第4章
「mimi なあなあ。なあて」
駅の改札を出て、聡ちゃんのアパートへ向かう道すがら、キュキュが姿を現す。
「次のうち、食べるとしたらどっち? カレー味のウンコ、ウンコ味のカレー」
「もお、汚いなあ。どっちも食べないよ」
かつてこれほどくだらない質問をしてくる秘書アプリはなかった。
「お腹ぺっこぺこやねんで?」
「五番の餓死する」
「五番? ちゃうわ、二択問題や! 三と四、何やねん」
キュキュとの会話に慣れつつある自分がこわい。
「まあええわい。ほんならやあ、めっちゃ性格の悪い絶世の美女と、めっちゃ性格の良いブスやったら、どっち選ぶ?」
「五番、そこそこの性格で、そこそこのルックスの女性」
「せやから二択やっちゅーてんねん! ホンマにい~。三と四、気になるわあ~」
これは何だ? アンケート調査か?
「ほんならやあ」
「まだあるの?」
「めっちゃ貧乏でめっちゃ厳しい両親に育てられるのと、めっちゃ裕福でめっちゃ優しい夫婦んとこへ養子に行くのと、どっちが良い?」
僕は絶句した。
厳しい両親に育てられる──想像がつかない。
想像のとっかかりがない。
自分の中に、本来あるはずのものが、欠落している。そのことを思い知らされた。
「もしもーし。どないしたんやー。どーせ、五番考えてんねやろー」
「キュキュ……、少し、黙ってくれないか……」
「なんやねんな、急にしんみりしてからに」
キュキュはあきれ顔で消えていく。
「けったいなやっちゃで」
今朝、気象予報士のおねえさんが告げた通り、日中は暑くもなく、寒くもなかった。風もなく、日差しも柔らかく、絶好の引越し日和といえる。
僕が聡ちゃんのアパートに到着したとき、荷造りはあら方終わっていた。所狭しと置かれたダンボールの谷間で、きちんと正座をした奥さんが、何か入れ残しはないかと、最終確認をしている段階だった。聡ちゃんはというと、隣の部屋で娘とアルバムをめくりながら、二人で楽しそうに笑っている。
「今日はよろしくお願いします」
奥さんが僕を見上げる。
「もう運び出せますけど、ちょっと休んでからの方がいいですよね」
「あっ、はい。僕はいつでも」
僕の足もとには、大きく口を開けた市指定のゴミ袋があり、中身のいちばん上に子供向けのゲームソフトがのっていた。テレビ本体を必要とする、据え置き型ゲーム機用のソフトだった。この家にテレビはないので、聡ちゃんが買い与えたものではないはずだ。従姪が誰かからプレゼントされたのだろうか。手に取ってみると、ソフトは未開封で、パッケージに注意書きが記されている。
『ゲームのやりすぎは、一家の団欒を阻害し、家族の絆を分断する恐れがあります』
何年か前に、表示が義務付けられた警句だ。こんな文言に意味があるのか、目を止める者がどれだけいるのか、疑わしい。いたとしても、ゲームの有害性にすでに気付いている者が、わが意を得たり、と満足するだけのような気がする。それとも目にするたびに、無意識下でじわじわ効いてくるものなのだろうか。少なくとも、煙草のパッケージにある警句を読んで煙草をやめたという人を、僕は知らない。
僕自身、物心ついたときから高校入学まで、ゲーム三昧の日々を送った。そしてティーンエイジの頃の僕には、無気力であるという自覚があった。十代末ごろまでの僕は、無気力、無関心、厭世、もしかすると退却の一歩手前だったかもしれない。
あの無気力の原因がすべてゲームにあったとは思っていない。なぜなら、僕と同じ様にゲーム浸けの生活を送っていたにもかかわらず、何事にも積極的で、やる気に満ちた、無気力と対局の人間を僕は何人も知っているからだ。
電磁波がやる気を司る大脳前頭葉にダメージを与えるという研究結果を疑うつもりはない。しかし、それよりも生活習慣にこそ無気力の原因があるのではないかと僕は思っている。
僕にそう思わせたのは、そして僕を無気力の泥濘から引き上げてくれたのは、他ならぬ聡ちゃんだった。
