『第十二話』

第一章 『第十二話』




 学びの、"一日目"。




(……冷たい)



 ざあざあと音を立てて落ちる上流の水。

 川の中央で膝から下を水に浸す青年。



(流れは結構早い。それに、後ろは——)



 体勢を崩さぬよう力を込め、改めて見遣る後方。

 さほど遠くないある地点には、流れて行く水たちが一斉に高度を下げる——"滝"があった。



(……流されて落ちたら、"普通は危険"だけど——……今は、やるしかない)




「——この川は貴方の分身とも言える水の集合です」




 人大の岩の上より指示説明を飛ばすのは白の髪に黒の衣服、そして赤目の——少女?——指導役のアデス。




「……流体に慣れ親しめば、少しは思い出せるでしょうか。忘れてしまったながれを」

「は、はい」

「……」




 青年の一挙手一投足を具に観察する彼女の提案によって始まった指導。

 ルティスと呼ばれる川水の女神——水を碌に操ることが出来ない青年を神体に浸らせ、"呼び水"とするその流れによって誘い出そうとするのは"権能の発露"。

 "有する真なる力"を"呼び覚まそう"と画策する女神によって、同じく女神の青年は川中に立たされ——知らず知らずに試されていた。



(でも、水に触れてるだけで本当に力が使えるようになるのだろうか……今のところ、そんな気配は——)




「……難しく考えていますね」

「……!」

「本来、生まれ持った権能の行使に複雑な精神・思考は必要ありません。肩肘を張らず水を楽しみ、流れに思いを馳せてみてください」

「……分かりました」




(……取り敢えず、やってみよう。楽しんで、思いを……——)




 深い呼吸と凝らす眼。

 指示に従って研ぎ澄ます——沈着の心。

 触覚で感じる足下の冷ややかな温度を伝い、徐々に広げる認識の世界。



(——……生き物が沢山)



 川中に転がる大小様々の岩。

 多くが苔むすその影から姿を覗かせるうねうねとした小さな虫、淡色の海老や蟹、小魚たち。



(……不思議な感覚。夢なのにやっぱり——みんな、生きているような……)



 視線を動かさずとも感じる視線。

 命を注視する命——周囲の木々に止まった鳥が鋭く眺める水中の動き。



(……波紋が連続して、これは——蜻蛉トンボ?)



 四方を突出する岩によって守られた穏やかな水溜り。

 遠目に見える飛ぶ虫の体は青空、羽根は二対四枚透き通り、小気味良い調子で点々と広げる水面の波紋、その様——産卵だろうか。



(色んな動物が——"?")



 動物を主とした川の生態系を目で楽しんでいたルティスの足に接触した何か——魚。



(魚……種類は………)



 体長二十センチメートルほどの口の大きな川魚は泳ぎ、青年を置いて上へ上へ——滝さえ越えて昇って行く。



(あ…………)



 只管に先へ進もうとするその姿、鱗に反射する光は眩く。

 青年は声も忘れて、その輝かしい背を見送る。




————————————————————




 ——そうして。




「"————"」

「……」




 青年、水に浸って集中したまま——数十分が経過。

 急流の中で不動に立つその姿、眼差しの奥に渦巻く輝きを見たアデス——『良き、良き』と無言で二度、頷いて。




「試してみましょうか——"女神"」

「——! は、はい!」




 揺さぶった意識に次なる指示を語り掛ける。




「俺は何をすれば……」

「水という物質に慣れてきたのなら、次はその"流れ"を意識してください」

「流れ……?」

「貴方という川の水が何処から現れて、何処へ向かうのか——その旅路、水の循環を想像して再確認し、同様に貴方の玉体にも動き流れの基礎を思い出させるのです——」




 アデスの回す指が水分を集めて細い線の形——空中で小さな川を描く。




「——始点を貴方自身の川とした場合、そこに含まれる水たちは、次に何処へと向かうのですか」

「川の水、は……流れて——"海"へ向かいます」

「河口を通って海へと注ぐ——」




 太さを増して行く水の線。

 小さな川は指で傾けられ、アデスのもう一方の掌に注がれて溜まりとなり——吹き掛ける息が波を起こす。




「——では、海に注いだその次は?」

「海で……温められて——蒸発?」

「液体は気体へと転移して——」




 言葉通りの現象が女神の掌で続く。

 光の加減で白く色を着けられた気体——薄靄を両手で閉じ込めて話す。




「——気体としての水はどちらへ?」

「上?」

「上昇の後——どうなる?」

「集まって雲になる?」

「冷却。凝結ぎょうけつ。雲の粒——」




(すごいな……)




