『第六話』

第一章 『第六話』




(——これは……家……?)




 頭巾の下より覗く、黒の炯眼。



(人はどこだろう……)



 石造りの簡素な住居を横目に、ルティシアと呼ばれる都市の中心部に向かって道を進んでいく青年は未だ道中、誰ともすれ違わず。

 また、遠目に家の中の様子を伺ってみてもやはり人の気配は感じられず、広がるのは静けさのみ。



(都市の規模としてはそんなに大きくないみたいだけど……)



 青年の知る『都市』とは趣の異なる集住の地。

 慣れぬ世界観に逸る心。

 都市の景観をきょろきょろと眺めながら足を運び——数分後。



(——"広場"?)



 差し掛かったのは"円形の広場"のような開けた場所。

 周囲にはその空間を囲むようにいくつかの建物が並んでおり、それらはこれまで目にしてきた家々と比べて何倍も大きく、前面に石柱を何本も構える立派な物であった。



(これは……何だろう。家にしては大きい)



 歩みを緩め、何らかの施設と思わしき建物を見上げる。

 大きさ、作りからしてただ人が住むことを目的とした建築物ではないだろうことが分かる。



(でも、これだけ大きい建物が集まっているなら……どこかに人がいるはずだ)


(……少し、緊張するけど——)



 青年は己の置かれた奇怪な状況を把握するためには兎にも角にも情報が必要だと考え、中に何があるのか分からない未知の施設に物怖じしながらも進み入る決意を固める。



(——入って、声を掛けてみよう)



 広場を横切り、並んだ建物の中でも最も大きい施設の眼前に立ち、深呼吸。

 出所勝負でたとこしょうぶ——『粗相があれば素直に謝ってから話をする』。

 そうして意を決し、太陽の加護の届かない空間へ足を踏み入れようとした——その時。




「——"きゃっ"」




 青年の体に伝わる"どん"とした鈍く——そして"軽い"感触。

 少し遅れて聞こえる小さな悲鳴。




「……いてて——あっ。ご、ごめんなさい……!」

「私、前もちゃんと見ないで、ぶつかってしまって……お怪我はありませんか……?」




(——ひと……!)




 すぐ様立ち上がる衝突した物体。

 謝罪の言葉を述べるそれは人型——"人間"だ。

 建物の中へ入ろうとした青年は"一人の少女"と衝突したのだ。




「——い、いえ。こちらこそ急に現れてすいません。だ、大丈夫です。怪我はしていません」




 喜びによって遅れた反応、対面で頭巾を上げることも忘れ、慌てて差し出す掌。

 遠慮がちにそれを掴む少女の体——その軽さに眉根を寄せながら、青年は引き上げる。




「……貴方の方こそ、怪我はないですか?」

「はい。私の方も大丈夫です。……えぇと、見慣れぬ感じの貴方は——」




「——もしかして、"外"から来た人だったり……?」




 聞き慣れない声を聞いて、もしくは全身を蓑で纏い、頭巾を深く被った青年を見て何かを思ったのか——期待に満ちた上目で尋ねる。

 傾く髪、間から覗くその瞳も——栗色。




「は、はい。一応、外から来た者です」

「……! でしたらもしかして、海辺の都市からルティシアを助けに来てくれた人——」

「——い、いえ。そう言うわけではなく、ただ、旅の途中で迷ってしまって、ここで帰り道について聞けたらと思って、立ち寄らせていただいただけで……」




 期待を裏切るようだが嘘を吐く訳にもいかない。

 都市の事情についてアデスから断片的に聞いていた青年は少女の期待に添えないことを申し訳なく思いながら正直に、真意を伝える。



(……夢でも、食料不足を解決するのは流石に……俺一人じゃ、無理が——)




「——あっ……。そうでしたか……すいません。突然、驚かせてしまって……」

「……いえ。此方こそ、間が悪くてすいません」




 俯き、しゅんとする様子の少女。

 動作に合わせて垂れる彼女の結わえた髪。

 その長髪に艶はなく、飛び出る枝毛の数々。

 先刻感じた体重の軽さと併せて推察可能な——"栄養の不足"。




「……それで、あの、この都市で色んな方に話を聞ければと思うんですが……大人の方々が集まるのは何処か、良ければ場所を教えていただけないでしょうか?」

「あっ。でしたら私は今——"神殿"に向かう途中だったので、私で良ければご案内しましょうか? これから丁度"お祈り"の時間なので、そこにはルティシアの人間の多くが集まりますが」




(…………夢、なのに)




 顔を上げた少女の浮かべる柔らかな表情。

 苦境の只中にあって快く都市の案内を買って出るその善なる振る舞いに——何もしてやれず、"痛む心"。




「……はい。迷惑じゃなければ是非、お願いしたいです」

「分かりました。では、私の後に——旅のお方」




「……ルティシアは今、訳あって慌ただしく、外部の方に神託を授けるのは難しい状況ですが——貴方の旅路が良きものとなるよう、私も祈りましょう」

「……ありがとうございます」

「では、向かいます——」




 歳は、見るに十三か十四といったところか。

 屈託のない笑顔に覗く影、幼くも言葉遣いに垣間見える自立心。

 前を向く間際のにっこりと閉じられた目の下に薄っすらと黒ずんだ隈を残す名も知らぬ少女の姿。



(……どうしてこの少女も、優しくしてくれるんだ)


