第5話 音楽の力と動いた心②了
ギターの音。力強い、ボーカルの歌声。流れてきた
1曲目は今校内で一番流行っている曲のカバーだった。ボーカルに合わせて歌っている人や体でリズムをとっている人もいて、会場は一瞬で大盛り上がりとなった。みんな、笑顔が弾けている。
2曲目は聞いたことのない曲だったので、オリジナルだと思われた。切ない恋の歌で、男性ボーカルとマイクを変わって歌い始めた女子生徒の歌い方もあいまって胸がぎゅっと締め付けられるような感覚を感じる。
ふいに、葵の横に誰かが立った。ちらりと少しステージから目線を外して見ると――、そこにいたのは、瞳をキラキラと輝かせた颯斗だった。葵に気付くとにかっと笑ってくれるが、すぐに視線は前へと戻っていく。
『文化祭、楽しんでるか――?!』
「・・・あれ、部長」
ステージで叫ぶ男子生徒を指差して、颯斗が小さく耳打ちしてくる。聞き入っていた葵は、すっかり固くなってしまった首を少しだけ動かした。
(すごい。上手く言えないけど・・・すごい)
ドキドキと胸が高鳴っている。きっとこれは、興奮。葵は脳内でひたすらにすごいと繰り返していた。語彙力なんて、衝撃でどこかに飛んでいってしまっている。
時間はあっという間に過ぎて、ステージに上がっていた軽音楽部のメンバーがぺこりと頭を下げた。手を振りながらステージ裏に戻り、幕が閉じていく。
「――どうだった?」
「・・・すごかった。すごいとしか、言えない」
静かに問いかけられ、葵はそう答えた。もっといい誉め言葉があるはずなのに、言いたいのに、何も浮かんでこなくてモヤモヤとする。
颯斗は頭のところで腕を組み、嬉しそうに続けた。
「だろ?先輩達見てるとさ・・・やっぱ、音楽の力ってすごいんだな、と思うんだよ」
「音楽の、力」
「そ。俺は勝手にだけど、音楽には人の心を動かす力があると思ってる。悲しいときでも音楽を聞けば少し気分が上がるし、嬉しいときはさらに嬉しくなるし・・・」
(確かに、そうかも)
何も言えなくて、葵はひたすらにこくこく頷く。
ふと、もしかしたら母さんも――、という考えが頭を過ったものの、出てきた結論は『無理』だった。そもそも、あの人が言った通りに音楽を聴いてくれるわけがない。
それなら、部活にも入れない、はずだ。葵は『母』から、厳しく部活には入るなと言われているのだから。
(でも・・・それでも。さっき感じた気持ちに、嘘はつけない。つきたくない)
きっとさっきのライブで、葵の心は颯斗が言うように動かされてしまった。一度深く深呼吸して、颯斗の方に向き直る。
「あの。さっきみたいな、楽器とか歌って・・・私にも、できるかな?」
颯斗が驚いたように葵を見た。緊張して、葵は無意識のうちに目を瞑る。やがて、返ってきた答えは――
♢ ♢ ♢
(まだかなぁ…)
文化祭から数日後――
葵は、放課後にそわそわとしながら待ち人が来るのを待っていた。今日は、軽音楽部の見学に行くのだ。つまり、この前の質問への颯斗の答えは、『できる』。そこからはとんとん拍子に話が進み、今日見学に行くことになった。颯斗が一緒に行ってくれるそうなので、葵は自分の席で彼が来るのを待っている、というわけだ。
ちなみに、あの日の文化祭に『母』は来ていない。いつものように、仕事があるからと素っ気なく言っただけだった。それと、「恥をかくようなことはしないで」という
(なら…ギリギリのラインまでなら、いいんじゃないかな?)