彼は僕を東京に呼び寄せ、規則正しい生活をさせた。毎朝、新聞を読ませ、当番制で炊事、洗濯、掃除をやらせた。そして、たくさんの鉢植えと、当時飼っていた豆柴の面倒を見させた。
僕は居候という立場上、自発的にやっていたつもりだったけれど、今にして思えば、すべて聡ちゃんが、それとなく仕向けていたことだったとわかる。彼に誘導されていたのだ。彼の指導力と人心掌握術、そしてなにより、仲のいい従兄弟同士という素地があったからこそ成せた業だったともいえる。
僕は、日々、これらの雑務に追われることよって、精神力、中でも忍耐力が着実に培われていった。この忍耐力こそが、無気力を駆逐する最大の武器であることを彼は知っていたのだ。
さらにつけ加えるなら、僕にとっては聡ちゃんの存在そのものが、無気力を打破するための原動力となった。
僕は彼を間近で見ていて、焦燥感を覚えた。彼は意欲的な活動でもって、僕のそれまでの人生がいかに無為、不毛であるかを教唆し、僕をある種惨めな気持ちにさせた。
ただ、これもまた聡ちゃんだからこそ、そう思わされたといえる。赤の他人が如何にすばらしい人生を送っていようとも、僕はそれほど感化されなかっただろう。
信頼できる存在を身近に置くことの大切さが身に沁みて分かる。
そうなると、それ以前の僕には、信頼できる存在が身近にいなかった、ということになってしまう。僕にとって、僕の両親は……
近頃の僕はいつもこうだ。子供のころ見えなかったものを見ようとする。気付かなかった存在を想像しようとする。親と呼ばれる、かつての同居人を。
しかしこれは、どちらかというと良い傾向なのではないだろうか。僕は自分に欠落したものを補わなくてはならないのだから。
聡ちゃんの新居は、車で僅か二分の所にあった。駅から少し遠くなり、競馬場に少し近くなった。といっても、最近の彼は競馬場に足を運んでいないはずだから、そこは意図していないだろう。
昔はよく、彼と二人で馬券を買いに行った。僕が府中を離れてからも、さくらを交えた三人で、何度か遊びに行ったことがある。
彼女と聡ちゃんはとても仲が良く、今でも僕の知らないところで、メッセージのやり取りやなんかをしているらしい。
一方、僕とさくらの今の関係はというと、まだ完全によりが戻ったとは言い難い。
毎週末、食事を共にするまでには戻った。二度デートもした。結婚についても一度だけ話した。ただしそれは、心躍るハッピーな内容ではない。彼女が決意表明をしただけだ。式には自分の両親に必ず出席してもらう、相手の両親にも是非出席してもらいたい、と。
さくらが僕に何を期待しているのかよくわかった。ここまではっきり示された以上、腰を上げないわけにはいかない。彼女の期待に応える覚悟はすでにできている。
「それじゃあ、三十分で戻るから」
大型家電と家具類を降ろすと、聡ちゃんはどこかから借りてきた二トントラックに乗って、来た道を引き返して行った。奥さんと娘と雑多な荷物をここまで運ぶために。
ひとりになった僕は、新築のいい匂いがする住居を見てまわった。外から見ると、心なし屋根が低いように感じたのは、気のせいではなかった。平屋建てなのだ。
間取りは、LDKが一つになった三十畳はあろうかという大広間と、大小二つ隣り合ったロフト(屋根裏部屋ではなく、ワンルームマンションによくある棚状のスペース)、そして広間の奥(玄関の対角)に短い廊下があり、その先にトイレ、洗面所、風呂があった。それで全部だった。
「mimi なんちゅうか、家族で住む家とは思えんな」
吹き抜けの天井は頗る高く、大きな天窓もある。
「なかなか爽快じゃないか」
僕は両手をひらき、天窓から差し込む日差しを全身で受けとめる。
「せやけど、これやったら、プライバシーもへったくれもあらへんで」
あるいは、そのプライバシーの排除こそが、この家の設計者である聡ちゃんのねらいなのではないか。キュキュのひと言で、ふと、そんな気がした。
