『第七話』

第一章 『第七話』



(——あ、……——)



 見開くまなこ、震え。

 凝視する先——石像。



(——れ、が…………)



 瞑目の少女が手を組んで祈る、その真横。

 蓑と頭巾が作り出す暗中での動揺。



(……都市の人たちが、信仰している……存在——"神")


(でも、そんな……この——)




(——"この姿"は……)




 脳裏をよぎる先日の光景。

 覗いた水面の——誠自身が本来居て然るべき場所に映った——"女性の姿"。



(俺——いや、この体と……同じ——)



 姿

 まさに——『後者を象って前者を形作った』かの如き——の様相。

 差異があるとすれば石像の瞳と髪は"深い青"の塗料で彩色が施されており、今の青年の黒き瞳と髪とは一致しない——それぐらいで。

 どちらの色も寒々しく、光の加減によっては似た暗色に見えることを考慮すれば、それも僅かにして微々たる差でしかない——"酷似"の関係で両者は向かい合っていたのだ。




(……?? どう、いう……——)




————————————————————



『だからこそ彼らは、そして——』


『——


『——『死にたくない』、『生きたい』……そのように』




『つまり、他でもない——』



————————————————————




 そして、思い返したアデスの言葉。

 無意識的に本能が見つけた——"関連の疑われる内容"。

 とは、即ち——。




(——つまり、『俺』……?)




(——なぜ……? なん、で??)


(——違う! 俺は俺じゃ……今の自分は自分じゃなくて————)



 "導き出された仮の結論"、到底受け止めきれるものではなく。

 渦を巻く思考の中、踠いて取り付くは逃避の島。



(——お、落ち着け。今は分からないことを考える、それより——)


(フードの下、"今の顔"を見られたら——)



 隠れるように俯き、深呼吸。

 連続する異変に目の回りだす思いで一先ずはこの場を乗り越えようと青年は息を潜める、が。




『……します ……様』




(——! こ、今度はなんだ——)




 世界は安息の時を与えない。

『何者かの声』——青年の内に響き。



(——?? 誰かが……喋っ——)



 泳ぐ目右往左往——探す、その声の主。

 しかし、粛然たる神殿の内部。

 神聖な時の中で口を開く者は見当たらず。




『……いします ……ィス様 ……ちは』




(——頭に……っ、声が——)



 尚も続く内部への振動。

 頭の中でこだまするそれは、意識する青年の中で次第にはっきりとした音の形を得て行く。




『……お願いします』




(……!)




『——どうか、荒ぶる獣を鎮め、退けて』


『——再び、豊穣の恵みを。私たちに』




(っ、……くっ……!)



 女性、男性、成熟した、あどけない——。

 声の質感は様々、なれど聞こえてくる言葉その内容は殆どが同じ祈願、請願——"助けを求める願いの声"。




『どうか、お願いします』


『恐怖の火を消して、どうか我らの渡るまでを御守りください』


『静か穏やかな流れの女神——ルティス様』


『私たちは、まだ——』




『——死にたくないのです』




(——!!)




————————————————————


『死にたくない』


『生きたい』


————————————————————




(今、のは——)


(俺があの時、暗闇で聞いた——)




 うねる内側、痛みに頭を抑える青年。

 覚えのある言葉をキッカケに掘り返す当時の記憶。




『……死にたくない。生きていたい』




(——あの声と、同じ……?)




『私たちは——』




(それ、なら——)




『まだ——』




 あの時の青年が"望んだもの"、"欲したこと"。

 苦痛の中、過去と重ねる今。

 再び青年は、命たちはを願う。





(『『『『「生きていたい」』』』』)





