かう己を知れば、なんとやら』……ですので」




 二度、深く頷き。

 未だ正体不明瞭の女神は青年に"知の重要性"を覚えさせんと。

 辺りの岩に腰を下ろして弁を振るう。




「早速に女神よ。先ずは第一に、貴方が彼の神獣について既知としていることを挙げてください」

「……分かりました。確か——以前にアデスさんから聞いた話だと……"全長が約二十メートル"で、"神の王様?によって作られた獣"で……"声が大きい"」




「……知っているのはそれぐらいです」

「……宜しいでしょう。私の発言を聞き落としてはいないようですね。では——今言ったものに加えて、貴方の知らない情報をいくつか、私から補足しましょう」




 そう言うと、"トコトコ"とアデス。

 自らに合わせて対面に腰を下ろしていた青年を置いて川辺に立つ人大の丸岩に接近し、そのまま岩を撫で。

 左手で面を平らにして即席の板——"白板"を用意した。




「初めに、外見の特徴から」




 白板の前に立つアデスの指先、"黒を纏い"。

 整えられた面を滑り、情報を書き出して行く。

 今に記した内容は概ね以下の通りであった。




 ・巨大な牙、角を持つ。

 ・悠久の時を経た大木の幹のように太い尾。

 ・鉄の如き堅牢な骨。

 ・平原のようになだらかな背。




「……これぐらいでしょうか。特筆して注意すべきなのは防衛行動にも用いられる"尾"です」

「尾、尻尾……」

「神といえど、今の貴方が全力の一振りを受けたのなら、軽傷では済まないでしょう——留意を」

「わ、分かりました」




 白板に書かれた情報を元に、青年は自身の有する神獣想像図を更新する。

 言語及び文字の認識機能は、青年が現在の神体を得た時に無意識の内で"置換"されている。

 本来の神ならば、言語を含む精神活動の集積が形を成した存在であるが故に置換それは必要ないのだが——何がどうなったか——特異な個体として顕現した青年の場合は"言語野がそっくりそのまま入れ替わるよう"にしてこの世界に機能が"最適化"されていた。

『"第二の言語と文字の体系認識"が"母語とする第一"の認識と位置を交換した』——と表現しても良いだろうか。

 兎も角、幸か不幸か——見知らぬ世界での意思疎通に目立った問題は生じず。

 今はアデスのする若者への配慮も相まり、両者の間に決定的な断絶という壁が立ちはだかることもまた、なかった。




「……次。内面的な特徴、有する力について」




 続けて、アデスは淀みなく。

 走らせる指で獣についてを明らかとする。




 ・高い適応・生存能力。

 ・牙の持つ『自由』の力。

 ・非常にな性格。




「——と記した所で。これらについて詳しく説明します」

「はい」

「先ずは"適応・生存能力"について」




「一部の人間は彼の獣を"不死"だと考えているようですが、実際には彼らも"死せる魂"を有し、個体の平均寿命は凡そ二千年です」

「に、二千……」




 人知を超えた長命の生物種。

 桁の違う数字に青年は目を丸くし、驚く。




「また、彼らはこの星の多種多様な環境での生存を可能とする組織・構造を有し、主な生息域である水中は勿論、陸上や山の頂上でも姿が確認されています」




「それ故、"陸海空を制する自由な生物"とも度々呼ばれますが、これは単なる比喩ではなく。二番目に記した——"牙の持つ自由の力"にも関わっています」

「自由の力……?」

「現実に、神獣の体の一部は"反発の力"——いえ、『呪詛や拘束を打ち破る力』を幾らか残す……宿している。故に"自由"」




 神獣が有するその力を表すには『解呪・解放』や『打破』といった言葉より、先に彼女が口にした『反発の力』の方が適切であったが——聞き手は"人に近しき新世代"——"第三世代の惑う女神"。

