第9話 自由な君に憧れて④了

 その明るいメロディーには聞き覚えがあった。前、未果と三衣とカラオケに行ったときに歌った曲のひとつ――それも、一番最初に、未果と共に歌った。曲の歌詞に『キミはキミらしく』と入っていたため、葵のお気に入りの曲だった。けれど、今聞いても逆効果だ。


(…――バカバカしい)


 どうせ、無理なのだから。自由に、『私らしく』なんて。

 葵が歩く速度を速め、その場を離れようとしたとき、だった。


「…葵? 何してんだ?」

「?! あ、かわ…颯斗、か」

「おー。帰るとこ?」

「うん」


 背後から颯斗に声をかけられ、仕方なく足を止めた。口元まで引き上げていたマフラーを指に引っ掛けて下ろし、振り返る。

 この寒い日なのに、颯斗はマフラーのひとつもつけていなかった。かろうじて薄めの手袋は持っていたものの、つけてはいなかったので見ている葵は思わず小さな声で「寒そう」とこぼしてしまう。颯斗は少し首を傾げたが、ひとつ頷いてこちらに歩いてくる。


「家、こっちの方なのか?」

「まぁ、うん。正確に言うと、電車に乗る駅がこっち方面にある、だけど…」

「へー」

「…颯斗は?」


 思わず問い返していた。これまで、ここで颯斗を見かけたことはなかったから。同じ部活なのだから、この道を通っていれば一回は見かけていたはずだ。あくまで、“予想”だけれど。


「反対方向」

「…え? 反対、方向?」

「そ。いつもは、家のある反対方向から帰ってるんだけど、なんか歩きたくなってさー。こっち来た」


(じ、自由…! 私だったら、寄り道したら怒られる…のに…)


 ――本当に、そう?

(ううん…もしかしたらまた、私が勝手に思い込んでるだけなのかもしれない)

 ――そうだったとして、どうするの?

(……どうすれば、いいの?)


 ふとした疑問から、脳内で質問が幾つにも枝分かれして増えていく。そのどれもに決まった解答なんてなくて、葵は混乱して頭を押さえながら端に寄った。

 颯斗が慌てたように駆け寄ってくるが、考えごとに集中していたため反応も何もできなかった。


(もう何も、分からない――)


「葵っ!!」

「…! ごめん、颯斗…考えごと、してて…」

「考えごと?」

「そう。母さんとの、ことで」

「そうなのかー」

「…詳しく聞いたり、しないの?」

「え? というか逆に、何で聞くんだよ?」


 ふたりしてきょとんとした顔を見合わせ、一時停止する。颯斗と葵の価値観が合っていないために起こったことだったのだが、ふたりともそれには気付いていなかった。

 ハテナマークを飛ばしまくる葵に、颯斗はいつものようにあっけらかんと告げた。


「葵も何か変だったしさ」

「へ、変? 変って…どこが?!」

「何か全体的に?」

「それじゃ曖昧…」


 ひとつため息をつく。これまで価値観が凝り固まっていた葵は、自由すぎる颯斗に付いていけない。


(それでも、そんな颯斗に憧れて軽音楽部に入ったわけなんだけどね)


 葵は小さく笑う。顔を上げると、颯斗をまっすぐに見据えた。大きく息を吸い、"その言葉"を告げる。


(緊張するな…)



「一緒に、帰らない?」



 顔を下げてしまいたい衝動にかられるが、何とか堪えて前を向き続ける。目の前で緊張した面持ちをしていた颯斗は、ぽかんと口を開けたまま固まっていた。

 葵が肩を叩くと、瞬きをして「ごめん」と言う。


「……何が?」

「いやー、何か、もっと重大なこと言われるのかと思ってた」

「えっ…。こ、これでも、私からしたら重大なこと、だよ?!」

「…え?」

「だって! 私、これまで誰かに『一緒に帰ろう』なんて言ったことないんだから!」

「ああ、なるほど…」


 颯斗がずっと言葉を濁すので、葵は頬を膨らませる。


「そ、それで結局…一緒に帰れるの?」

「え? あ、ああ」


 慌てて言った感じの返事なのは嫌だったが、一緒に帰れることになったので見逃すことにした。一歩引いていたところから、颯斗の横に並ぶ。

 頬が自然と緩み、それを隠そうとマフラーをまた元の位置に戻した。すると、今度は暑苦しくなったので下ろす。


 そんな葵を見て、颯斗が思わずといったように吹き出した。


「…ぷっ……ははっ」

「な、何?!」

「…いや、何でもない」

「ううん、さっき吹き出してたでしょ! 何でもないわけないじゃん!」

「あー、とりあえず、帰ろ」

「誤魔化さない!」


 言い合いをしながら、歩道を駅に向かって歩いていく。バレンタインデーも過ぎた街は、前に比べて色が少なくなっている。木々にも葉がなく、葵はこれまでどこか寂しげに感じていた。

 けれど今日は、そんなことを感じる暇もなく言い合ったり、笑い合ったりして、駅までの道がずっと短く思えた。


(この時間が、楽しい。…でも、家に帰ったら、絶対に母さんと顔を合わせなきゃいけない。嫌だけど…ずっと逃げ続けてても、ダメだ。決意を固めないと)


 颯斗と別れ、電車に乗り込みながら、葵はそんなことを思った。『母』の言い付けで長く伸ばしてきた髪を手に取り、じっと見つめる。

 しばらくして顔を上げると、「よし」と決意のこもった呟きを漏らし、小さくガッツポーズをした。


(そろそろ、だよね。これは、母さんに意思を伝えるチャンスだ。私なりの反抗でこう伝えられる)


(私は母さんの言いなりになる操り人形じゃないんだって)

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butterfly 彩夏 @ayaka9232

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