————————————————




「——本日のお祈りは以上です」


あるじ、必ずや我らの願い——聞き届けてくれることでしょう」




 静寂を打ち破って時を区切るのは女神像の前に立つ白衣の女性。

 祈りの終わりを聞いた人々は立ち上がり、彼らの戻る——それぞれの営み。




「……間も無く……も切れる……」

「……心苦しい……神獣を鎮めるためには……贄を……」

「……親のない……子を……」




 何やら潜めた声を掛け合う身なりの良いごく少数の人間たちが遅くに去り、開けた空間。

 今や神殿に残った影は二つを残すのみとなる。




「——これで、本日のお祈りは終了です」


「そうしては、旅の方。ここは間も無く"お清め"の時間ですので、私たちも外に——」




「…………」

「……旅の方?」




 残ったのは少女と青年。

 しかし少女、栗色の髪を揺らして見る真横——青年の反応はなく。




「……ど、どうかなさいましたか?」

「……」




 頭巾を取らぬ旅人、何か事情があるのだろうと。

 誰でも問い質されたくないことはあると、余計な詮索はしまいと決めていた少女であったが——。




「何か、気分でも——」




 不動の重石おもしのように動きを止めた隣人を案じ、少し踏み入って覗き込む様子で青年の顔は。




「——! 顔色が……! 大丈夫ですか!」




 影が差すその表情は——酷く青ざめ。

 小刻みに震えても、赤い血の気をまるで感じさせない恐気おそれげの色を湛える。




「……、、……っ」

「今、何か……水を持ってきます!」




 それを見て少女は小さな体ですぐ様、旅人の——女性としては長身の体を支えながら間近の壁に背を預けさせてはゆっくりと床に座らせ、一目散。

 急ぎ、潤いの水を求めて。




「どうかそれまで、安静にしていてください……!」




 神殿の外。

 井戸に向かって飛び出すのであった。



(……俺に)


(……どうしろ、と……)




(が、俺に————)




————————————————————




 して、数分後。




「——お、お待たせしました!」




 溢さぬよう、慎重に重心の軸を整えながら。

 小さなガラスの杯に水を満たした少女が帰還した。




「少しですが——どうぞ。お飲みください」




 虚空を見つめて呆けたルティスの前に差し出される杯の施し——煌めいて。




「……ありがとう」




 纏まらぬ思考の中で感謝の言葉を捻り出した者。

 両手で力なく手にしたそれ——口元で傾ける。




「————ごほっ、がほ……っ」

「だ、大丈夫ですか……!?」




 この世界に来訪しんせいして初めて口にする水は驚く程に冷たく思わず噎せる。

 しかしそれは同時に、心に沁みて暖かい——優しく透き通る潤いの味であった。




「けふ——こほ……っ」

「すいません。喉が渇いているものと思い、急いでお持ちしたのですが——」

「……ん……っ——いえ。大丈夫、です」




 背中を摩られ、濡れた口元を衣服の袖で拭われ。

 少女の助けを借り、辛うじて整える息遣い。




「……助かりました。丁度、喉は渇いていたので」

「本当ですか……? あまり、無理はなさらず」

「……はい。少し気分が悪くなってしまい、心配をお掛けして……それに水までいただいて、申し訳ありません」

「いえ。『助けられるものは助けたい』と……そう、私自身が思ってやったことですので……謝る必要はありません」




(…………)




 上下する視界、横目に映る少女の表情。

 それは隈の有無にかかわらず、どこか侘しさを感じさせる——"切なげな苦笑い"であった。




「……それより今は貴方の体調が心配です。旅の方」

「……」

「見たところ顔色も優れず、旅の疲れが溜まっているご様子」

「……」

「……あまり、休めていないので……?」

「……はい」

「では…………」




 言い淀む

 いくら大人びているとはいえ、少女も若い。

『目上の旅人をどうするか』、『どこまで介抱するか』、即決は難しく——。




「——アイレース! どうしたのー?」

「——あ」




 そうこうしている間に神殿へ入ってきた白衣の少女に声を掛けられ——『アイレス』と呼ばれた彼女。




「えぇと——だ、大丈夫ー! "お客さん"が来てるのー!」




 清め作業の邪魔にならぬためか。

 場所を変えようと半ば勢いで言葉を口にし、当面の行動を決定する。




「そうなのー?」

「そうなの! これから家に戻るから、心配しないでー!」

「りょーかいー」




「……と、言う訳ですので——」




「一先ず気の落ち着くまで、私の家で宜しければ少し……休んでいきませんか?」

「それは……」

「遠慮なさらずとも大丈夫です。もう今日は家に帰るつもりでしたので」

「……」




 向き直った少女は言う。




「座るか横になって寝れば、回復の目処が立つかもしれません」

「でも、これ以上……迷惑は……」

「でしたら……その代わりのお礼と言ってはなんですが、貴方の旅のお話を聞かせてはくれないでしょうか?」




 名も顔も知らぬ流れ者へ向けて。




「話を……?」

「はい。我が家には弟もいるので外の話を聞けばそれも喜ぶでしょう。私も離れた地域のことには興味があるので、是非」




(……ここは、彼女の優しさに感謝して、甘えさせてもらおう)