自宅の離でひとり中学高校時代を過ごした彼には、何かしら思うところがあるのかもしれない。
午後二時。すべての荷物の搬入が済むと、僕は早々に新居を辞去した。聡ちゃんが食事に行こうと言ってくれたけれど、その誘いを丁重に断って、小金井へと急ぐ。
調べてみると、『帰郷講座』の類は、けっこう多くのカルチャーセンターで開講されていることが判った。大半がネット講座だったけれど、僕は対面講座に拘った。その方が真摯な気持ちになれるような気がしたからだ。
正直、僕はまだ、里帰りの必要性というものを、うまく認識することが出来ないでいる。何がさくらを焦らせ、何が聡ちゃんを憔悴させるのか、その原因の本質がいまいちわからない。この危機感の欠如を補うには、親と向き合うことを決意した人たちと、机を並べ、同じ空気を吸う必要があると判断したのだ。そうすることで、僕自身、何かを得られるのではないか、と。
初めて降りた駅ということもあって、バスターミナルで少し迷ってしまった。僕が乗るバスの乗り場には、すでに長い行列ができている。
僕は列の先頭にある路線図と時刻表を確認してから、最後尾にいる髪の長い女性の後ろに並んだ。その長い黒髪の後ろ姿は、出会った頃のさくらを彷彿とさせた。
バスはすぐに到着し、僕は黒髪の女性に続いて乗り込んだ。空席はない。降りる停留所は終着のひとつ手前なので、ずっと立ちっぱなしは辛い。早めに座れると嬉しいのだけれど。
多くの立ち客を乗せ、バスが大儀そうに出発する。
ロータリーから抜け出すカーブで、僕の身体は右に大きく振られた。慌ててポールに手を伸ばす。掴んだ金属製ポールの表面に、無数の指紋を見つけた途端、背筋に冷たいものが走った。とっくの昔に克服したはずの潔癖症が、自分の中でまだ生き永らえていることを思い知る。
僕の潔癖を改善してくれたのは、やはり聡ちゃんだった。
彼はまず、僕に部屋の掃除や庭掃除をこまめにするように仕向け(僕は自発的にはじめたつもりでいたけれど)、次いで風呂掃除、皿洗い、鉢植えの手入れ、そして犬の世話、トイレ掃除と、順に汚いものに慣れさせた。
聡ちゃんに言わせると、一括りに潔癖症といっても、いろんなタイプがいるらしい。
例えば、電車の吊り革は握れないけれど、コップの回し飲みは平気という人がいる。
逆に、吊り革は平気だけれど、回し飲みは無理という人もいる。
他人の握ったおにぎりを食べられるか、公衆トイレの便座に座れるか、古着を着られるか、海に入れるか、などなど、百の項目を用意して、可と不可をチェックしたら、その結果は千差万別だというのだ。
NG項目が多いほど症状が重いかというと、もちろん一つの目安にはなるけれど、一概にそうとは言い切れない、とも彼はいう。
この説に僕は納得している。というのも、僕の周囲にもひとり、潔癖症を公言して憚らない人がいて、その人の話を聞くと、確かに僕なんかとは比較にならない極度の潔癖なんだけれど、でも、その人には爪を噛む癖があるのだ。
よく洗った直後ならまだしも、僕は爪なんて噛みたくない。いまでも抵抗がある。
だからといって、その人よりも、僕の方が重度の潔癖ということにはならないだろう。
全般にわたって拒絶する人というのはむしろ珍しく、各々守備範囲が異なる、というのが聡ちゃんと僕の統一見解なのだ。
彼は僕の苦手とするところをピンポイントで治療してくれた。ひょっとすると僕が気付いていないだけで、もっと色々な部分を、僕は彼によって矯正されているのかもしれない。
彼と過ごした四年間を振り返ると、そんなふうに作為体験的な考え方をしてしまう。
それほどまでに人を良い方へ導くことに長けている彼だけに、自分自身を律することにも厳しい。彼は自分の中の改善点を放置することを許さなかった。
そんな彼が唯一、等閑にしてきたといえることがある。そしてそれはいま、彼を悩ませ、苦しめている。