『部活に入るな』と言われているのなら、入っていないことに――秘密に、すればいい。それがダメでも、仮入部や見学などいろいろ手はある。これまでの葵なら、こんな冒険、思いついたとしてもしなかっただろう。やっぱり音楽の力ってすごいんだなぁ、と再認識。
他の人にとっては普通のライブでも、葵にとっては忘れられない特別な日だ。『母さんの言いつけ』という紐でがんじがらめに縛られていた心が、音楽によって解かれて――初めて心が動いた、大切な日。
あの日からずっと、葵の体は不思議な熱を持ち続けている。
「…葵、悪い!遅くなった!」
「……!大丈夫、だよ」
急に近くで大声が聞こえて、がたんと椅子を鳴らして振り返る。颯斗だったことに気づき、慌ててぶんぶんと手を振って怒っていないことを伝える。
「よかったー。じゃ、行くか」
そう言って、颯斗は部室棟の方に歩き出した。葵も弾んだ気持ちでその後を追いかける。空気を吸い込むとすっかり冬の空気に変わっていて、今さらのように寒さを感じて身震いする。
どこにどんな部活があるか、という案内板を見ると、軽音楽部は最上階――4階にあるようだった。エレベーターもエスカレーターもないので、長く急な階段を無言で上がっていく。いたたまれなくなって、葵はこっそり息を吐いた。
「――ここが部室。入って」
「う、うん・・・おじゃまします」
階段を上り終えて右に進んだところにある突き当たりの部屋、というか音楽室。颯斗が扉を開けると――
「おっそーい!何してたの?!」
元気よく叫びながら、ぴょこんとひとりの女の子が飛び出してきた。身長は葵より少し低いぐらいで、名札の色が同じなので同級生だろう。けれど、あまり見かけたことはないのでクラスメイトではないはずだ。
「・・・あれ?お客さん?」
「ああ。見学希望の葵。俺のクラスメイト」
「そうだったんだ!ごめんね。あたしは
「えと、清水 葵です。よろしくお願いします」
「そんなに固くならなくてもいいよー。よろしくね!」
未果はにこにこしながらキーボードを見せてくれた。彼女が動くたびに、高い位置で結わえられたサイドポニーテールが揺れる。勢いに押されつつも、葵は恐る恐る挨拶をした。未果はライブのときに1曲だけだか後ろで演奏していたらしく、葵がすごかったと言うと嬉しそうにはにかんだ。
そうしてしばらくはしゃいでいると、後ろから困惑したような声がかけられた。
「えっと・・・通してくれないかな?というか君、誰?」
振り向くと、ドアを開けてすぐのところにひとりの男子生徒が立っていた。未果と同じく同級生のようで、大きな黒縁眼鏡をかけている。ひょろりとしており、背には大きく膨らんだリュックサック。いかにも文学少年といったいでたちなのだが――
(身長が・・・私より、低い?)
彼は、クラスの中でも低めの葵より身長が低かったのだ。なので、珍しく見下ろすような形になる。
「ん?あ、碧!この子は見学の葵。碧も自己紹介しなよー」
「未果、その前に通して」
「はいはーい」
「碧、やっと来た!あれ貸してくれよ」
「ああ、昨日言われたやつね。了解」
そう、部室に入ってきた碧という名前らしい男子がリュックサックから取り出したのは・・・大量の、雑誌や本だった。
音楽雑誌やゲームの攻略本。他にもいろいろなジャンルのものが散らばっており、マニアックなものだと深海魚などの専門雑誌まである。
碧はその中から迷いなくひとつのゲームの攻略本を選び出し、颯斗に手渡した。そして、くるりと葵の方を向く。
「こんにちは。僕は
「あ・・・よろしく、お願いします」
びっくりしていた葵は、慌てて頭を下げた。顔をあげてすぐに「意外だと思った?」と聞かれてドキリとする。ごめんなさい、と再び頭を下げたものの、降ってきた声は怒っていなかった。
「そんなに慌てなくて大丈夫だよ。よく言われるし」
碧が「ね?」と後ろのふたりに同意を促すと、未果は即答、颯斗は少し悩んだあとに頷いた。その反応速度の違いに葵は首を傾げる。
問いかけようかと思ったが、やめておいた。代わりに別の疑問を口にする。
「いつも、どんな活動をしてるんですか・・・?」
「えっとー、大体は自分の担当楽器の基礎練習・・・だよな?」
「うん、そだよー。で、文化祭前だけスコア持ってきて、合わせてくかな。ボーカルは発声練習」
「ありがとうございます・・・」
葵が俯きがちに言うと、未果が顔をしかめた。何か悪いことをしてしまったのかとさらに俯く。『母』も、叱る前にあんな顔をするのだ。
「んー。んー!」
「どうしたんだよ・・・」
「お腹でも壊した?」
「違う!」
三人がそんな会話を繰りひろげる間も、葵は俯いたままだった。しばらくすると、未果が下から覗き込んでくる。
「ねぇ、葵」
「は、はいっ」
何を言われるのかと、緊張しながら答える。葵のそんな気持ちとは裏腹に、未果はにっこりと微笑んだ。
「敬語とか名字呼びとか、やめない?あたしは未果でいいし、あいつらも名前呼び捨てでいいよ。同学年なんだし、敬語もいらない!」
「へ・・・?はい」
「そこは『うん』!」
「う、うん・・・。えっと、未果・・・」
「合格っ!」
イタズラっぽく笑って、未果は屈んでいた体を戻す。後ろで颯斗が「あいつらって何だよー」と言っていたが、軽くあしらっている。思わず、くすりと小さな笑みがこぼれた。
(確かに、ここだと自分を作らなくてもいいかも・・・)
それが、葵と軽音楽部のみんなとの出会いだった。
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