「……どうでしょうか?」

「……分かりました。では、お言葉に甘えて休ませてもらえればと思います」

「はい……!」




 これ以上の押し問答は却って迷惑になるだろう

 そうして、善意に助けられた青年は相手の好意による部分が大きいとはいえ『旅の土産話』という返礼を果たすために招待を受け入れる。

 心情的にも、転ばぬ——いや、『転んだ先に差し出された杖』だ、願ってもない。




「では早速、神殿を出ましょう。……立てますか?」

「……有難うございます。立つのは……なんとか」




『兎に角疲れた。休みたい』

『アデスとやらの下に戻るのは一息ついた後で構わないだろう』、そのように。

 心の素朴なままが判断を下し、夢見心地の青年は寄り添われながら丘を下って行く。




————————————————————




「——着きました。ここが我が家です」




 陽が傾き始めた頃。

 足を止め、一つの家の前。

 それは青年が都市の中で見てきた多くの家々と同じ石造りの簡素な住居であり、どうやらそれが少女の棲家であるようだ。




「あんまり綺麗ではないですけど……どうぞ、中へ」

「では、失礼して……お邪魔します」




 そうして青年は促されるままに開かれた扉を潜り、家の内側へ。

 中はかまどを中心とした一つの空間にその他いくつかの部屋が囲んで隣接する——決して広々としたものではないが火の熱が全体へと行き渡るであろう——温もりを感じさせる造りであった。




「では、旅の方はこちら。そこの椅子に座っていてください」

「あっ、はい」

「私は弟を呼んでくるので、お話はその後。もうじき食事にするので、その時に」




 少女は部屋の一つ、大きな机とそれを囲む椅子が配置された空間にきょろきょろとしていた青年を案内する。

 言葉尻から察するにここは食事をする場だろうか。




「分かりました。でも"今"、食事は——」

「いいんです。本当に少しですが食べて行ってください。"家の主人"としてお客様にそれぐらいは出来ないと、申し訳が立ちませんので」

「それ、は……」

「気にしないでください。何より我々ルティシアの祖先、この地に辿り着くまで元は"流浪の民"だったと聞いています。彼らもまた旅の途中で助け合い助けられ、今日に命を繋いでくれた」




「故に今、その先に立つ私が貴方を助けることが出来たのも巡り巡って何かの"縁"。かつて父母の言った言葉——『一人でも多く、いつかの誰かが幸せを知りますように』——そのような幸せの世界のため、私は私のしたいことをしているに過ぎないのです」

「……」

「なので、どうかごゆるりと旅の方。今日一日この家で羽根を休めて貴方は貴方の人生を再び羽ばたくため、遠慮せず英気を養っていってください」

「……本当に、ありがとうございます」

「はい。そう言って頂けると私も……両親も喜んでくれるでしょう」




 掛けられる気遣いに励ましの言葉。

 引き出してくれた椅子に座る体調の優れぬ青年。

 最早彼女にとっての少女は神々しく——恩愛振りまく女神のようで。

 その儚き笑みがもうじきに失われるかもしれないという真実——心により一層、"無力の重み"で伸し掛かる。



(……話だけじゃ足りない。何か他にも礼を、出来ることを考えて——)




「おねえちゃん! おかえりー! ——わっ、だれかいる!」

「あっ、ただいま。オリベル。この人は旅の人で今日のお客様。ちょっと気分が悪いみたいだから騒いじゃダメだよ」




 そうして、二者のの居る空間に立ち入った者。

 声を掛け合う少女よりひと回りもふた回りも小さい、このあどけない少年は"姉弟の弟"。

 オリベルと呼ばれた少年であった。




「えっ! 旅の人!? …………」




(み、見られてる……取り敢えず、挨拶を——)




