第2話 本体

 後日、待ち望んだ白い段ボールが我が家に届いた。片腕で抱えられるほどの大きさで、その側面には「Animal glasses」の文字。配達員から受け取った時はそのサイズに見合わない重さに驚いたが、蓋を開けてみて納得した。中の本体が入った小さな箱は非常に軽量だったが、箱の重さは極端に厚い説明書のものだとすぐに分かった。私は商品を触る前に説明書を読むのが流儀で、今回も最初に箱から取り出したのはその説明書だった。

 

 パラパラとページをめくってみると、内容の半分ほどは「アニマルグラスの仕組みと諸注意」だった。恐らく、脳と直接通信するという最新故に未知の技術を使用しているので、その原理や安全性を理解してもらうために、詳細な説明が必要なのだろう。早く、早く本体に触れたいと思っていた私はそこを割愛し、使い方などの重要な項目のみを読み進める。


 会話ができる動物の条件は、脊椎動物であること。つまり、鳥類や哺乳類、爬虫類、魚類が対象。しかし、爬虫類や魚類に多いが、会話をするに至らないほど知能の低い個体は対象外との但し書きがある。昆虫や甲殻類などの無脊椎動物は、脳などの神経のしくみが人間などとは全く異なる、もしくは脳という器官が存在しないため、人間のような感情が殆ど無いと聞いたことがある。そのことから、無脊椎動物との会話は不可というのは納得だ。また、会話をするに至らない低い知能の生物についての言及があるのも実に生々しい。なるほど、読めば読むほどあの夢物語のような「アニマルグラス」が、私の中で現実味を帯びていくようだ。


「……ん? なんだこれ」


 気になる箇所があった。

 オプション機能の一つ、「恐怖フィルター」。なんでも、「恐怖」に関する動物の言葉を全てシャットアウトするという機能らしく、右レンズのフレームの横にあるボタンでオンオフができるそうだ。……なぜ、恐怖という感情のみをピックアップして、それを排除するなどという機能を設けたのだろうか。まさか、動物の人間に対する恐怖心を嫌って都合よく目を逸らそうという、人間の独り善がりから生まれた機能? だとしたら聞き捨てならないが……。


  ……それも含めて、この目で確かめる必要がありそうだ。


 一通り目を通した私は説明書をパタンと閉じ、ついに本体の入った箱を手に取った。ダンボールのパッケージは何度も見たことがあるが、本体をこの手に取るのは初めてだ。少しの緊張を感じながら、その蓋を丁寧に開ける。


「おお……」


 高級感溢れるベルベット仕立ての内装に収められたそれは、予想していたよりずっと華奢なデザインだった。「アニマルグラス」という特別な存在であることを感じさせない、ごく普通の眼鏡のような見た目……これなら、普段身につけるにも抵抗が無さそうだ。恐る恐る手に取り、その黒い細身のテンプルを両手で摘むように持ってレンズを覗いてみる。


 すると、その透明なプラスチック越しに見えたのは、ソファに横たわる見慣れた白と黒の毛並みだった。


 ハナ……これを使ったら、あなたの言葉も分かるようになるんだね。すごく楽しみだが、やはり少し怖い気もする。自分のペットが自分のことを本当はどう思っているのか……。


 勿論、ハナを疑っているわけではない。私が外出から帰って来れば愛くるしく顔を舐めてくれるし、シャンプーをしている時や撫でている時も、私に身を委ねてくれる……彼女から愛されているという自信は十二分にある。


 ……よし。


 私は覚悟を決め、目をきゅっと瞑ってアニマルグラスを装着した。そして、耳にある僅かな重みを感じながら大きく深呼吸し、声を振り絞る。

「ハナ、聞こえる?」



 わんっ。



 ……え?

 あれ? 今、わんって……


 私は一度アニマルグラスを外し、それをぐるぐると回して観察した。それから説明書を箱から再び出し、使い方の内容を読み返す。その時やっと気づいた。


[使用前には充電してください]


「はぁぁぁ……」

 一気に気が抜けた私は、ソファのハナの隣のスペースに頭から倒れ込んだ。

今日はもう遅い。今から充電を始めても、使える頃には早朝になってしまうだろう。明日までお預けということだ。


 今日はもう寝よう。私は充電台をコンセントに繋げてそこにアニマルグラスを置き、ハナの頭をくりくりと撫で、ベッドに入って横になった。


 明日は朝からアニマルグラスをかけて、あたりの動物たちと会話をしながら出勤しよう。彼らはどんな言葉を聞かせてくれるのだろうか。明日が楽しみで仕方がない。


 その夜、私はハナが頻りに鳴く夢を見た。

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