そんなものに僕はいまから立ち向かおうといているのだ。
五人の乗客がぞろぞろとバスを降りて、車内には僕と黒髪の女性の二人だけになった。彼女は前から二列目、僕は後ろから二列目の座席に座っている。
バスが出発し、次の停留所がアナウンスされた。
「mimi 降りるで」
「うん、わかってる」
遥か西の空に目を向けると、鉛色の雲が広がって、太陽を覆い隠そうとしていた。午後三時十五分の小金井市郊外に、ひと足早く、日没の雰囲気が漂う。
「僕は、何しに行くんだろ」
「はあ? 『里帰り講座』受けに行くんやろがい。頭に蟲湧いとんのとちゃうか?」
「うん……、わかってる」
「どっちをや? 『里帰り講座』を受けに行くことか。頭に蟲が湧いてることか」
「……どっちも」
「大正解や。今日は冴えてるなあ」
「頭の蟲がセミだったら、もっと冴えてるんだけどな」
「……。妙なボケかましよってからに。何てゆうてほしいねん。正解のつっこみ教えてくれ」
「アブラゼミとニイニイゼミのユニゾンが最高なんだ」
「う~ん……」
キュキュが真顔になって眉間に皺を寄せた。声もしかつめらしくなる。
「こらカウンセリングモードに切り替えた方が、ええかもしれんな」
「ミンミンゼミはまだいいんだけど、ツクツクボウシが入ると逆に集中力をそがれちゃうんだよ」
「わかったわかった。わいの負けや。もう堪忍して」
「夏になると、湧くんだよ、セミが。頭の中に」
キュキュは無表情で僕を見つめる。
「なあ……」
聞いたことがないほど声のトーンが低い。
「わいが静かになったら、ホンマにヤバいときやで」
左手に小学校が見えてきた。どうやらここが、この先一ヵ月、僕が通うことになるカルチャーセンターらしい。
特に寂れた印象はないけれど、グラウンドに停められた二十台余りの車と数台のバイクが、唯一廃校であることを感じさせた。バスは正門の手前で停まり、僕は黒髪の女性に続いて降車する。
今では公立でもお洒落な校舎が多いけれど、ここは昔ながらの校舎だった。外壁はクリーム色に塗装され、建物の形は見る者に『凸』という漢字を想起させる。おそらく僕が生まれるずっと前、昭和の後期に建てられた校舎ではないだろうか。僕が通った小学校にどことなく似ている。
門の前には警備員の爺さんが一人立っていた。爺さんの鋭い視線が僕を捉えると、敬礼されたような錯覚を覚えた。僕は無意識のうち、爺さんの視線をこれから立ち向かう試練と重ね合わせる。
目を逸らすわけにはいかない。真剣に向き合うときが来たのだ。
黒髪の女性に続いて、爺さんの前を通り過ぎた。女性の歩く速度はあまり速いとはいえず、かといって追い抜くほど遅いわけでもない。仕方なしに僕は、若干のじれったさを感じながら五メートルの距離を保って歩き続ける。
ピロティを通り抜けて下駄箱の前まで来たとき、上履きを持ってこなかったことに気付いた。しかし、下駄箱の側面に『土足のままどうぞ』という貼り紙があるのを見つけ、ほっとする。
よく見ると、貼り紙を透かしてその下に『土足厳禁』の文字が読み取れる。かつてはここで小学生たちが、毎日靴を履き替えていたのだろう。実際まだ饐えた匂いが薄っすら残っている。廃校になってまだ浅いのかもしれない。
黒髪の女性が立ち止まって、何かに見入っている。どうやら校舎内見取り図らしい。
髪の長さといい、いまのさくらよりもやや細い体型といい、もはや昔のさくらの後ろ姿にしか見えない。
出会ったころの気持ちがふつふつと湧いてきて、なんだか暖かい気持ちになれた。夏以降のさくらがつれない分、余計にそう感じるのかもしれない。
僕も見取り図を確認したかったけれど、人気のない場所で女性の傍に立つのは気が引けるので、彼女をおいて先に行くことにした。教室の番号はわかっている。それに照明の点いている廊下と点いていない廊下があり、おおまかに進むべき方向を示してくれてもいる。
