第7話 自由な君に憧れて②

 基本的に、練習は発声練習である。喉が疲れたら休むかストレッチに変更して、時間を置いて再び再開する。

 他にも、運動部と共にランニングをする日もある。ステージでかなりの時間歌ったり演奏するには、普通に体力がないといけない。ライブの途中でバテてしまえば、そのライブは台無しになる。


 ちなみに、ボーカルが一番体力を使うらしい。理由は歌うから、だそうだ。歌うのには、楽器を演奏するのより体力を使う、らしい(三衣談)。なので、大抵ボーカルは体力が有り余っている人が多かったりする。三衣もそうで、葵はなんだかみぃに似てるな、と思っていた。それは正しかったりする。ふたりが話せば、さぞ気が合うことだろう。


 …というようないわゆる“無駄”な思考をしつつも、葵の体は指示に従って動いていく。

 元々持っていた身体能力と、ずっと『母』に命令されていたこともあり、葵はかなりスペックが高い。本人にその自覚はないが、スパルタな練習に余裕――雑事を考えるほどの――があるのがそもそもおかしいのだ。普通は一時間もやれば体力を使い果たして休憩に入る。


(…楽しいなぁ…)


 最近はまっている歌を鼻歌で歌いながら、ペースを乱さずにストレッチ。その鼻歌を聞いた三衣がばっと葵に詰め寄った。手を引っ張られて壁際に連れて行かれる。おろおろしたままの葵を気にせず、瞳をキラキラと輝かせた三衣が口を開く。


「ね、ねぇ!葵の歌ってさっき初めて聞いたんだけど…めっちゃ、うまいね!ホントに習ってなかったの~?!」

「習ってないよ…」


 そう言えば、三衣が背を向けて頭を抱えた。首を傾げつつ、葵は言わなければいけない言葉をかける。


「褒めてくれて…ありがとう」


 三衣は驚いたように少し固まる。そのあと、ふにゃっと表情を緩めた。


「どういたしまして…で、いいのかな?」

「うん…」

「えへへ、なんか気恥ずかしいね。練習、戻ろっか!」

「そうだね」


 短い会話を交わして練習に戻ってからも、葵は嬉しさで笑顔になるのを止められなかった。だって、あまり――いや、全く褒められたことがなかったから。『母』はいつでも悪いことを見つけて注意してきたし、美以子や香音といった友達にも完全な素を見せているわけではないので、褒められたとしてもあったのは嬉しさではなく罪悪感だった。


 このときの葵は、初めて『葵』という人間を肯定されたような気がしていた。ここにいてもいいんだよ――と。そう言われたような気がしたのだ。

 ただ、嬉しさが収まると、次に考えたのは『母』のことだった。言うまでもなく、朝の出来事について、だ。『今日は早く帰れる』と、『何か買ってくる』と、彼女はそう言った。それを、葵は怪しんでいた。


 …――その言葉が、『母』の…清水 れいというひとりの人間の、本心からの思いやりだとは欠片も思わずに。





「――もう、六時かぁ…。暗くなってくるし、そろそろ終わりかな。ね、葵?」

「あ、うん!丁度いい頃合いかも…」

「だよねっ!――みんな、集まってー!!」


 三衣の呼びかけに、部員全員が手を止めて集まってくる。音が無秩序に入り乱れていた音楽室は一瞬で静かになり、足音と密やかな呼吸音だけが辺りを支配する。カツン、と音がしてそちらを向くと、ホワイトボードに連絡事項が書かれているところだった。葵はいつも持ち歩いている付箋を取り出し、走り書きでそこに書き留める。


『練習時間の変更有り』


(あ、これは大事だよね。――あと、これも…かな)


 下の方に書かれていた『バンド』という文字にも、時間変更の連絡と同じように線を引く。よくわからないが、多分バンドを組むということなのだろう。そう解釈し、葵はさほど気にならなかったのでスルーした。それに、三衣が説明してくれるだろう。

 その予想は意外にも外れ、「ありがとうございました」の声を合図に部員が散っていく。首を傾げる葵のもとに、未果と三衣のふたりが近寄ってきた。ひそひそ話をするときのように顔を寄せ、同じ顔に似たようなイタズラっぽい笑顔を浮かべて告げる。


「ねぇ葵っ、今日この後予定空いてる?!」

「三衣、がっつきすぎ!」

「別にいーじゃん~」

「予定、かぁ…。ちょっと待ってね」


(母さんが早く帰ってくるけど…いつもより二、三時間早いぐらいだよね?じゃあ――大丈夫かな)


 少し引っかかるものがあったものの、葵は笑顔で頷く。ぱっと表情を明るくさせたふたりは、「「カラオケ、行かない?」」と完璧にシンクロした動きで聞いてきた。再び頷くと三衣が跳び跳ね、未果はその場で静かにガッツポーズをした。


「いいとこ知ってるんだ!そんなに遠くないし、行こ行こ!」

「ほら葵、早く帰る準備してー!」

「はーい」


 くすくすと笑いをこぼしながら返事をすると、三衣に袖をぐいぐい思い切り引っ張られる。未果はバッグを手にしていて、指先に鍵の先に付いているリングをひっかけてくるくると回していた。

 葵の準備ができたのを認めると双子はドアを開けた。…周りにいた人が、何事かと振り返るほどの勢いで。


 そして鍵は颯斗と碧、信頼できるふたりに預け、風のようなスピードで去っていくのだった。


◇  ◇  ◇  


「――さーて、何歌おうかな?どんなジャンルにしようかなー?」

「あたしは葵の歌聞きたいな~」

「む!わたしも!」

「え…、私の?」

「もっちろん。妹で実力派シンガーの三衣がうまいって言ってるんだもん、聴くしかないでしょ~?」

「えへへ…。褒められると照れる…」

「今、どっちかというと褒めてるのは葵なんだけど」

「あ、ありがと…。――何、歌おうかな」


(あれ…?そういえば私、あんまり曲、しらない…?)


 今はまっている曲はあるけれど、歌詞とリズムを覚えているのはサビのみ。他は、そもそもあまり聴かないため知らなかった。さらに『母』も聴かないので、これが流行りの曲だと言われても苦笑いするしかない。

 そう伝えると、未果がにやりと悪巧みをしている悪者のように笑い、三衣は愕然として項垂れた。ピッ、という音がして正面にある巨大な画面を見ると、何かの曲が入れられたところだった。マイクを持っているのは未果だ。


「知らないんだったら、あたしが歌ってるの聴いて、リズムがわかったとこで入ってきて!」

「え、でも、歌詞が…」


 狼狽えて手と首を振ると、未果は歌詞なら前に出るし、と苦笑した。すぐにイントロが流れ、未果が歌い出す。葵はそれに聞き入った。

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