『より感覚的に理解可能な方が良いだろうか』——と悩み、選ぶ言葉でアデスは続ける。




「また、"そのため"か。商いの場では牙の欠片であっても莫大な価格設定で取引が行われ、その利益その力を欲して神獣に挑んでは"返り討ち"にあう者も少なからずおり」




「そうした経緯から『容易に捕らえること能わず』という意味合いも込められ、彼の神獣は自由の象徴として考えられているようです」

「……? 逃げたりではなく相手を返り討ちにするってことは、獣自体は結構"凶暴"……"力を振るう"感じなんですか?」

「……疑問がお有りで?」

「疑問……と言うよりか。三番目にって書いてあるので、気になって」




 矛盾——と呼ぶ程の物ではない白板の記述に"違和感"を覚えた青年の"挟んだ口"。




「……ふむ」




 その目敏い様に下す一定の評価。

 "疑って物を見る最低限"——"及第点"に少しの点を足し、追加の情報を与えてやる。




「返り討ち……と言っても、獣から見れば矮小な生物を『小突く』程度のもの。反射的な防衛反応にしても"温い"ものだ」


「更には彼ら草食が故、肉の命を殺す必要・理由もなく。そこから発展して彼ら——」




「——でもある」




(血を、嫌う……?)




 "都市を襲った獣"の——"温厚の真実"を。




「有する強大な力、それは単純な膂力りょりょくだけでなく——"知力"からも成るもの」


「それはつまり、比較的"高度な知能"さえ有しているということ。痛みや苦しみ、悲しみ——"共感"さえも知る程の」


「だからこそ、彼ら、力を持っていても——力を持つが故に『傷付け・傷付けられること』、『殺し・殺されること』の"虚しさ"を理解し、流血をもまた——"忌み嫌う"」




(いや……何か、"おかしい")


(血を流すことを嫌うなら、何故……——)




「そうした理由から、彼らの多くは例え只人ただびとに襲われたとしても、感情的になって逆襲をする……謂わば"能動的に動物へと襲いかかる"ことは——」




(何故あの獣は、都市を——人間を、?)




「——




 そして垂らす——"見え透いた矛盾の釣り針"を。




「……ですが。アデスさん」

「何でしょう」

「貴方が嘘を言っているとは思いませんが、それだと——

「何故、そう思うのか」

「だって、血を嫌う温厚な筈の獣が人の都市を襲うのも、肉を食べないのに畑や家畜を荒らすなんてへん……"矛盾"してませんか?」

「……"良い質問"です。女神」




 不敵に笑み、向き直る白板の方。




「何を隠そう、貴方が口にした"その疑問"、"不可思議な矛盾"こそが——」




 新たに丸で囲んだ『温厚』の字。

 上に付け加えた疑問符を指差す。




「今回の座学の——"最も重要な部分"なのです」




「……私の、そして貴方の言う通り、彼の神獣は本来——"とても温厚な性格をしている"」


「問題となっている個体は勿論。種としても彼らが『何か・誰かを助けた』と言った話を耳にすることはありますが、『誰かを襲った』といった内容の話は——"今回が初耳です"」


「実際に私も過去、溺れた人間を背に乗せて救命を為した同種別個体の姿を目撃しており、そうした暖かな逸話は"聞けば枚挙にいとまがない"」


「神獣べモスとはその努めた温和な振る舞い故に、種を問わず多くの生物たちから敬意を払われる——"高貴"の獣」




「では、"何故"……?」




 右に左に振れる真紅の瞳——停止。




「"そのような獣である彼らが都市を襲ったのか"」





 射抜いた先の青年へと、問い掛ける。




——"どのように考えますか"?」

「……また少し、考えさせてください」

「どうぞ」




 許可を得て、頭を悩ましてみる。

 組もうとした腕を途中で崩して口元に手を寄せ、内なる思考を眺める。



(……べモスは本来、他者を襲うような獣ではない)


(基本的には肉も食べず、知能も高く、争いを好まない……そんなことをする必要があまりないと知っている)


(……だけど現に今、神獣それが都市を襲った)



 崩落した壁。

 遠方から木さえ震わし折る鼾を思う。

 獣に"都市を襲う力"があることは恐らく明白だが——では、




(それは……なぜ……?)


