第2話 つまらない日常②
(あーあ、つまんないな・・・)
教師の声が響く教室で数学の授業を受けながら、葵はぼんやりと窓を眺めていた。前に公式を書いて説明しているようだが、それはとっくの前に理解し、演習問題まで解けるようになっている。――『母』が無理矢理受けさせているオンライン塾によって。
昼一番の授業だからか、教室内にはどこかゆったりとした空気が漂っていた。暖かい日光が開かれた窓から差し込み、うつらうつらとしている人が数人いる。美以子もそのひとりだった。
(これはまた、テスト前に泣きつかれるかなー・・・)
そんな未来予想図が簡単に予測できて、思わず苦笑いする。前も、美以子はギリギリ――テスト一週間前を切った頃に勉強を教えて、と頭を下げてきたのだ。葵と香音に。
『一生のお願い!勉強教えてぇぇえー!!』
そう絶叫していた前回のことがくっきりと記憶に甦り、小さく「あー・・・」と漏らしながら葵はこつんと額を叩いた。出会ってから何回、美以子の『一生のお願い』を聞いただろうか?と脳内で数え、10を越えたところでやめた。
「――笹島さん、この問題を解いてください」
「・・・へ?ひゃ、ひゃいっ!」
声が聞こえて黒板に目を向けると、眠っていたからか美以子が数学教師に当てられていた。解くことになった問題は、黒板に書かれている中でも特に難しいもので、美以子はパニックを起こしている。それを、香音が微笑ましいといったようすで見守っていた。
葵も同じように眺め、ふいに爽やかな匂いと共に風が吹き込んできたことで窓に視線を戻した。よくよく見ると、一番端っこの窓が開き、カーテンがパタパタとはためいていた。
直そうにも、授業中は立ったり移動することは禁止されているのでどうにもならない。その窓は葵の隣の席の人を挟んだところにあるのだ。隣の席の人が直してくれないかぎり、あれはそのままだろう。しかし、その人は熟睡しているようで気付くよしもない。
(起きてくれないかなぁ・・・そうだ、シャーペンとかでつついたら!)
そう思ってちょんちょんとつつくものの、少し身動ぎするぐらいで全くもって起きる気配がない。近寄ったときにふわっと爽やかなミントの香りが漂い、「ああ、あの匂いはこの人のだったんだ」と葵は囁き声で独り言を言った。
大きな声を出したら目立ち、美以子の二の舞になるためだ。結局起きないまま授業は終了し、無駄な労力を使った、と葵は深いため息をついた。
(6時限目が終わったら、まず帰りにスーパーに寄って晩ごはんの材料を買う。母さんはいつもと同じだろうから、晩ごはんはふたり分作っとかなきゃ)
6時限目の準備をしながら、葵はこのあとの予定を組み上げていく。その途中でぽんっと勢いよく肩が叩かれ、びくりと大げさなぐらいに肩が跳ねた。
「わっ!!」
「ふみゃっ?!・・・もー、あおたん、大きい声ださないでよぅ。こっちがびっくりしたよー」
「私は寿命が縮むかと思ったよ・・・」
「ごめんね、葵。で、本題だけど、今日カフェに行かない?」
「カフェ?」
思わずおうむ返しにして返してしまう。きっと今、目は大きく見開かれていることだろう。
「そーだよー!近くにできたんだ。学校から・・・えーっと、どのぐらいかかるんだっけ?」
「5分ぐらい、でしょ」
「あっ、そうだったー。・・・どうする?あたし達は行くけど、あおたんも来る?」
(どうしよう・・・)
葵はかなり悩んだ。『母』が帰ってくるのは深夜過ぎだろうから、行っても別に問題はない。けれど、誘われたのが初めてだったため、葵は少し狼狽えてしまった。
そして結局――
「ごめん、今日は用事があって・・・また誘って?」
そう答えてしまった。せっかくの、ふたりとさらに仲良くなるチャンスだったというのに。
「そっかあー、残念。じゃあ、あたし達だけで行ってくるね」
「用事があるなら仕方ないよね。持ち帰りができるの、何か買ってくるよ」
「行けなくてごめんね、みぃ、香音。ありがとう」
「気にしないでいいよー。時間はこれからたっぷりあるんだからさ!」
そう言って朗らかに笑った美以子に少し胸がチクッとし、罪悪感を覚えたものの、葵は今日何度目かもしれないぎこちない笑顔を浮かべた。そのようすをひとりの男子が見つめていることには気付かないまま――・・・
◇ ◇ ◇
「ばいばーい!」
「ねぇねぇ、今日の部活何するんだっけ?」
「バイトめんどくせー」
そんな会話が飛び交い、朝と同じぐらいの騒がしさになった放課後。葵は周りの騒がしさを気にもとめずに手早く帰る用意をしていた。美以子と香音は、少し前にカフェへと出発しているはずだ。
急いでやったのに、用意が終わったときにはもうほとんど人は残っていなかった。外の鳥がのんきに鳴く声だけががらんとした教室に響く。
(今日はみんな早いなぁ・・・)
鞄を肩にかけ、教室に出ようとしたとき。
「おーい、ちょっと待ってよ」
教室に残っていた男子が葵を呼び止めた。振り返って見ると、今日散々つついて起きなかった、隣の席の人だった。声をかけようとしたものの、名前がわからなくて沈黙する。
「・・・名前、何(何ですか)?」」
同時にそう言い、同時にきょとんとして顔を見合わせる。とりあえず自分の名前を告げようと葵は口を開いた。
「私は、清水 葵、です」
「しみずあおい・・・葵!俺は
(いきなり呼び捨て?!)
驚いたものの、気を取り直して話を進めることにする。ここで時間を食ったら、予定が狂ってしまう。
「えっと、私に何か用ですか?」
「あー、用事っちゃ用事なんだけどなー・・・」
何を言おうとしているのか、颯斗はきょろきょろと視線をさ迷わせた。かちかち、かちかち、と時を刻む時計の音が葵を焦らせる。
じっくり時間をかけ、それでもまだ言いにくそうに颯斗が口を開いたのは約2分が経ったときのことだった。実を言うと、葵はもう焦りすぎてそわそわしていた。
「葵さぁ。何か、無理してねー?」
先ほどとは比にならないほどの驚きに、葵は数秒フリーズしてしまった。かちーん、と石像のように硬直する。
(どうして、それを。というか、どうしてわかったの?いつ気付いてたの?)
疑問が頭の中をぐるぐる回り、葵は混乱する。颯斗が慌てて宥めるように手を上げた。もう少しで過呼吸になりそうなほどパニクっていた葵は、「あわわ」と言いながら同じように手を上げて振った。もう何をしているのかさえわからない。
「ちょ、おい、落ち着けって!」
「そそそ、そういわれてももも」
あーもう、と舌打ちすると、颯斗は葵の体を抱き寄せた。温かい感触に包まれたことで心臓がびっくりしたように跳ねる。そのまま鼓動はおさまることを知らないかのように跳びはね続け、その副次効果で混乱していた頭が少しずつ落ち着いていく。
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