第15話 映画『エイト・テン』
先生の背中しか見えない席で、俺だけが討論にも参加せずに下を向いていた。いつしか2時間という制約の中、龍虎先生の研究会は終わりを告げた。
参加者は別れを惜しみながらも先生と握手しては、ぞろぞろと退出していく。俺も帰ろうとしたら、先生に呼び止められた。
「あっ、吉本さん! ここ、元通りにしなくちゃならないの。ボクの手伝いをしてくれるかなあ? 」
それを聞いた参加者の一人が、「それじゃあ、私も手伝います! 」と言ったが、
「ありがとう! でも、ボクたち二人で大丈夫だから、また今度手伝ってください。良かったらだけど… 」と言われ、手伝いを申し出た女性は、「わかりました… じゃあ、今度にしますね。失礼します」と残念そうに立ち去った。
先生は俺が嫌とは言わないと思ってるかのように、俺の返事も待たずに、
「じゃあ、ボクは部屋の中を片付けるから、吉本さんは、さっきと逆に倉庫まで椅子を戻してね」と言って、掃除機がある部屋の備品置き場の方へ行ってしまった。
( これって… 先生は俺を特別扱いしてくれてる感じ。もしかして、後で俺の質問に答えてくれるのかもしれないぞ ) とにわかに期待が膨らんできた。俺は心の中が明るくなって、猛然と後片付けを開始した。
「うおー! 」
( 良かった。元気になってる ) と龍虎は、ほくそ笑んだ。
20分もしないうちに後片付けが終わったので、先生は「わー! すごい! 新記録だよ。こんなに早く終わるなんて、びっくりしちゃった」と歓声を上げた。俺も笑顔で「そうですか? お安い御用ですよ」と言った。
「あのーさっきの続きなんだけど… 良かったら、カフェででもお答えしようと思うんだけど… 」先生は俺の目を見ながら緊張した表情で言った。
「あっ、はい! お願いします! 」俺はどん底から有頂天に一気にのぼった気がした。できればまた落ちてしまいそうな有頂天という言葉は禁句かもしれないが…
俺たちは会場があったビルの並びにあったチェーン店でおなじみのイースターバックスに入った。「関西では、いーすたって言うのよ」と先生が関西出身であることをほのめかしたが、俺はそこには特に深掘りしなかった。それを言うと話の流れで俺が盛岡出身の田舎っぺだと分かるのが嫌だったからだ。
店内でそれぞれ注文したが、先生は「あー、今日だけは糖質制限は中止。モンブランを頼んじゃえ」と言いながら、楽しそうだ。俺たちは2階席の奥まった席に座った。しばらくは先生がおいしそうにモンブランを食べているのを見ながら俺はカプチーノの慣れ親しんだ味に浸っていた。
モンブランを食べ終わった先生は唇をナプキンで拭ったあと、あのカジュアルなバッグからスマホを取り出した。
「君にはまず、この映画を観てもらった方が、早いかなあと思うんだ」と言った。俺は先生の手に握られているスマホを見て、
「その映画ってなんですか? 」と聞いた。
「これは、多分にビニナルタンの宣伝的要素が高い映画なんだけど、君が知らないようなので観てもらうね。『エイト・テン』という映画だよ。知ってる? 」
俺はそんな映画は知らなかった。だが、もしかして、それを知らないのは俺ぐらいな者かもしれないと何故か予感がした。
第15話 終わり
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