「——こ、こんにちは。お邪魔してます」

「ど、どこからきたんですか? おなまえは? 遠くの水の上にあるっていう『ナントカアトラン?』にはいったことあるんですか?」

「な、ナントカ……?」




 目を輝かせる少年、姉の言いつけも何のその。

 青年という客人が余程珍しいのか、質問責め。




「こーら! 言ったそばから騒いでお客様を困らせちゃ駄目でしょオリベル。言うことを聞かない子は〜——こうだ!」

「きゃっ……く、くすぐったいよ、お姉ちゃん! ごめん! ごめんなさいー!」




 そして言い付けを守れぬことへのくすぐり責め。

 姉が弟を調伏して戯れる様、睦まじく。




「——分かれば宜しい。……ごめんなさい旅の方。騒がしくしてしまって」

「いえ。全然大丈夫です」

「紹介します。この子は私の弟のオリベルです。悪い子に育てたつもりはありませんが好奇心旺盛なので、何か粗相があれば私に仰ってください。——オリベル。挨拶は? あとお客様にも謝りなさい」

「はーい」




 軽くのくすぐりは終わり、ここに自己紹介の場が改めて設けられる。




「オリベルです。さっきはうるさくして、ごめんなさい」

「ちゃんと謝れて偉い偉い。どうかお許しを旅の方……そういえば——」




「私も自己紹介をしていませんでした……! えぇと、私の名前はアイレスです。ごめんなさい。名乗るのが遅れてしまって」




 名乗って頭を下げる弟、次に姉。

 ——と来れば次は当然、残された青年の番。




「い、いえ、そんな。それを言えば自分も世話になっているのにまだ名乗ってませんでしたし、失礼なのは此方です」




 自身も名乗っていないことを今更に思い出して改めて自己紹介をするために。

 室内でもすっかり上げ忘れていた頭巾を上げては名乗りを果たさん。




「自分——俺、は……」




「……?」

「お、れ……?」




(名前…………)




 しかし、続く言葉が出ない。

『どちらの名前を使うべきか』、『今の自分は誰なのか』——自分でさえ答えの分からぬ問い掛け。

 彷徨う青年はそうして口を噤み——俯き。




「…………」




「旅の方……? また、体調が……」

「……? あっ——!!」




 低所からの視線。

 少年、その身長が故に見上げる先——青年の素顔。




「——おきゃくさまって"神さま"だったの? お姉ちゃん?」

「? オリベル、何を言って——"!"」




 つられて顔を青年に向ける少女も絶句する程に。

 青年のその表情、何にも覆われていない顔は彼女らルティシアの民にとって——馴染みの深いもの。




「————……様」




(……?)




「——、様……?」




(…………)





「——"あっ"」





 アデスは言った、忠告した——『人目に晒せば狂乱が起こる』と。



(——あっ……!)



 しかし、時すでに遅し。

 バッチリと青年——仲のいい姉弟に女神その顔を晒してしまっている。




「「————」」




「いや、これは、その……」




(どうにか、言い訳を——!)


(それなら確か、神殿の石像は——)




「——あっ、その……目の色が違う! 違います!」

「……」

「自分のは黒で女神様は青で、髪もそんな感じで——べ、別人? ……です?」

「……」




 必死に差異を指差してはひけらかす長髪——反応はなく。

 果てに飛び出る苦しい言い訳。




「……双、子? 親戚……? みたいな……」




(神様の親戚……殆ど伝説上の存在だ……!)


(そんなのが通る訳……でも、信仰はあって——いやそもそも、不敬過ぎる……!)




 賭ける——リアルとファンタジーの境界線。

 神的存在の実在可能性を青年、知らず。

『割と居てくれ半神存在』——と、願う女神。



(……く、苦しい)


(そんなの嘘だって、直ぐにバレるに決まってる……)



 漸く掴み掛けた気が休まる時間の離れて行く感覚に落とす肩。

 この後に待ち受ける騒動苦難に、願いの器とされる未来に青年、怯えるも——しかし。




「——凄い、凄い……です」

「えっ……?」

「"そんなの"、"山の手の方"だけと思っていたのに——」




 口を開いて反応を見せる少女——少女アイレス。

 驚くことに彼女は——。




「——神類しんるいの方がうちに、今のこの都市に顕れてくださるなんて、なんと嬉しきことでしょうか……!」


「しかもそれが我らの主……!」




……!」




 青年の予測に反し、その出任せを。

『神の縁者』だという即席の言い分をあろうことか——"彼女は信じたのであった"。




(え、えぇ…………)



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