 辿る記憶、巡る軌跡——今は遠き学生時代。

 物思う青年の視界、飛び出す蒸気が灰色の雲となる。




「——集まって雲が出来ました」




「……それにしても、"良く知っていますね"」

「えっ……流石にこれぐらいは……」

「"女神にしては特に"——




「でしたらその調子で"私に"、情報つづきを聞かせてください」

「あっ、はい。では——」




 掌大の雲に意識を向けて続ける。




「——雲はその次、雨や雪を降らせます」

「集まり、大きく重くなった粒たちが落下して——?」

「また地面、大地に降り注いで……隙間から湧く?」

「この付近では山脈も経由するでしょう」

「それなら……高い所から低い所に流れて……」

「——再び、"川へと舞い戻る"」




 アデスが操る水は最後に再び細い線となり、指の鳴らす音を合図として弾け——空気中へと解放、自由を得る。




「これが、一連の流れ。……という訳です」

「成る程。分かり易かったです」

「尋ねるまでもなく貴方も理解していたようですが……それは兎も角」




「でしたら次に——今の流れを貴方自身が有する流れに重ねてみましょう」

「重ねる」

「こうしている今も、貴方の内側では先の説明と近しい事が起こっている」




星内せかいを旅する水と、貴方の玉体を巡る水を同調、重ね合わせて——流れの方向性に干渉するのです」

「……方向性に」

「分散や収斂。時に勢い激しく、穏やかに。体内の循環から逸らして粒子と粒子の隙間から外に出してやれば——」




(隙間から水……——あっ)




「"ホースみたいに"水が——出せる……!?」

「……なんと?」

「ホースみたいに?」

「……少し、お待ちを」




 するとアデスの方では、聞いた"単語についてを考える"。




「……それは、"流体制御に用いる管状くだじょうの物体"——という認識で合っていますか?」

「? はい。あの——"水を撒くやつ"です」

「……」

「要はあれと似た要領でやれば……水が出せる?」

「……はい。概ね、理解は間違ってはいないかと」




 か。

 将又はたまた——か。

 "言葉・言語"に比重を置いて世界を認識しようとする青年に合わせ、続く——女神から女神への指導。




「"言語化された理論"によって貴方の理解が助けられるのなら……そうですね。その感覚で水を放出出来るかどうか。試してみるのも良いでしょう」

「今、やってみても……?」

「問題はありません」

「なら、もう一度——やってみようと思います」




 川中で立つ青年は掌を前へ。




「……すぅ」

「……先程も言いましたが、難しく考え過ぎる必要はありません」




「上から下へ。若しくは満ちた空間の圧からゆとりある空間へ解き放つ——貴方にとっての水の自然な動きを基礎とし、要所要所の気や熱で力を加えるだけでも構わない」

「……はい」

「今は"存在しない物"ではなく、についてだけを考えよ」




「無より生み出すのではなく、既に貴方という世界が有する水を外へ——"押し出してやれ"」




(体の内側にさっきの、"流れ"を——)




 沈着思考、再び。

 女神としての体の中心、胸の真中辺りで心を——"始点となる水の溜まり場"に見立てる。



(……全身へ……巡らす——)



 心臓と血液循環という既知が更なる理解を助け——"加速して行く流れ"。

 大海より各部位に送り出される流体。

 高速で巡る神気。



(——冷たくて、暖かい)



 増大するエネルギー。

 器の形に沿って回るそれに——向かうべき方向を示そう。



(……外。掌から外へ——)


(腕へ、集めて……)




(切り口を——)




 繰り返す深呼吸。

 そのもたらす揺れが、巡る力に波を立てる。



(掌のしわ——)


(細かい隙間を、出口と思って——)



(水、を——)




(水の流れ、を——)




 振動する腕を腕で掴み、抑え——。




(この流れ、を————!)




 見開く眼、光を帯び——。




(——"外"、"へ"————っ!!)





「——ぐっ、っ————!!」





「"————————!!!!!"」





 突如、後方に吹き飛ぶのは青年の体。

 前方で砕け散ったのは視線の先にあった岩だ。




『————————————————』




 遅れた音。

 上がる水飛沫、飛び散る岩の破片。

 飛散してアデスに向かったそれらは"衝突することなく"——"更に細かい粒"と化し。




「——…………、、……?」


「…………??」





「…………へ?」





 吹き飛んだ青年は間の抜けた声。

 "滝壺"で浮かぶ彼女の眺める先。




(……なんか、なにか——でき、た……?)




 空で光は薄く、"多色にじの弧"を描き出す。




————————————————————




 続き——『三日目』

 西側の空が赤く染まり、木々の影が伸びていく黄昏時。




「……」




 息を殺して早数十分。

 川に面した森を進む人型の影が一つ。

 その影、まるで失せ物を探すかのように頭を右往左往させ、周囲を見回す。



(……この辺りだ)



 この数日、食わず寝ずでも機敏に動くその体——玉体の持ち主はルティス。

 青年女神たる彼女は今、指導役である女神の指示で"あるもの"を探すため、この森に踏み入っていた。



(……気配が近い)



 全方位で巡らす超感覚。

 探す対象物はアデスによって神気を帯びており、その気配が青年の足を止めさせた。



(方向は西。距離にして三十……——)


(——いや、二十五メートル。地面からは離れてて……空中……?)




(……羽ばたかずに、この高さなら——)




 大方の位置を把握。

 黒のギラつく目で見遣る先には樹木。



(——枝に、止まって……)



 根元から幹に沿って視線を上げ——目標を視認。

 夕焼けに映える黒の丸影——しかし、直後。




「————!」




 件の方向から青年へ、二・三の飛来物は。

 対象からの攻撃——空を裂き、飛び向かう。




(——いた……!)




