『第十五話』
第一章 『第十五話』
六日目——『決行当日』
「——では、神獣の元へと案内を始めます」
「はい……!」
昇りきった陽を隠す雲。
幸か不幸か、降る雨の下——出立の時。
身を闇にやつして転々と先を行く白黒の女神を青年は追う。
(……力、神気の操作にも問題はない)
(相変わらず溶けるのは出来ないけど、現時点でも……獣を押し出すために必要な馬力は出る)
事前の予行——アデスによって重量を神獣のそれと等しく調整された大岩を相手に——練習を重ねた青年。
流れて変わる景色には目もくれずに漆黒の影を追い、直前の心を構えようとする。
(後は、出たとこ勝負。べモスの様子を直接確認して……——今も寝ていて起きそうになかったら、一気に畳み掛ける)
(——だけどもし、獣を操っているような怪しい物体が確認されたら……それを取り除くことに集中)
("可能なら"——都市とべモスも傷付けずに護る)
(けど——最優先は人命の保護で…………ふぅ)
"これ以上の被害者を出さない"ことこそが肝要。
なれど——"救えるものは救いたい"。
己の願う理想を忘れぬよう、何度も行う心中での確認作業。
(誰も死なず、殺さずに済むなら……その方が良い)
(……故郷を捨てずに済むなら、それも勿論)
(都市から離すことさえ出来れば、事態は好転する)
(落ち着いてくれれば……尚のこと)
「……」
(……相手は二十メートル近い獣)
(それと直接相対して……近付いて、身を動かす)
身震い、寄せる襟元。
しかし、蓑と頭巾越しに感じる雨の冷温が——今は頼もしく感じられた。
(……やる前から怖気付いてどうする。直接に殴り合う訳じゃないんだ……大丈夫)
仮に今日が晴れであっても水はこの星の至る所に存在するため、水神にとって水の確保に支障はなかったが——降るなら降るで都合はいい。
即座に使える"物"は多いに越したことはなく、今の青年にとっては当日の雨天さえ"追い風"となって女神の力を助け——その背を押させる。
(……大丈夫、やれる)
(——やるんだ)
————————————————————
「——止まってください」
「——!」
そうこうしていると移動の最中に掛かった声。
「あれを」
「——(……"あれ"……)」
先導していたアデスが地に降り立って、前方を指差す。
「……?」
指差された先、目を細めて眺める方向。
雨の降る森、雲に覆われた空と合わさって施される——霧がかった灰色と木々の茶、葉緑の彩色。
「…………——"!"」
その中に一つ、"ゴツゴツとした何か"。
呼吸をするように規則的な調子で揺れる——"黒い大岩のような何か"。
「……まさか、あれが」
「はい。あれこそ、神々の王が創りし自由なる獣——『神獣べモス』」
(……大きい)
頭巾に秘されたひそひそとした会話の後。
青年は自身がこれから相対する巨大な獣を注視し、背筋に冷ややかな温度を覚える。
(予想はしてたけど、あれが……本当に動くのか)
目に映ったべモスが最初に与える印象——それはやはり"巨大な体躯"。
今は睡眠中ゆえに脚を折り畳んでいるとはいえ、その高さも幅も誠の見知るどんな動物よりも大きく、その姿は全容の窺い知れぬ丸まった側面からでも青年の鼓動を早めるには充分過ぎる威容であった。
(今から俺は、あれを————)
「では、女神ルティス。私はここで失礼します」
「! あっ……はい」
そうして心細くも告げられるのは、別れの言葉。
「神獣を退け、都市の人間たちを救えるかどうかは……貴方次第」
「……」
「……健闘を、祈ります——」
冷淡無情にも導き手は影へと姿を隠し、場には青年一柱だけが取り残される。
(やっぱり……俺一人でやらないといけないのか)
(もう少し、手伝ってくれてもいいと……思わなくもないけど……)
そして、限られた時間の中。
(彼女の言う通り、これは俺が望んだこと、願いだ……今更ここで喚いても仕方ない)
視界に標的を捉えながら、深呼吸。
震えを殺すように握る手。
強張る体に巡らす神の気。
(——"始めよう")
決意を固め、気配を隠した青年は神獣に向かう。
(先ずは——"観察"だ)
————————————————————
(…………)
葉を揺らす朝風。
微細な音にさえ注意を払いつつ、青年は神獣べモスの後方に回ろうと忍び足。
(……操られているのか?)