(そもそもどうして、そんなことに……——)




————————————————————



————————————————————




(…………)




 考えた末、心に引っ掛かる物言い。

 ならば、その発言者に意見を求めよう。




「……推測なんですけど」

「構いません」

「……温厚な神獣が都市を襲ったのは何か——」

「……」

「何か、その獣には——『そうせざるを得ない理由』、『事情』があったんじゃないでしょうか?」




「……"理由"に"事情"、ですか」

「……はい。確かに知能がある彼らが何の考えもなしに都市を襲うのは……やっぱり、変だと思うので」

「……『異変には原因があるのではないか』と——"貴方は考えた"」

「——"はい"」

「……成る程。でしたら——」




 そうして、女神。

 青年の"己で考える"姿勢——"示され"。




「私も貴方の推論を聞いて今回の件が奇異に思えてきたので、"関連の疑われる話"を思い出し——」




——

「……お願いします」




 "引き出された追加の情報"は、以下の通り。




 ・件の神獣は"幼体"の雌であり、"本来ならば母親と行動を共にする筈の幼年期の個体"。

 ・今より少し前、成体と思しき同種、"一頭の雌の死体"が海岸で確認された。




「——以上の二つ。私が最近に聞き及び、自らも観測した情報です」




 表された物騒な語に寄せられる眉根。




「上から順に、詳しく説明していきます」




(……"死体")




 青年は軋む心で耳を傾ける。




「——先ずは一つ目」


「これは見たままの意味で、ルティシアを襲い、貴方がこれから撃退せしめんとする獣はその生物種としては未だ熟さぬ幼体——つまりは"子"だということです」


「同種は本来、成熟するまでの子は母親の身近で育てられますが、件の個体は幼体であるにも関わらず単独で行動しており、恐らくは——"親と逸れた個体もの"と思われます」




(……)




 聞いた"その境遇"に、予測される次の展開に心が痛む、"共感"の心が。




「——次に二つ目」


「記した通り、都市が襲撃にあうよりも前、現在地から最も近い海辺で同種の死体が発見されました」


「数はいち。性別は雌。成体。腹部の色模様の変化から、出産を終えた個体であることが推察可能」


「しかし、近辺に子の姿はなく。列挙した事実から考えるに、この個体は——」




「……都市を襲った個体の——"母親"?」




 単純な連想でも青年はアデスに先んじ、予測を口にした。




「……はい。現に私は彼女たちが共に海を揺蕩う姿を目にしたことがある。つまり、都市を襲った幼体と死亡が確認された成体は一般的に——"親子"の関係であったと言えるでしょう」




(…………親子)




 自らでも無意識に握る拳に、熱が宿る。

 神の内側で加速する——流体の循環。




「……発見された当時、死体にはが残されていました。恐らくはその傷が致命の物となり、獣の体を死に至らしめたと推測されます」




(……一緒に行動している筈のものが、なぜ……)




 感情が上げる熱を冷却水で冷まし、思案する。



(都市を襲う程の理由……)


(親を喪った悲しみに突き動かされて……? いや、そこまで突発的に感情に身を任せて暴れるようなことは、今まで聞いた話からしても考えづらい)




(なんでなんだ……? 温厚なのに、どうして……)




 白板に書かれた"温厚"の文字を目でなぞる。

 その様を眺めるアデスは青年の集中推理を邪魔しないためか、沈黙。




「……」




 そこにはやはり、息する呼吸の一つもなく。

 冷徹の眼差し、青年を見定めんとする。



(……死体には傷があった)


(その傷が単に何処かでぶつけたような怪我なら……不幸……だと思うのしかないかもしれないけど)


(もし、その傷が"そうではない"のなら……?)


