アニマルグラス

@Sureno

第1話 アニマルグラス

 受話器を置いた私は、激しく頭を掻きむしった。


 これで何人目だ。退会する旨を伝える電話を取るのも、もう疲れてきた。

女性動物愛護団体「LAP」の長として、私はできる限りのことをやってきたつもりだった。しかしこの一週間で、三百人以上いた会員の数が突如として急激な減少を始め、ついにその半数にまで達しようとしている。一体どこで何を間違えたのか、全く見当がつかない。


 大きくため息をついて椅子に腰掛けようとすると、またも電話が鳴った。私は苛立ち、取った受話器に怒鳴るように声を浴びせる。


「何か用ですか」

『ど、どうしたんですか、そんなに声を荒げて』


 副会長の北内さんだった。あちらには見えもしないのに、私は慌てて頭を下げる。


「すみませんっ、少し苛立っていたもので……」

『ああ、大丈夫ですよ。まぁ……今の状況じゃ無理もないですよね』

「はい……今日も退会の電話が鳴り止まなくて」 


 私は肩をすくめ、椅子に腰をかける。


『その件のことなんですけど、原因がわかるかもしれません』

「ほ、本当ですかっ」

『はい。一ヶ月ほど前に導入した商品、覚えてます?』

「えっと……たしか、『アニマルグラス』でしたよね」


 それは五年ほど前から開発されていた商品だった。最新の脳医学と動物心理学の融合が生んだ代物で、装着者の脳と電気パルスで直接通信し、目の前の動物の言語が理解できるようになり、さらに自分の言葉も動物に伝わるようになる。つまるところ動物と会話ができるようになる、という魅力的な機能を搭載した眼鏡だ。


 このたび、ついに商品化に向けての動きが始まり、我が団体を含めたいくつかの動物愛護団体へのテスト配布が行われたのだ。それらの会員への賃貸しを行なっていたのだ。


「それがなにか?」

「実は、ここ数週間で一気に退会していった会員のほぼ全員が、そのアニマルグラスを使用していたんです」

「えっ」


 私は咄嗟に立ち上がって机の隣の棚の引き出しを開け、その中から分厚いファイルを取り出した。それをめくってあるページを見ると、私は思わず息を飲んだ。

 瀬戸さん、三浦さん、井田さん……アニマルグラスの賃借者の一覧にある名前のほとんどが、この数週間での退会者のものだったのだ。思い返して見るとたしかに、退会者が出始めた頃とアニマルグラスのテスト開始日は丁度同じ時期だった。 


『何か関係がある気がするんです。気になりませんか?』

「たしかに……」

『退会した人たち、何か言ってました?』

「それが理由を訊いても誰も何も言ってくれないんです。なんだか気を遣ってるみたいに、口ごもるばっかりで」

『そうですか……』

「私、自分で使ってみようかなぁ、アニマルグラス」

『え、まだ使ってなかったんですか?』

「いや、はい。でもっ、北内さんだって使ってないじゃないですか」

『まぁそうですけど、会長さんがあれを使ってないだなんて意外だなぁと思って』

「いやぁ、自分のペットの言葉を聞けるって、魅力的だけどちょっぴり怖くて」

『ああ、私もです。今まで聞けなかった本音を聞くのって、なんだか怖いですよね』


 私は一人暮らしのマンションに、犬を一匹のみ飼っている。これを人に言うたび「たくさん飼っていそうなのに」と意外がられるのだが、私はたくさんの動物を可愛がるよりは、一匹に最大限の愛情を注ぎたいと思っている。


『それで、本当に使うんですか? 使うなら手配しておきますけど』

「そうですね……じゃあ、お願いします」


 私はこれを、いい機会だと思っていた。いつかは使おうと思っていたのだ、退会者急増の原因究明というのを口実に、思い切り「アニマルグラス」を楽しもうではないか。動物と会話ができる……今思えばなんて素晴らしいアイテムなんだ、今まで使わなかった自分が信じられないほどだ。


『分かりました、では会長さんの家に送付しておきますね』

「北内さんは使わないんですか?」

『あー……じゃあ、会長さんの感想を聞いてからにします』

「そうですか、じゃあいい感想を用意しなくっちゃ」

『ふふふ、お願いしますよ。では、失礼しますね』

「はーい」


 私は久々に、少し上機嫌で受話器を置いた。

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