第4話 音楽の力と動いた心①

 それからしばらくして夏休みに入ったものの、葵はほとんど家にいた。勉強をしろと、『母』に言いつけられてしまったからだ。部活があればよかったかもしれないが、残念ながら無所属だった。宿題は早々に終わらせ、葵は毎日「早く学校が始まれ」と念じていた。


(普通の高校二年生だったら友達と遊んだりして、夏休みよ終わるなー、って感じなんだろうな。…私は真逆だ)


 苦笑を漏らす。読みかけの本を手に取ったものの、内容が全く頭に入ってこない。


(軽音楽部…そうじゃなくても、部活に入れば毎日が楽しいのかな?)


♢  ♢  ♢  


 葵にとっては長く、他のクラスメイトにとっては短かったのであろう夏休みが終わった。文化祭については大したいざこざもなくお化け屋敷をするに決まったものの、大変なのは衣装やセットの準備だった。

 幽霊役の子のための白い浴衣。破れた障子。教室を暗くするための暗幕など、本格的にするにはたくさん材料がいる。葵も美以子も裏方としてバタバタと慌ただしく働く。香音だけはその整った容姿から幽霊役として出ることになり、毎日演劇部の子から厳しい演技指導を受けているようだった。


「うわー、結構簡単に考えてたけど、お化け屋敷のセットって手間かかるんだねぇ」


 美以子がトンカンと金鎚を打ち付け、汗を拭きながら言う。ズレないように板を抑えていた葵は、俯けた顔をあげて「そうだね」と答えた。いつもよりも声が大きくなってしまったが、がたがた材料を運ぶ音やクラスメイトの声が飛び交う教室では仕方ない。


 9月が終わった時点で完成していたのは、大体4割といったところだった。学級委員長が放課後に残る許可をとってきてくれたのだが、たいていの人が1時間ほど作業すると部活だと言って抜けてしまう。運動部の人達は大会が近いようで、なおさら残ることが難しいようだった。

 そうこうしているうちに時間は経ち、もう10月に入ってしまっている。文化祭まであと1ヵ月はゆうにあるのだが、まだ半分もできていないということがクラスを焦らせていた。ちなみに幽霊役の方はほとんど完璧らしい。


 葵達のグループが作っているのはゴール近くの墓。怖い雰囲気を出すためにわざと乱雑にしよう、ということで倒したりするためかなりたくさんいり、しかも塗り方も決まっている。グループには合計8人いたため、ふたりで1組になって作業を振り分けた。葵と美以子は板を釘でとめる係だった。


「部活なので抜けまーす!さよーなら」

「あ、あたしもそろそろかも…」


 そんな声が聞こえたからか、美以子が壁にかかった時計を見上げる。険しい顔になったので、多分抜けなければならない時間が近いのだろう。葵はぼんやりと、あの日から別に話したこともないのに「川越さんの声だ」と考えていた。颯斗はいつも元気で、よく声が通る。

 美以子に声をかけられたことで現実に回帰し、ぱちりと一回瞬きをする。


「葵。…葵?あたし、もう抜けるね。今日は絶対行かなきゃいけなくて…」

「あ…うん。わかった。バイバイ」

「また明日!」


 そう言うと、美以子は本当に時間がギリギリだったのか「抜けます!」とだけ叫んで教室をあとにした。葵は風のように駆けて行く背中を手を振って見送り、姿が見えなくなると再びひとりで釘を打ち付け始めた。


♢  ♢  ♢  


 文化祭一週間前の教室は、まるで戦場のようだった。セットも衣装もほとんど完成し、今は最後の調整作業をしている。


 看板と衣装の一部に不備が見つかったため、担当の人は猛スピードで修正していた。幸い、といっていいのかわからないが葵達の作った墓は何の問題もなかったので、メンバーはバラバラにいろいろなところに振り分けられ、そのグループの手伝いをしていた。