(……俺から彼女に出来ることは、何も——)



 誠の精神に妹を思い起こさせた年下の少女へ。

 "儘ならぬ夢への歯痒い思い"を胸に、奥歯を噛み締めて青年は後を付いて、進み行く。




————————————————————




「——着きました。ここが私たちルティシアの民が祈りを捧げる——"女神を祀る神殿"です」




 少女に案内され、丘を登りきった先。

 彼女たちの前に聳え立つ、これもまた石で建てられた燻んだ白色の——"神殿"。

 作りは広場で見た建造物と似ており、ここでも入り口となる前面には厚みのある石の柱が立ち並んで他の面は壁で覆われ、それらが支える屋根は開いた本を重ねたかの如き切妻きりづまの造り。

 神を祀る"殿にして社"のこの建物は高さにして十メートルあるかというこの都市最大の建造物であり、丘の上から神殿を背にして眺める雄大な景色の中には当然——祀られる神の神体。

 山より下りて海へと向かう一筋の流れ——"女神の川"が見て取れた。



(建物も景色も……大きい——)



 意識的に宗教建築に接することの少なかった青年は真面から見たその大きさに——目に見える形で積み重ねられた信仰心の"熱量"に——圧倒され、暫し目的を忘れて光景を楽しんでしまう。

 広がる丘陵が光を跳ね返し——輝く緑の大地と白き山々の姿。

 雄大であり荘厳であり——"夢を見るのさえも忘れてしまう"程に青年の思考を空白に染めるのだ。



(————)




「丁度、時間のようですので。私は中で他の方々と同じく、先ず我らが女神に祈りを捧げたいと思いますが……旅のお方はどうしますか?」

「——あ、はい」




 そうして背後からの声に青年は現実へと引き戻され。




(信仰の邪魔をするのは……あまり良くない?)


(それなら話を聞くのは落ち着いてからで……あとはせめて——)




「……その、もし宜しければお——自分も中に入って、皆さんの為に祈りを捧げたいと思ったのですが……それは、大丈夫でしょうか?」

「それは勿論——大丈夫です」




「我らが女神は分け隔てなく、生きとし生けるもの全てに水の恩恵を与えてくださりますので、はい。旅のお方も、是非に」

「それは、どうも有難うございます」




(……よかった)




「今回は全体が祈りを捧げるため中は少し狭く、立ちながらのお祈りになってしまうかもしれませんが……構いませんか?」

「勿論、大丈夫です」

「分かりました。それでは中に入りましょう——」




「お祈りの方法は簡単で——"こうべを垂れながら女神を想い、祈りを捧げる"——それだけ、お願いします」

「はい——頭を垂れて、女神を想って祈りを捧げる——分かりました」




 少女に連れられて進む神殿の入り口、越える境界線。

 既に中では多くの人が集まっており、皆が神殿の最奥にある台座に向かって立っていた。



(皆んながこの場所に集まってたから都市は静かだったのか)




「此方です」

「はい」




 二人分の隙間を見つけて手招きする少女の下へ向かう道すがら窺う周囲。

 ルティシアの民は男女共に老いた者は少なく、殆どが壮年の人間か子供ら。

 身に纏う衣服は一枚、もしくは二枚の布を羽織ったような簡素なもので、被り物も自由。

 そして多く表情にはやはり、皺や痩けなど疲労の色が見て取れる。



(人数は……百は越えたくらい?)


(都市にしては少ないような気もするけど……これだけいれば話に困ることは——)




「巫女たちです。彼女たちの言葉が終わった後、祈りを捧げてください」

「……分かりました」




 真横で囁かれて集中させる意識の先。

 前方、神殿を横切って台座の前に進み出る純白の服を着た女性たち。

 彼女らは一言、二言、何かを告げると奥の台座に向き直って手を合わせ——祈りの時が訪れる。




「「「「"…………"」」」」




(……始まった?)



 集まった人々はそれに倣い、目を閉じて各々が頭を垂れる。

 隣の少女も例外ではなく、引き締まる空気感を読み取った青年も少女を見習って、頭を下げ。



(……そういえば、人々に気を取られてて見てなかったけど)


(彼らが祈りを捧げる、前の方にある——)



 群衆の最後尾で、目の開閉は自由であることを人々の様子から実際に確認し——。



(物、って——)



 また、彼らが祈り捧げる神とは一体どういったものなのかを確認しようと。

 人に気を取られ見忘れていた前方——台座の上にある何かを一瞥しようと視線で見上げる先。



(————)



 愕然がくぜん

 台座の上にあったもの——"像"。

 人々にとって馴染みのある同様の形に落とし込まれた——

 その形は以前、青年が目にした形であった——より正確には——"彼女が目にした姿に酷似していた"。



(——これ、は——)



 つまり、其処には"都市ルティシアの人々が信仰する存在"の——。

 "流れる恵みの川を神体とする女神"の——。

 自身の体の変化に驚き、思わず水面を覗き込んだ青年の目の前に映った姿の——。

 即ち、——。




————————————————————


『——他でもない、女神ルティス』


『——貴方に』


————————————————————




 ——が安置されていたのであった。



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