黒髪の女性が後ろをついてくる気配はない。いつもならキュキュが登場する場面だけれど、なぜか出てこない。さっきの僕の発言をじっくりと診断しているのだろうか。どこかに報告していなければいいけれど。
歩くたびにリノリウムの床が「ンキュッ」と鳴いて、懐古の情を煽った。といっても上履きではないので、控えめな音しか鳴らない。そばに誰もいないのをいいことに、大きな音が鳴るよう足首に捻りを加えて歩く。
へんてこなツイストを踊っていたら、和服を着た年配の女性が五人、角を曲がって現れた。各々、色とりどりの生け花を大事そうに抱え、上品な笑みを浮かべながら静々と歩み寄ってくる。一人が僕に会釈したので、つられて僕も会釈を返すと、残りの四人も会釈を返してきた。五人をお淑やかにさせるのは、和服の効果か、花の効果か。
迷うことなく三年三組の教室に辿り着いた。後ろの扉を静かに開けて、中の様子を窺う。
目に入ったのはがらんとした空間だった。一瞬教室を間違えたのかと焦ったけれど、そうではなく、単に机の数が少ないのだ。
部屋の中央に九つの机が、一メートルの間隔をおいて、三列×三列で配置されている。すでに空席は二つしかない。僕は教卓にいちばん近い前列真ん中の席を避けて、その後ろの席、九つの席の中心に座った。
机の上に置かれた小冊子をパラパラめくっていると、後ろの扉が開く音がした。ややあって、僕の横を黒髪の女性が通る。彼女は音を立てないようそっと椅子を引き、僕の前に着席した。
ほぼ同時に前の扉が開き、白い顎鬚を蓄えた六十代後半の男性が入ってきた。全員揃うのを見計らったかのような登場だった。人のよさそうな笑みを浮かべ、何かに納得するように、うん、うん、と頷いている。
教卓の上にそっと両手をのせ、「よくいらっしゃいました」と開講の挨拶を始めた。通り一遍の挨拶のなかに、「なんでもないことなんですよ、なんでもないことなんです」という言葉を二回織り交ぜた。
講師は「西野」と名乗った。白い顎鬚が老人の印象を際立たせているものの、目力があり、矍鑠としている。
声がとても良い。といっても、太くてよく通る声質というわけではない。むしろ歳相応に嗄れている。声量が多いわけでもなく、話し方もどちらかというと控えめ。にもかかわらず力強い。けだし心にぶれがない。
柔らかい物腰と、揺るがぬ信念。「俺についてこい!」というよりは、「私を信じてみないか」と手を差し伸べてくるようだ。
こういう人を僕は知っている。聡ちゃんだ。この老人もまた聡ちゃんと同じように、僕を良い方へ、正しい方へ導いてくれるのではないか。そんな期待を抱かせてくれる。
「諸君には履修にあたって、性格診断のためのちょっとしたアンケートに答えてもらいました」
僕は〈諸君〉なんて呼び方をされたことがなかったので、奇妙なくすぐったさを覚えた。
「この講座は三つのクラスに分かれています。このクラスはCクラスです」
Aクラスは、親から虐待を受けたり、親を虐待したことで、第三者の介入があり、親と離れて暮らすことになった人のためのクラス。
Bクラスは、離婚、養子縁組、単身赴任など、家庭の事情によって、長期間親に会っていない人のためのクラス。
Cクラスは、ごく普通の家庭に生まれ、ごく普通の環境で育ったにもかかわらず、親の存在を認識できない人のためのクラス。
「悲しいかな、この講座は大盛況、特にCクラスで受講される生徒さんの割合は増える一方です。諸君は親御さんと再会するにあたって、相当な不安を抱いておられる。しかし、それはある意味正しいことといえましょう。諸君が面会しようとしているのは赤の他人ではないのですから。自分にとって関係の無い人、どうでもいい人に会おうというときに、人は不安を抱いたりはしません。諸君がこの講座を受講したということは、諸君が親御さんのことを特別な存在だと認識した証なのです」
僕はどうだろうか?