「ああっ、また糸引っかかったー!」

「看板、直すの終わったよー」

「ちょっと待って、見取り図…だっけ?あの紙どこ?!」


(す、すごいなぁ…。何か、去年よりみんなが燃えてる気がする…)


 衣装係のところで直すのを手伝いながら、思わず葵は手を止めて周りを見やった。隣では、家庭科部の女子達が葵の2倍のスピードでスカートの部分を縫っている。そこから、下を向いたままで厳しい声が飛んできた。


「「「清水さん!手を休めない!!」」」

「はいっ、ごめんなさい!」


 謝り、さらにぺこりと頭も下げて作業を再開する。葵の長い黒髪が、ふわりと宙を舞って背中に落ちた。全てが開け放された窓の外からは、秋の虫の奏でる美しいメロディーが流れて来ていたが、それを聞く余裕もなく作業は進んでいった。




「はい、オッケー!合格!」


 そう、生徒会の人から声がかけられたのは文化祭前日になってからだった。その日は全ての部活が休みになったため、全員が作業に取り組んでいた。教室内は一瞬で喧騒に包まれ、テンションについていけない葵は苦笑いしながら見守るしかできなかった。

 ぽん、と肩を叩かれて振り向くと、そこにはハイテンションの美以子とどうにかしてくれという目で訴えてくる香音がいた。葵は表情を苦笑いから驚愕にシフトさせ、諦めようという意思を伝えるために首を振った。


「酒だー、酒を持ってこーい!」

「みぃ、落ち着いて。ここにお酒はないし、そもそも未成年だから飲めないでしょ」

「本当にないのかーー?!」

「ない」


 騒がしいふたりにおろおろしつつも、葵は自分の口に確かな笑みが浮かんでいることに気が付いていた。


(明日…がんばろう!)


 静かに決意し、小さくガッツポーズを作る。高校に入って二度目の文化祭、そして――軽音楽部のライブも、明日だ。


♢  ♢  ♢  


「文化祭開幕まで、あと十分でーす!まだ準備が終わっていないクラスは、急いでくださーい!」

「うわ…なんか、急に緊張してきた」

「浴衣崩れてない?」


 生徒会の呼びかけに、葵達は体を強張らせる。三人とも担当は一番最初で、客引きやらなんやらで大変なのだ。香音がひたすらに浴衣の着崩れを気にしていたので、大丈夫だと親指を立てる。


 キーンコーンカーンコーン…

 チャイムが響き渡り、がやがやという喧騒、大勢の人の足音が聞こえてくる。明るく弾んだ声で、文化祭が始まったことを知らせる放送が流れた。


三笠みかさ高校文化祭、開幕です――!!みなさん、迷惑をかけない程度で存分に楽しんでください!』


 わーっ、という声が周りからあがり、葵も手を上にして大きく歓声をあげた。美以子と香音とぱちんと手を打ち合わせ、持ち場に向かって駆けだした。




「キャーーッッ!!」

「嫌だ怖い助けて…」

「何これ、すごい本格的じゃん?!」


 教室内から絶叫があがり、『2-4 絶叫必至!!恐怖の館』と書かれた看板を持った葵はビクッと肩を跳ねさせた。ぐるぐると校内を回っているが、葵達のクラスは人気のようで、常に列が作られていた。口コミでも「本格的で面白い」というように広まっているようで、行ってみようと話している人とすれ違ったこともあった。


(やっぱり手間かけたのがよかったのかな。嬉しいや。…あ)


『2時から、体育館で軽音楽部のライブがありまーす!見に来てね!!』


 ぷちっという音に続いて、颯斗の声がそう告げた。葵は思わず「そろそろ、行かなきゃ」と呟くと、看板を置くために速足で教室に戻っていった。

 人の波にのまれつつ、体育館に到着したのは始まる直前だった。席はもちろん空いていなかったので、後ろの方にそっと立つ。ステージに背の高い男子生徒と他にも数名の男女が上がってきて、次の瞬間――、


 広いはずの体育館でも抑えられないほどの音の奔流が、葵の体を叩いた。

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