第6話 安楽死の是か非か

先頃。某国営的公共放送局が密着特集番組として問題を提起して、様々な意見が飛び交っていることでしょう。

安楽死。

自殺はいけないことで、安楽死は。

医療関係者や介護関係者には、すぐに、私達だって、明日はどうなるのかわからないと言う方々が多いです。

その通りですよ。

交通事故で命を落とす可能性だってないわけではありません。

災害に巻き込まれて、命を落とすことだって、あるのかもしれません。

でも、そんな確率ってどれくらいあるのでしょう。

自分の意思では、身体が動かせなくなることが、どれほどの恐怖かすらわかっていないのでしょう。

考えてみて下さい。

病気の進行にしたがって、動かせなくなっていく身体。

車イスに座れているうちはまだ良いでしょう。

そのうち、どんどん、ベッド上で過ごす時間が長くなって、寝ているこ時間が長くなる。

もちろん、寝返りなどは、できるはずもなく。

いわゆる寝たきり。

そうこうするうちに、しゃべることもできなくなって、食べることもできなくなります。

指の1本すら動かせない。

気管を切開して、人工呼吸器を接続される。

胃に穴を空けて、チューブで流動食を流し込まれて、ベッド上で排泄して、排泄した感覚もなくなって、定期的に紙オムツを交換してもらって生活するのです。

人間としての、尊厳もへったくれもなくなってしまいます。

その恐怖が、どれほどのものなのか。

その苦しみが、どれほどのものなのか、わかっておられない医療関係者や介護関係者が、いかに多いのでしょうか。

もちろん、だからといって安楽死が良いとは思えません。

寝たきりにならない努力をして、病気の進行を遅らせる努力をして、自力である程度の楽しみを確保する努力をするべきと、筆者は考えております。

人間の尊厳などということは、それをとことん護る努力をした者にだけ許されることと思っています。

まずは生きろです。

とにかく生きて、しがみついて生きて、それでも苦しみとしんどさが緩やかにならない人だけが、安楽死を考えることを許されるのではないのかと。

現在、日本は安楽死を認めていません。

進行した特定難病の患者には、自殺は無理でしょう。

飛び降りるために、ビルの屋上には上がれません。

もし、上がれたとしても、必ず設置されている、段差や転落防止のフェンスを乗り越えることができません。

頸動脈を切れるほどの力は、残っていません。

頸動脈は、人体のかなり深いところを通っていますが、そんなに深くまで刃物をさせるほどの腕力は特定難病患者には残っていません。

首吊りのヒモを、どこかに結べるほど手指が動きません。

練炭に、着火するライターのスイッチが押せません。

というわけで、特定難病患者には、死を選択するなら、安楽死しか選択肢がありません。

しかし、日本の国は、安楽死が選択肢には入っていません。

日本人が、安楽死を選ぶためには、海外の、それも外国人の安楽死を受け入れる施設があること。

それは、世界中でスイスにしかありません。

では、日本人がスイスで安楽死するために必要なことや物を考えてみましょう。

民間団体ですので、入会金と最低限の会費です。

これが、約50万円

スイスまでの渡航費と滞在中の宿泊費用が、50万円以上。

安楽死する病院の費用が50万円以上。

総額約150万円以上はかかってしまいます。

いくら、病院での安楽死と言えど、安楽死は自殺行為とされていますので、安楽死担当医は自殺幇助の犯人にされてしまいます。

罪に問われないように、現地警察への、事前説明と承諾を取る必要があります。

スイスですから、ドイツ語又はフランス語が話せること。

又は、英語ですが、かなり堪能、ネイティブレベルの堪能さで話せることが必要です。

ただし、これは、患者が1人でスイスまで渡航する場合ですが、残念ながら、特定難病患者に、そんな力が残っているはずはなく、必ず同行する人が必要と思われます。

同行者は帰国する費用も必要ですので、その分も渡航費がかかってしまいます。

もちろん、スイス人と同じ安楽死に相当するという条件をクリアする必要があります。

日本人には、かなり高い壁と言わざるを得ません。

現時点では、安楽死は現実的とは言い難いのです。

ましてや、患者本人はそれで良いのかもしれませんが、残される、人々の気持ちはどうなるのでしょう。

特定難病患者だからといって、患者1人で生きてきたわけではありません。

たしかに、特定難病患者は死亡するまでに、苦しみ抜きます。

患者が死亡するまでを、それこそ必死で介護しているのです。

急速に、弱っていく患者を、見ているのです。

患者が死亡した後。

やり残したことを探して。

やれることなどないのをわかっているはずなのに、後悔するのです。

特定難病は、本気で進行を遅らせる努力をすれば、最低でも、20年以上、ある程度の自由を確保できるはずです。

筆者は、30代の終わりの発症です。

はっきりと、症状を自覚したのが40歳になる年でした。

すでに還暦に手が届きます。

60歳といえば、もちろん元気な人の方が多いですが、すでに何人かの同級生がいなくなっております。

球脊髄性筋萎縮症は、特定難病の中でも重症に分類される疾患ですが。

それでも、20年や30年は、自由な行動を確保できるはずなんです。

球脊髄性筋萎縮症の発症は、30代後半から60代前半の男性のみです。

小学生の歴史で学ぶと思いますが、戦国大名の織田信長は、出陣する時に。

『人間50年、華展のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり。』と歌い踊ったと伝えられています。

人間50年です。

昭和の中頃、第二次世界大戦直後ぐらいまでは、そうだったと思います。

現在でも、男性の平均寿命は、80そこそこの日本人。

70代まで元気な人が、どれほどおられるんでしょう。

60代前半では、急速に動けなくなっていきます。

発症したからと言って、悲観的になる必要が、どこにあるんでしょう。

発症してから、平均15年ぐらいで車イス生活になります。

もちろん不便です。

しかし、工夫することで、ほとんど自由に動けます。

60歳にもなれば、健常者でも、できなくなることがあります。

そんな程度のことで、いちいち悲観的になっているようでは、長生きしても、値打ちが半減しませんか。

自分の人生、もっともっと楽しみませんか。

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