9章 偽りの花と終生の後悔

山道

 リスタルシアから初めてカルラーク大陸に渡った冒険家カレイド=スカーペは西部地方をこのように喩えていた。

『海の果てがないことはこの俺が証明してみせた。しかし、カルラークの西大陸は我らが王の懐の如く広かった。あれほど海に恋焦がれた時期はなかったね』


 カレイドが西の果てを目指して歩き、彷徨いながら西端に辿り着くのに20年を費やした。

 結果、彼は中央のカトレア王国に戻った頃には祖国に帰る元気もなく、余生を過ごした。


「まあ、当時は道すら舗装されてなかったからね。迷うのも仕方ない」


 本を片手に山道を歩く少女サラ=メルティアは、誰に言うでもなく独り言を呟いた。

 それを聞くのはただ一匹。

 ドラゴン、現在は彼女の首にかかる水晶である使い魔のリューは答える。


『前を向いて歩け。さっき転んだばかりではないか』

「これは古書店で見つけた年代物だよ。知識欲の権化である魔法使いがそう簡単に閉じられるものかっ」


 普段は荷物が増えるからと滅多に本を買わない。せいぜい本屋の前で立ち読みをする程度だった。

 しかし、彼女の見つけたそれは千年戦争よりも前に刷られた《カレイド=スカーペの旅路録》という幻の古本。


 見つけた時の彼女は数日ぶりの食事を摂る獣が如く勢いで飛びつき、なんら躊躇いなく路銀を叩いた。


 物の価値がわかる者同士は共鳴し、その本屋の店主とカレイド=スカーペについて延々と話し込んでは、リューの退屈を大幅に加速させた。


『寝る前にゆっくり読めばよかろう』

「いや、そういうわけには……」


 いい加減にしろ。そうリューが言いかけたところで、サラの足に違和感が走る。

 明らかに地面の感触ではない。草のような柔らかさもない。

 まるで生き物でも踏んだかのような。


 足下を確認すると、そこには――ぐったりと横たわった人間がいた。


 慌てて足を退けるが反応はない。サラはおそるおそる様子を窺う。

 背丈や体格を見るに男性。白髪交じりの頭としわの目立つ手からして壮年か。

 僅かに肩が動いているので死んではいないみたいだ。


「あ、あの。大丈夫?」


 返事はない。否、返事をする余裕もないらしい。

 目こそ薄く開いてはいるが、無気力に開いた口は半分地面を食べるようにうつ伏せの男を覗き込む。


「行き倒れか」


 珍しい話でもない。旅人が突然姿を消すとしたら魔獣に襲われるか、飢えて朽ち果てるかが多い。

 サラは魔法使いという性質と、豊富な野草の知識もあって飢えることはまずない。

 しかし、そのような知識もなく勢い任せの旅を始める人間は、大抵飢えに屈する。


「仕方ない。ちょっと重いけど……」


 サラは男の両足を掴み、痛そうではあるが男を引きずって動かす。それにリューは不機嫌そうに問うた。


『別に助ける必要はなかろう』

「私だって他の旅人から食料を恵んでもらったり、馬車に乗せてもらうこともある。何事も助け合いだよ」

『お人好しめ』


 日は山の影に隠れ始めている。こういった人気のない山には魔獣が住んでいるに違いない。

 このまま見殺しにもできないと、サラは男を引きずって広場を探した。





 焚火のパチパチと燃え跳ねる音の中に、僅かに布の擦れる音がする。

 寝かせていた男の方を見ると目を開けていた。彼はぼんやりとサラを見つめ、静かに呟いた。


「ここは」

「気がついたんだね。魔獣は火を嫌うから、ここは安全だよ」


 サラが答えると、男はゆっくりと起き上がって辺りを見回す。

 結局男一人を荷物ごと引きずるのは難しく、近くの適当な開けたところを選んだ。


 男は空腹でかなり顔色は悪いが、こうして動く程度には回復したようでひとまず安心した。


「君は山道のど真ん中で倒れていたんだ。覚えてる?」

「……あ、ああ。助かったよ、ありがとう」


 男はじっとサラを覗き込んだかと思えば、はっとして掠れた声で感謝の言葉を述べた。

 彼女もまたリュー以外の人と話すのは久しぶりで、上手く言葉が出てこない。

 ひとまず焚火で煮ていた汁物をよそって差し出した。


「いいのか?」

「君も旅人でしょ。こういうときは助け合い」


 遠慮がちながらも男はお椀を受け取り、ゆっくりと口に運ぶ。ほっと一息を吐くと、徐々に表情は和らいでいった。

 弾んだ声で彼は問うた。


「随分若い旅人だな。どこから来たんだ?」

「クウルという中央の都市」

「中央……随分遠いところから来たもんだ」


 ここは西部の辺境。あまり人口も多くないことから商業馬車キャラバンも滅多に通らない。

 そんな場所を訪れる人間など、物好きの旅人か浮浪者くらいだろう。サラはあくまで前者だが。


「私はサラ。旅人」

「ご丁寧にどうも。俺はモウグリ、しがないさ」


 賞金稼ぎという言葉に、サラは眉間にしわを寄せる。

 というのも、旅人と賞金稼ぎとでは大きな違いがある。


 主に目的もなく各地を歩き回るのが旅人するなら、賞金稼ぎは金になる罪人を追いかけて捕まえる。

 殺すことも厭わない粗暴な集団……と、サラは認識している。


「一人でやってるんだ」

「昔は仲間もいたさ。最近引退して故郷に帰る途中でよ、早く村に帰って俺の武勇伝を語ってやりてぇよ」


 自慢げに語るモウグリ。対するサラは疑念の目を強めていた。

 サラは人を殺すことを由としない。師匠の教えに従い、また彼女自身も争いを好まない。

 ゆえに彼のような殺しを生業とする人間を理解するのは困難を極める。

 リューは『愚かだな』と念話で呟くが、当然彼には聞こえない。


「いろんな奴がいたさ。盗賊、傭兵殺し……中でも魔法使いは超大物。一人捕まえるか首を差し出せば、国から一生遊んで暮らせるだけの金が手に入る」

「おじさんは魔法使いに会ったことがあるの?」


 至って平坦な声色で、純粋な疑問としてぶつけた。

 男の顔色は、一度確かに暗さが垣間見えた。なにか思うところがあるのだろうか、サラは失言だったかと躊躇う。

 しかし、男はまた薄く笑った。


「……ああ、あるよ。俺が殺した」


 


 

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