 手早く飛来物の訪れる方向へ翳す右手。

 大気を撫でて目に見える形に整える水の薄膜。

 青年と攻撃を隔てるようにして展開された壁は流れ落ちる水流の圧により、接触した飛来物——"黒き羽根"を叩き落とす。



(——そこか!)



 攻撃を凌いだ後、脚部に回す力。

 僅かに下方へ沈む体で改めて目標の位置を確認し、練り上げた気を後方へ放出。

 進行方向の地面にも水気を這わせ描く、川のような道の筋——追加の羽根を避けながら"滑る"ようにして目標へ向かう蛇行の影。




「——!? カァッ!!」




(——逃がさない……!)




 青年のの探していたあるもの——"黒き鳥"。

 奇襲を見破られた上、自身に向かって猛スピードで向かってくる女神の姿に動揺したのか、まさしくバタバタといった様子で慌てて羽ばたき、木の枝から空へ試みる逃飛行。




「——っ!」




 しかし、動きの速度では青年の方が上。

 目標である黒き鳥まで数メートルの距離に迫った彼女は逃げようとする鳥の姿を確認すると足裏により一層の神気を集中させ——"放出"。




「——!?? グァァ! ガァ!?」

「——捕まえた!」




 そうして飛び上がった空で見事、鳥を捕獲。

 両手に包まれて尚も暴れるその鳥の体を"水の輪"で拘束——無事に今回の目的を達成したのであった。



(拘束も——完了。怪我もさせては……ない)




「——アデスさーん! 捕まえましたー!」




 告げるのは課題の達成。

 背にする夕日は既に地平線に半身を隠す中。

 それに合わせるか如く共に落下する青年。




「——よっ、と」




 両足で力強く着地を決め、深く息を吐く。




「……ふぅ」

「——お疲れ様です」

「お疲れ様です。アデスさん」




 木の冥闇からのっそりと姿を現わすのはアデス。

 命じた『鳥を追うこと・無傷で捕縛すること』の達成を見届け、一柱と一羽を労いに来る。




「神気の基本的な扱い方は既に、その身に取り戻したと考えて宜しいでしょう」

「本当ですか……!」

「はい。取り分け放出においては成長めざましく。飛び上がろうとしては何度も岩壁がんぺきや地面に激突。のたうち回っていた頃が嘘のようです」

「それは……」




 ばつが悪そうに顰める眉。

 思い返す昨日・一昨日の苦い記憶。

 連続六十時間を超える学習に励んだ青年は文字通りの七転八倒・悪戦苦闘を経て、最も単純な権能行使の方法——"水の放出"を会得するに至っていた。




「……痛いのは嫌なので、早く制御を覚えようとしたからです」

「……ふむ」

「あと、この鳥はお返しします」




 話しながら先ほど捕縛した折に付けた輪を消し、アデスに鳥を手渡す。




「お預かりします。……ご苦労様でした」

「——カァ!」




 そうして、青年の鍛錬の一環として女神の神気を分け与えられていた鳥はアデスの腕に乗せられ、報酬の赤い木の実を拝領。

 その後、一度大きな声で鳴いては短期の任を解かれ、今度こそ夕刻の空へ——自由の翼で飛び去って行く。




「ですが、それでもやはり衝撃を真面から受ける必要はないかと。液体なり気体なり、己を流体と変えて受け流せば良いものを何故なにゆえ、そうはしないのですか」

「……その。水を圧縮して放つのだったら、手で作る水鉄砲とかで何となく理解出来るんですけど……」




 小さくなる影を見送りながら、二柱は話し込む。




「……自分に流体化そんなことまで出来るなんて、まだ思えなくて」

「……」

「何より、一度溶けたら戻れなくなりそうで"怖い"。バラバラになってしまいそうで少し……怖いんです」




(夢とはいえ、"ひとが溶ける"のは流石に……)




 話題は青年女神の力が十全に発揮されていないこと。

 危険を避ける安全弁の如く流体の可能性を遮断する"恐怖心"——生まれ持った力を過度に恐れる"特異な女神"についてだ。




「……私も、無理を強いることはしたくない。貴方の有する力だ。何をどのよう・何のために使うのかも貴方の自由です」

「……」

「貴方自身が自らの流れる力を抑制しようと弁を設けることは勿論、"何を秘することも"」




(……)




「実際に神獣を押し返すだけの力は既に備わっている。貴方がそれで良いと考えるのなら、さしたる問題はありません」




 しかし、予め設定した休息の時は近付き。

 深入りを避けるアデスは忠告を残し、青年と距離を置こうとする。




「……ですが、決断を要する時は得てして訪れるもの。その時に貴方が後悔を知りたくなければ、備えておくのに越したことはない」


「理想の実現を強く願い、望むのなら——心身共に、準備を怠ることなかれ。疾く手を伸ばさねば、掴み取れぬ夢もある」




 燃える紅を瞳に宿す女神。

 彼女の、その秘された心中は——如何に。




「その事実を、片隅でも構わない」


「構わないので必ず、覚えていてください」



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