情報交換

 カルラーク大陸最高峰と呼ばれるロウテッド山脈、その麓町に、サラ=メルティアは足を運んでいた。


 黒く伸びた髪は、純白のワンピースと黒のローブの間に隠れている。

 鮮やかな青色をした水晶を首にかけ、麻色の大きな鞄を背負い、人はそう多くないが活気ある市場を歩む。


 目的の場所はここから一つの山を登り、その最中にある温泉街だ。

 カルラークという広大な大陸で1・2を争う山を間近に見てみたいのはもちろんのこと、地中から湧いてきた湯に浸かる、という文化にも興味がある。


「ねえリュー。私は、運がいい方だと思うんだ」


 そして今、焼きたてのパンを片手に、サラは何の前触れもなく語る。

 サラの首にぶら下がるドラゴン、現在は水晶の形をした使い魔のリューは適当に相槌を打つ。


『なんの話だ?』

「私がこの町に着いて、目的もなくふらふらしていたら、たまたま通りかかったパン屋で焼きたてが出てくる。これは一種の運命なのかもしれないね」


 ふふんと顔を緩ませるサラはいつになく上機嫌で、まだ素手で触れば火傷するほどのパンを頬張る。

 機嫌がいいときのサラはなにかとリューに突っかかってくるために無視することが多かった。今回も例外ではない。


「それに、ときどき思うんだ。もし私がアリアに出会えなかったらって。……だから、私は運がいい」

『……そうだな』


 ふとしたときに、いつも思い出すのは最愛の師の影。

 すべてを失ったサラに手を差し伸べ、生きる道を与えてくれた彼女を忘れることはできない。


 もし彼女と会っていなければ。考えるだけでぞっとする。

 こうした平和な日常にこそ、彼女の影を探してしまう。


 再び町を歩き、今度は山の最中にあるという町の情報を探っていた。情報収集は人の集まる場所。かつどの町にも共通してある場所といえば、やはり食事処だ。

 道すがらにあった適当な店に入ると、そこにはやはりたくさんの人が溢れ返っていた。

 

 木造の温かみのある内装。今にも崩れてしまいそうな不安こそあるものの、中にいる人たちの活気で、さほど気にはならなかった。


 店の奥に位置するカウンター目指して歩いていくと、なにやらサラへと近づく影が一つ。


「なにか?」

「いや、同業者かなと思ってね。まあそう警戒しないで」


 冷たくあしらおうとするサラに待ったをかけたのは、ひょろりとした体躯の男性。その後ろからは、男女が愉快に酒を煽っているテーブルから猛烈に手を振られる。

 関わりたくないのが本音で、サラは一層眉間にしわを寄せる。


「同業者って?」

「僕らはカルラークを巡ってる商業馬車キャラバンなんだ。もし旅人だったら、情報交換でもしたいなと思って」

「かわいこちゃん、こっちおいでー」


 昼から酒を飲んでいるような人間たちとまともな情報交換が成立するだろうか。

 しかし、旅をしている者同士の情報は有益であることも重々承知している。


「よければご馳走もするから。あ、お酒も出すよ?」

「……食べ終わったらすぐに帰る、でよければ」


 男は背後のテーブルに親指を立て、サラの背中を押して誘導した。

 為されるがままに席に座らされると、次は酒臭い大人たちがずいっと寄ってくる。


「ほんとに旅人? やだかわいいー」

「ちっこいのに偉いなー。ほれ、酒飲むか、酒」


 柔らかい頬をつついて笑う者。黒く伸びた髪を珍しそうに触れる者。目の前に泡立ったジョッキを置く者。

 反応はさまざまだが、サラの眉間のしわはまだ消えない。それどころかだんだんと深くなっていく。

 賑やかな空間が苦手、さらに酒気を帯びた人との関わりはさらに苦手な彼女にとって、この状況は拷問でしかなかった。


 つい食事代に釣られてしまったが、既に帰りたい気持ちでいっぱいになっている。

 伸びてくる手を払い除け、呼んだ張本人を睨みつける。


「私は情報交換に来たんだが」

「ご、ごめんね。ほらお前ら、嫌がってるだろ!」


 男が一喝すると、やや不満げに自分の席へと戻る。おそらく彼がこの中の長なのだとサラは推測する。

 こういった席に招き、酒を飲ませて寝かしつけてから金品を奪う。そういった集団を警戒していたが、どうやらただ陽気な集団のようで、ひとまず安心した。


「ご飯は何にする? ここなら地鶏を使った料理がおすすめだよ」

「ではそれで。あと紅茶をひとつ」


 よし、と男は頷き、近くの店員を呼び止める。

 その最中、スキンヘッドのガタイのいい男がサラに問うた。


「じゃあ情報交換といこうか。なにかオイシイ話でもないかい?」

「……私が通ってきたエーゲルだけど、今年は麦が豊作だったらしい。買い付けるにはいいかも。その前のカルタカルでは薬草が高く売れたよ。物によるけど、一掴みで銀貨7枚くらい」