まだ、親を特別な存在だと認識しているとはいえない。
まだ、ここに来る資格すらないのかもしれない。
「近頃では子供が親を訴えるといった裁判も珍しくはありません。通常の親子関係、通常というよりも、今となっては前時代的と言うべきかもしれませんね。えー、正常な、うむ、正常な親子関係では、子が親を訴えるなどありえないことです」
いまいちピンとこない話だ。親が原因で損害を被ったのなら、訴えるのが当然のような気がするけれど。
「諸君は親御さんに対して蟠りがあるわけではない。アンケートに拠りますと、諸君は親御さんを恨んでもいなければ憎んでもいない。もちろんこれは良いことといえましょう。幸いなことです。反面、諸君は親御さんに対して何らの感情も抱いていない。これは非常に厄介なことでもあるのです」
親に対してだけ抱く特別な感情がある、とでもいうのだろうか。
「私はこの講座の他にも、DVに悩む夫婦や恋人たちのための講座を受け持っております。その講座には暴行を受ける側の女性や男性だけでなく、暴行を加える側にも生徒として参加してもらいます。そして何度か講義を受けてもらった後、二人をカップルとして存続させるべきかどうかを、こちらで判断します。主従関係が行き過ぎていたり、感情のコントロールが不可能とみなした場合は、別れるように指導します。逆に、二人を一緒にいさせても問題なしと判断した場合は、もちろん、二人の仲がよりうまくいくよう手助けします。彼らの仲をとりもつことはそう難しいことではありません。実のところ、彼らは放っておいても勝手に仲直りします。特に暴行を加えるのが男性の場合はこの傾向が顕著です。男性は怒りに我を忘れた後、正気に戻ると、極端に優しくなることが多いのです。関係を持続させるために必死で謝り、自分の愛情を相手に訴えかけます。暴行を受けた側の女性も相手の情にほだされ、場合によっては以前にも増して良好な関係になるのです。このラブラブなひと時は、ハネムーン期と称されます。このハネムーン期があるからこそ、あとは感情をコントロールする術を習得できさえすれば、実にうまくいくのです。もっとも、それ相応の努力無くして習得できるものではありませんが」
この話は聞いたことがある。ストックホルム症候群について書かれた本を読んだときに出てきた。人間の心理がいかに複雑で厄介かを痛感した。
「Aクラスの生徒さんも同じです。虐待を受けた子供、親に暴力をふるう子供、どちらにも大きな感情の起伏があります。この感情の起伏を利用して、実に良好な親子関係を築くことができる。Bクラスの生徒さんは、長年親御さんと離ればなれだったため、再会に大きな不安を抱いる。しかしその実、親御さんのことを求めてもいる。とても強く。ですから、不安を取り除くことさえできれば、何の問題もない。ところが、諸君は……」
西野老人は目を瞑り、眉間に皺を寄せた。我々に伝えなければならない悪い知らせを、どうすればショックを与えることなく伝えることができるのか、その答えが見つからない、とでもいったふうに。
「当カルチャーセンターで里帰り講座が開講されたのは、今から六年前のことです。当初から講座は、三つのクラスに分かれていました。Cクラスは元々、問題のない生徒さんのためにと設けられたクラスでした。ところが蓋を開けてみると、このCクラスが最も深刻であることがわかりました。最大の問題は関心のなさです。諸君はこれまで親御さんに対して、ずっと無関心でこられた。感情の起伏がまったくなかった。他のクラスの生徒さんが親を求めているのに対し、Cクラスの生徒さんからはそうした意欲を感じない。このままでもべつにいいと思っているようだ。おそらく諸君の中には、状況に迫られ仕方なくここへ来た、という方もいらっしゃるのではなかろうか。実に救い難い。良好な親子関係を築くのが最も難しいのは、諸君のようなタイプなのです」
不治の病を宣告されたところで、話は一旦終わった。
このあと机を動かし円卓状になって、一人ずつ自己紹介を行った。僕はようやく黒髪の女性の顔をしっかりと確認できた。
残念ながらというべきか、彼女の顔はさくらに似てはいなかった。出会った頃のさくらにも、今のさくらにも。暖かい癒し系のさくらに対して、彼女はクールビューティの印象が強い。
誰かが名乗るたびに、西野老人が手元のプリントを見ながら黒板にフルネームを書き出す。
受講者のほとんどは僕と同年代だった。七人が男性で、女性は黒髪のクールビューティと、この中でおそらく最も若いであろう髪をピンク色に染めた女の子の二人しかいない。そのピン髪の彼女が立ち上がって、「加藤です」と上だけ名乗った。歳は言わなかった。仕事はサービス業で、朝霞市に住んでいるという。