(もし、そうなら……何処かに不審な物体がある筈……)
観察と並行して探すのはアデスとの議論によって導き出された推理——『温厚である筈の獣が何者かによって操られて都市を襲った』と実証するための物。
事前の感知では獣自身が放つ神気によって細かな気の流れが撹乱されて目標の物は未熟な青年では見つけるのが困難であったため、目視によってそれを改めようと女神は目を泳がせる。
(後ろの方には……ない)
目標との間——僅か数メートル。
事前に聞き及んだ通りの大木の如き厚みを持った尾に視線を引かれ——気を取直して凝らす目。
しかし、目標の物体は発見出来ず。
(前は……最後にして。先に逆側の側面を……)
次に青年、回っての側面。
(……牙。いや、あれは……"角"……?)
獣の横顔——額から突き出た厳しい"一対の角"。
天に向かって伸びるそれ、まるで捻られた岩の如くに荒々しく。
反射する鈍い光——その示す鋭さを持った角で突かれたのならば、神とて無事では済まぬだろうことが分かる。
(閉じられてるせいか目の位置が良く分からないけど、これは……顔)
(その辺りにも……ない。となると——)
(……"上"は?)
横からの視点より前後左右の面に目を通した青年は首を傾け、今もドスの効いた寝息を立てる獣の上下する体——その頂点たる背中へ目を向ける。
(ここからだと高くて見え辛い)
見遣る先には鮫の歯のような尖った三角形をした無数の"棘"が肩のラインから腰に向かってびっしりと列になって生え揃い——なだらかと聞いた背中への視線を遮る。
(仮にあるとするなら、見てないそこが怪しいとは思うけど……)
残された有力な場所。
背中を確認するには"高さ"が必要だ。
(……上から見る?)
(足から放出して飛んで……でも、気付かれずに出来るだろうか?)
そして、危険性を鑑みて数秒、己の行動と結果を脳内で試行。
青年は己が放つ波を風と雨に隠せるものと判断し、適切な位置どりを模索——その探していた時。
(……最小限で静かに、木にでも登っ——)
「「"————————————"」」
(————"!?")
突如として震え出す世界。
目の前の巨躯から音が発せられたのだ。
(——! わ、わ……っ!)
(——い、今のは、なんだ、まさか——)
慌てながらも咄嗟に身を隠し、木の幹から恐る恐る顔を覗かせ、様子を窺う。
「「————————————」」
(……っ……!)
二度目の音。
地面を大きく揺らすのは今度は声ではなく、獣の体そのものであった。
(……今のは、寝返り……?)
(起きては…………)
(……ない)
再び耳に帰る、降雨の静けさ。
しばらくして聞こえる息の音も穏やか。
幸いにも青年が抱いた"起床"という危惧はまだ、現実のものとはなっていないようだった。
(……なら、その前の音は"
一度、生成して飲む固唾。
既知の音を冷静に分析し、必要な思案に戻る。
(ここまで見る限り、凶暴そうには思えない。寝姿は、温厚そのもの……)
上下の揺れを取り戻した体を眺める青年。
聞き及んだ情報と実際に目にする光景を擦り合わせるように全体を通して眺め——。
(……確かに、この獣が都市を襲うとは…… ——……あれ?)
——気付く。
天に向かっていた筈の棘三角形の頂点が今は自身の側に向けられていること——寝返りによって"獣の背中が曝け出される態勢となった事実"に。
(……? 何か、変わって……これは、背中?)
そして、次いで見る——"背中の中央"。
(あれも……棘?)
(……にしては、一つだけ独立して、何か……)
(光り過ぎているような——)
均された砂地のようになだらかな場所に"一つ"。
輝く異物の存在あり。
(あれは……なんだ)
(鋭い——
(違う。更に細くて小さい——あれはまるで——『
(弓の——矢)
(——"!!" まさか、それが例の……!)
慄きながら、研ぎ澄ます感覚。
肉眼の視認という補助で見る先。
(……! そうだ、"間違いない"——!)
煌々と輝いては振動する矢——溢れる神気。
それは青年がこれまで感じたことのない——しかしそれでも、一目で異様だと判別出来る——禍々しい気。
(——"あれ"が)
白く光る矢——その神聖さにそぐわぬ"黒煙"の如き邪悪な気配を放っていたのだ。
(あれこそが、恐らく温厚な獣を狂気に駆り立て、都市を襲わせた——)
(——元凶……!)
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