 ほう、と男が含みある笑みを浮かべる。どういう意図があるのか首を傾げていると、金髪の女性が答える。


「薬草はたんまりあるんだわ、助かるよ。それより、ちゃんと情報集めしてて偉いね。旅人は麦の値段とか見てないかと思ったよ」


 また頭を撫でられ、サラは不満そうに頬を膨らませる。そうこうしているうちに頼んだ食事が運ばれてくる。

 湯気の立つ地鶏はひと口大に切られており、香草の匂いが食欲をそそる。やや重いかもしれないが、既に食べてみたいという欲求の方が勝っていた。

 さきほどまでの不機嫌はどこへやら、さっそく地鶏を口へと運ぶ。


 サラはどちらかというと野菜を好み、肉への執着はあまりない。しかし、この料理は美味しいと、一口でわかった。

 柔らかい肉質は歯ごたえも程々に、たっぷりと蓄えられた肉汁と香草のさっぱりとした味わいが口いっぱいに広がる。


「うまいか? うまいだろ」

「まだ子どもなんだから、お姉さんたちに甘えていいのよ?」


 これがタダとなると、さきほどまで鬱陶しいでしかなかったキャラバンの人たちが、急にいい人に見えてくる。

 サラとはそんな現金な少女だった。


 ――食後の紅茶を嗜みつつ、サラは肝心の情報を引き出そうと話を振る。


「情報が欲しい。これからこの山の中腹にある町に行きたいと思っていたんだ」


 そう口にすると、男たちの顔色が急激に曇る。

 情報を出し渋っているようではなく、なにか言いづらそうな雰囲気を出していた。

 それぞれが顔色を窺っていると、口を開いたのは長らしき男。


「これは僕たちもさっき聞いた話なんだけど、その町、今は封鎖されてるらしい」

「封鎖?」


 道路の封鎖ならよくある話で、山にある町とあれば、崖崩れなどで封鎖されてしまってもおかしくはないのかもしれない。

 男は続ける。


「それもただの封鎖じゃないんだ。町を中心に濃い霧が発生して、登るのは危険。僕たちも行こうと思ってたんだけど……そんなリスクは背負いたくない」

「町の人たちは大丈夫なの?」


 サラの問いかけに対して、男は首を横に振る。


「それもわからない。連絡手段がないから、調査員が向かったらしいんだけど……」

「アレじゃねーの。噂の魔法使い」


 魔法使い、という単語にサラの肩が微弱に震える。自分の話ではないとわかっているものの、不意に耳に入ると驚いてしまう。

 あまりいい話ではなかったらしく、周りの仲間たちがはっとして、口元を無理やり塞いでいる。

 平静を保つべく、サラは話を聞き出そうと口を開く。


「魔法使いは、もうこの世にいないって聞いたんだけど」

「そういうけどな。そういや前にクウルで見つかったとか言ってたし、案外いるのかもな」


 思わず拳に力が入る。表情を崩さぬよう、自身の太ももを摘まんで理性を保とうと奮闘する。


「バロン村ってところがあるんだけど。この町の東ね。そこが数日前、一日にして村人が消えたらしいの」

「消えた? 滅んだ、じゃなくて」


 サラがそう問うと、今度は女性が答えた。


「うちらもそこに寄ったんだけど、村人が誰一人としていなくなってたのよ。争った形跡も残ってないし、こんなの有り得ないでしょ?」


 酒気を帯びていたはずの彼らは一転、真剣な面持ちに変わっている。

 当のサラに聞き覚えこそないものの、一抹の不安を感じ取っていた。


 確かに、サラ以外の魔法使いがいることは知っている。その全員が穏やかな性格とは限らない。

 彼女もまた、アリアではない誰かに拾われていたら、そうなっていたのかもしれない。

 もしその噂が本当だとしたら――


「情報ありがとう。明日、その町に行くよ」

「本当かい? あまり妨害はしたくないけれど、今は止めた方が」

「大丈夫。忠告ありがとう」


 同じ魔法使いとして、滅びをもたらすのならば、できる範囲で止めなければならない。

 そうしてサラは、山の中腹にある町へ向かうことを決意した。

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