好きだけど…

平中なごん

好きだけど…(※一話完結)

「――別れましょう」


 その日、デートでよく使っていた隠れ家的喫茶店に彼を呼び出すと、わたしはすぐに本題を切り出した。


「えっ!? どうして!? 僕、何か怒らせるようなことした? 突然、なんでそんなこと言い出すの? ぜんぜんわからないよ!」


 すると、彼はそんな目的で呼び出されたとはまるで予想していなかったらしく、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をして驚きの声を上げた。


「まったく思い当たることないけど、僕に何か至らないところがあったんなら改めるよ。ね、だから、そんなこと言わないでさ、これからも仲良くやっていこうよ」


 そして、クンクンと鳴いて甘える子犬のような目をすると、いつものように素直に謝って、わたしを説得しにかかる。


「ううん……ダメ。もう無理。とにかく、あなたとはもうこれ以上、つきあえないの……」


 しかし、わたしはつらい選択に表情を歪めながらも、すがる彼の言葉を残酷に一蹴した。


「どうしてだよ!? そんなに僕のこと嫌い? 納得できないよ! 嫌いなところがあるんならはっきり言ってよ!」


 理由も告げずに別れを切り出した頑ななわたしの態度に、普段は穏やかな彼の言葉にも怒気が含まれ始め、他のお客さんの迷惑もかまわず大声を静かな店内に響かせる。


「ううん。そうじゃないの。むしろ大好きだよ、あなたのこと……」


 そんな彼に、わたしは伏目がちにテーブルに置かれたコーヒーの黒い水面へ視線を落とすと、溜息を吐くようにしてそう答えた。


 そう……わたしが彼との別れを決めた理由――それは、彼のことが好きすぎる・・・・・からだ。


 逆に言えば、好きすぎる・・・・・ために嫌いなところが一つだけあると言ってもよい。


「じゃあなんで別れるなんて言うんだよ!? そんな気を遣わなくていいから正直に言いなよ。やっぱり性格の不一致とかいうやつ? 僕みたいに優柔不断なやつなんかより、ちょっと強引でも引っ張っていってくれる男の方がいいとか?」


 でも、そんなわたしの心の内を知る由もない彼は、勝手にそんな推論をしてなおもわたしを問い質す。


「いいえ。あなたの性格、すっごく好きだよ。わたしの性格とも相性ピッタリだったと思う」


 咄嗟に首を横に振り、即答したその言葉に嘘偽りはない。


 彼が言うのとは反対に、意見を押しつけられるのが嫌いで、なんでも自分で決めたい性格のわたしは、紳士的で、何をするんでも相談してくれる彼とたいへん馬が合った。


 性格的な面においても、彼は理想の相手だったのだ


「それなら、どうして……あ、もしかして、顔? 最初から僕の顔が好みじゃなかったとか?」


「ううん。好き。どんなイケメンのアイドルや俳優なんかよりタイプだよ」


 続いて彼があげた推測にも、わたしは即行で首を横に振る。


 その、いかにも平凡だけど爽やかで優しそうな顔も、ものすごくわたしの好みにどんぴしゃなのだ。ていうか、初対面の際、まずは顔から好きになったといっても過言ではない。


 その人懐っこそうな目も、ちょっと小振りな鼻も、ぷるぷるとした赤い唇もみんな大好きだ。


 顔が嫌いだから別れる? そんなことあるわけがない!


「じゃ、じゃあ、体型? もっとマッチョなガテン系が好きだとか? それとも、ひょっとしてじつはデブ専だったとか? なんだ、そうと知ってればもっと暴飲暴食して太ったのにぃ……」


「ちょ、ちょっと待って! 誰もマッチョ好きでもデブ専でもないって! スタイルからしても、あなたの一見細身だけど、脱ぐとやや細マッチョよりの中肉中背な体型は理想的だよ? お肉も柔らかすぎず、硬すぎず……今すぐにでもかぶりつきたいくらい」


 次には体型で嫌われたことを疑い、なんだか勝手に決めつけて悔しがる少々暴走気味な彼を慌てて制すると、それについても間違っていることを懇切丁寧に説明してあげる……のだったが。