男性はひとりを除き、すべて会社員だった。そのひとりは、この講座を受けるためにトラック運転手を辞めたそうだ。
最後にクールビューティが立ち上がり、自己紹介をした。彼女は僕と同い年で、地元は浜松、今は国分寺に住み、武蔵野にある大学の図書館で司書をしているとのことだった。そして偶然にも、下の名前は「咲良」だった。
「本日お座りの席を固定とします。次の授業以降もその席にお座りください。皆さんの顔と名前を一致させたいのでね」
西野老人が立ち去り、最初の講義が終わった。
この後もう一時限授業がある。毎週土曜日午後三時三十分から、一時間の授業の後、十分の休憩を挟んで、もう一時間。それが五週で合計十時間。今年の年末に帰省する人を対象にした短期集中講座という名目になっている。
冊子には八人の講師の顔写真が載っていた。資格・経歴の欄に、心理カウンセラー、メンタルトレーナーなどの文字を見つけ、急に自分が患者になったような気分になる。先ほどの西野老人には、臨床心理士という肩書きが付けられている。
休み時間に教室を出る者は一人もいなかった。黒髪の咲良さんも僕の前に座って、冊子に目を通している。さっき自己紹介をし合ったにもかかわらず、教室内にうちとけた雰囲気はない。
定刻ちょうどに扉が開き、白衣を着た四十代の女性が入ってきた。キツネ目に銀縁メガネを掛け、右口角をややひきつらせている。「神経質」と顔に書いてあるようだ。冊子にはホームカミング・ストラテジストとある。首を捻らざるをえない。
挨拶もそこそこに、我々の問題意識の希薄さについて説教を始めた。「まったく、最近の若い者は」に近いニュアンスで。
やがて話は、素人のための心理学講座とでもいうような内容にシフトし、こういった考え方をする人間は○○で、すぐにこういうことをする人間は××などと言って聞かせた。まるで、お前たちもそのどれかに当て嵌まるはずだ、と言わんばかりに。
彼女にかかれば、世の中のすべての人間には何らかの病名が付けられることだろう。
僕は心理学をあまり信用していない。聡ちゃんの書架にあったフロイトやユング、アドラーも少し読み齧ってみたことがあるけれど、腑に落ちない箇所が多々あったように記憶している。総じて、前時代的な学問、という印象しかない。
必然この人の講義にも関心が持てず、頬杖を突いてやり過ごすことになった。
ただ、この人に対する不信感は、心理学に対するものというよりも、あくまでこの人個人に対するものだといえる。どうにも馬が合いそうにない。
のべつ幕なしに喋り続けていたストラテジストが、突然、「では」と言って、さっさと教室を出て行ってしまった。皆、何が起こったのか分からず、呆気にとられている。端末を取り出して時刻を確認すると、終業時間の五時四十分だった。
西野老人の話は良かった。傷つくことも言われたけれど、それ以上に励まされた。自分の立ち位置を、ざっくりとではあるけれど、確認できたような気がする。
対して、キツネ目の女性の話にはただただ傷つけられた。お前たちはまともじゃないと罵られ、だからお前たちは堕落したのだと詰られ、それでおしまい。
しかし、話の筋道はどうあれ、帰結に異論はなかった。確かに僕には自覚が足りない。そこはまったくもって否めない。貶されるだけのことはある。
そう考えると、さっきの罵詈雑言も必要な通過儀礼だったのだと、ある程度自分を納得させることができた。
意気消沈しながら教室をあとにする。こんな講義をあと四週も受けるのかと思うと、気が重かった。
バス停では、咲良さんと並んで話をしながら、帰りのバスを待った。
彼女は、盆休みに浜松で執り行われた幼馴染の結婚式に出席したそうだ。十二年ぶりに帰郷したこと、実家には帰らず、式のあったホテルに泊まったこと、帰り際に同級生から、自分の父親の健康状態が芳しくない旨を伝え聞いたことを語ってくれた。それがこの講座を受ける動機になったということも。
そして僕と同じく、両親の顔も、人となりも、思い出せないという。
初日の授業を終えても、僕はまだ里帰りの必要性をうまく感じられないでいた。西野老人の言葉はそれなりに僕の心を揺さぶったし、キツネ目の女性も違うアプローチで僕を叱咤した。それでもまだ、実感として捉えるまでには至っていない。
遠くから五時を知らせるオルガンの音色が渡ってきた。ドヴォルザークの『新世界』だった。
第4章 完
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