(傷を負った理由が事故的なものではなく……『誰かに攻撃された』——"加害行為"によるものだとしたら……)


(その反撃……怒りによる復讐に都市が巻き込まれて……というのはどうか)



 シナリオ立てて模索する答え。

 親をただ喪っただけでなく、それが"命を奪われた"のなら温厚な獣は何を思うのだろうか。

 今の孤独に置かれたその獣は——悲しんでいるのだろうか、それとも怒りに身を包むのか。

 慮る青年は決して理解も共感もしきれぬであろう獣の感情に悩む。



(……更に嫌な夢になっちゃうけど)


(それが殺意によって成されたものなら、当時一緒にいた子も少なからず悲しむのだろうか)


(だけど、そこで復讐を誓うのは…………)



 再び温厚の気質に辿り着き、行き詰まる。

 まさしく視点を変えようと視界を動かし——。



(……そもそも、"普通の人間"では返り討ちにあうほど強いなら、そんなことは起こり得ない)


(あんな大きな声と体の獣、それこそ神の獣を傷付けようだなんて"普通"は考えも……しない)




(……だけど、仮に"人では付けることの出来ない傷"を、"それを付けることの出来る存在"がいたとしたら——)




 ——視線の動きを止めた先。

 見つめ合う形となった神秘的な女性。

 アデスという女神の存在に、"一つの心当たり"を得る。




(——『神』なら、)




「……アデ——」

「所で、女神」




 すると、青年が質問しようとした矢先。

 さえぎったのは声。




「私も私なりに、色々と考えてみたのですが」

「……?」

「もしも、母親である個体の肉体的な死が何者かの攻撃によって誘発されたものだとすれば——それを成し得るのは畏れを知らぬ者にして、人を超える強大な力を持つ者」

「……!」

「……即ち——"神的しんてき存在"……ということになるのでしょうか」




 穴の空けるかの如くに青年の瞳を凝視する女神。

 その視線の源であるアデス——"奇しくも"青年とほぼ同時に、ほぼ同じ推論を先に表して聞かせたのであり——そして、更に。




「……実は今、俺も同じようなことを言おうと思っていて、神なら神獣を害することや怒らせるようなことも可能かもしれないと——」

「確かに。"神ならば獣を使役して都市を襲わせる"こともまた——"可能でしょう"」

「……え」

「そう考えれば、一応の説明は付く——実例としては"私が鳥で貴方へ攻撃したように"」

「——"!"」




 更に更に先んじてぶち上げた論が青年を——"更なる発想に導く"。



(——そうだ。確かに……!)


(黒い鳥を捕まえる鍛錬の時、アデスさんはあの鳥に"神気を与え"——それを"使役"していた)


(なら、神気を使えば——)




(だとすれば、あの獣がルティシアを襲った理由だって——)




「——


「そしてそれが可能なのは『神』であり、死体の件も含めてこそが——」




「——?」




 青年の口にした推論は飛躍したが、筋は通る。

 青年という女神には未だ具体的な方法が理解出来ないが、彼女の知る目の前の女神を基準にして考えれば——"異変を起こすことは可能"だ。




「……そんなことも、あり得る……?」

「——私は、そのように考えました」

「だとしてもそんなこと、が……」




(少なくとも俺の知る中で、そんな存在は……)




「……因みに、私が行ったように確固たる物質を介さずに命へ神気を与えても、使役が可能な時間はごく僅かです」


「長時間及び高精度の使役を行う場合は、神経への情報伝達を媒介する物として優れた——を介して命令を与える方が適当でしょう」




「それはつまり……『今の神獣は何かものを通して神気を与えられ、操られている』……そういう?」

「可能性を否定する材料がない以上、考慮に入れるべきでしょう」

「……操られていたとして、その原因となっている物を取り除いたら……どうなりますか?」

「除去の後、まもなく——"元の正気が戻る"かと」

「……!」




(それなら、もし、そうなら……それを取り除いて、元の温厚な神獣に戻すことが出来ればあるいは——)





(——本当に、都市を救えるかもしれない……!)




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