「かぶりつきたい?」


 思わず口を突いて出たわたしのその一言に、彼は訝しげな顔をして小首を傾げている。


「うん。でも、体型は確かに別れるのを考えさせた一番の理由かな? その体型が嫌いだからじゃなく、逆にかぶりつきたいくらいに大好きだから、嫌いなとこができちゃったっていうか……」


 うっかり本音が漏れてしまったが、ま、別に隠すつもりもなかったので別にかまわない。


 ちゃんとそのことを説明しなければ彼も納得してくれないだろうし、わたしとしても、この際だから、最後に声を大にして言っておきたくもある。


「あのお……言ってることがまったくもってわからないんですが……」


「だからぁ、かぶりつきたくて仕方ないのに、かぶりつかせてくれない・・・・・・・・・・・のが唯一あなたの嫌いなところなの!」


 ますます訝しげに眉間に皺を寄せ、おそるおそる尋ねる彼にわたしはとうとう本質に迫る直接的なその理由を答えた。


「か、かぶりつかせて……くれない?」


「そう! いつもそうだったでしょう? こんなに大好きなのに甘嚙みしようとすると逃げるし、キスの時だって、舌を噛もうとすると嫌がってキスしてくれなくなるしさ……」


 オウム返しに再び訊いてくる彼に、わたしはこれまでのことを思い出しながら口を尖らせ、堰を切ったように愚痴を零し始める。


「え、いや、だって、あれは甘嚙みってレベルじゃないでしょう? ものすごく痛いし、見れば歯形がくっきりついてるし、キスだって舌噛み切られそうな勢いだったよ!?」


「だってそうしなきゃ血が出ないじゃん! 血が出なきゃ舐められないし、本当ならそのまま肉を喰いちぎりたいところなんだからね!」


 言い訳を口にする彼に、わたしも思わず感情的になって声を荒くする。


「え? ……え、え、ちょっと何言っちゃってるの? 普通に聞いたらなんか言ってること怖いよ? そのままの意味で取ったらとってもサイコだよ?」


「そのままも何もそのままの意味だよ! わたしはあなたのことが食べたいのにぜんぜん食べさせてくれないじゃん! そこが一つだけ…だけど、どうしても我慢できないあなたの嫌いなとこなの!」


「え、ええええぇぇぇ~っ!」


 わたしの言葉を理解できず、焦り出す彼にストレートな物言いでそう告白すると、彼は素っ頓狂な驚きの声を閑静な喫茶店内の隅々にまで響かせた。


「もう無理! もう我慢できない! こうしてあなたを見るたびに食べたくなって仕方がないの! 今だってすぐにでもかぶりつきたい! でも、そうはさせてくれないでしょう? だから、あなたを見るたびに辛くなるから別れる決心をしたんだよ!」


 震える瞳を大きく見開いてわたしを見つめ、驚愕の表情を浮かべる彼にわたしはさらに本心を続けて告げる。


「い、いや、あれはそういう性癖なのかと思ってたけど……まさか、性癖じゃなくて、つまり、食癖ってこと……?」


「…グスン……それともぉ…ひっく……別れる代わりにぃ…グスン……小指の先だけでいいから齧らせてくれる?」


 こうして言葉にすると、大好きな彼と別れなければならないという現実を改めてリアルに認識することとなり、感情の昂りに鼻をすすりながら、動揺する彼に涙目で一縷の望みを託して私が尋ね返したその時。


「お待たせしました〜。こちら、ハムカツサンドのパン抜き…つまり、ただのハムカツになりまーす」


 カワいらしい顔をした学生バイト君が、注文しておいた常連だからできるカスタマイズ・スペシャルメニューを空気読まずに運んで来た。


「じゅるり……」


 それまでに充分に食欲を刺激されていたわたしは、その美味しそうにカラっと揚げられた厚切りの肉片を見ると無意識に涎が垂れてきて、図らずも人目を憚らずに舌舐めずりをしてしまう。


「うん。そうだね。やっぱり僕達、今、ここで、きっぱりと別れよう。絶対。何か起こる前に確実に……」


 そんなわたしを、蛇に睨まれた蛙のような、あるいは猫に追い詰められた鼠のように血走った真剣な眼差しでじっと見据え、今度は彼の方から力強い声で別れを切り出した。


                         (好きだけど… 了)

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好きだけど… 平中なごん @HiranakaNagon

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