霧の町
翌朝、サラは日が出ると同時に目を覚ます。
宿を出ると、まだ人だかりの少ない路地には店を開く準備をする者や、馬車で到着したばかりであろうぐったりした商人などが目に映る。
それを眺めながら、サラは登山の入り口に立ちかかったところ。道の前に、軽装備をした男がサラを阻んだ。
「すみません。こちらは今通れなくて」
「危険なのは承知の上だ。問題ない」
「いやしかし……」
渋る男を前に、サラは、やはりと思った。
昨日、去る前にキャラバンの男が言っていた。
もしかすると、安全を考慮して通れないようになっているかもしれない、と。
その勘は的中した。同時に、サラにあるものを渡してくれた。
「そ、それは……通商手形ですか」
見せれば通してもらえると言っていた。サラが知らなくとも、見ればわかる。
サラはよくわからないも、適当に首を縦に振った。すると男は端に避け、咳払いを一つする。
「商会ならば仕方ありません。しかし、危険などについてはこちらも責任を持ち兼ねます。くれぐれもご注意を」
「ありがとう。気を付けるよ」
そのままサラは登山の道に入り、ようやくリューが口を開いた。
『今のところ、その気配はないな』
「そうだね」
まだ山を登り始めたばかりだが、今のところ魔法使いの気配はない。同時に、生命の気配も感じ取れない。
嫌な予感ばかりが、広がっていく。
――気が付けば、見渡す限りの白景色。雪のような冷たさもなく、湿度の高いじっとりとした嫌な暑さがサラの肌に触れる。
気温は特別高くもないものの、全身からじわりと汗が滲む。
額に張り付く黒の前髪を鬱陶しそうに掻き分けつつ、淡々と急な上り坂を踏み締める。
「はぁ……はぁ、本当にあるのか。こんなところに町なんて」
そんな見切りで始めた登山だったのだが、予想以上の霧の濃さと標高の高さ。
小柄で特別丈夫でもないサラは息も絶えそうになりながら、適度な岩を見つけて腰を据えた。
サラよりも大きく幅のある麻色のカバンを地面に落とし、大きく息を吐いた。
「今更引き返すのにも労力だし、どうしよう」
『町ならすぐそこにあるではないか。我の目には見えるぞ』
リューはそう言うが、彼女の目にはその姿を見出すことができない。
ドラゴンほどの強力な視力は持っていないが、空気中に漂うマナを通してさまざまなものを見通すことができる。
だからそれはリューの冗談で、妄言なのだと重い息を吐いた。それを感じ取ったリューは何故か、心底不思議そうな声色で問い返した。
『何を言っている。本当にすぐそこにあるぞ』
「えっ」
荷物を背負って少し歩く。すると夢だったかのように霧は薄くなり、高くそびえ立つ扉のない門が目の前に現れる。
そこになんら違和感はなく、まるで最初からあったかのように立ちはだかっている。
サラは目を擦ってもう一度確認する。が、そこには確かに門と、その先には建物の風景が見えた。
「まさか、幻術のような仕掛けがある気配もないし……何より、ここはおかしい」
門構えだけ見れば如何にも町があるように見える。しかし、その在り方には拭いきれない違和感しかない。
町の門ともなれば、田舎といえど門番の一人や二人いるはず。
しかしそこには門番どころか、生命の気配すらもない。あまりに静かすぎるのだ。
「行ってみよう」
サラは門を潜り、中の様子を窺うように歩く。
入り口に敷かれた石畳の大通り。それを囲うように並び立つ出店のような小屋。人が多く集うであろう銅像が中央に置かれた広場。
ふらふらと町を歩き回る。しかし歩けば歩くほど静寂は増していくようで、違和感は確信へと変わっていく。
昨日から続いていた嫌な予感は、現実へと昇華されてしまった。
「どうやらこの町は、本当に滅びているらしい」
『全員死んだのか』
「だとしてもおかしいんだ。どこにも死体がないし、むしろ最近まで誰かがいたような痕跡すらある。それにもう一つ、あるはずのものがないんだ」
ぐるりと街を一望し、サラは見晴らしのいい丘の上へと昇る。
霧がかかってはっきりとは見えない。動いている影も見当たらず、不気味に風の音のみが吹き抜ける。
『もったいぶらずに話せ』
「争った形跡がどこにもない。連れ去られるにしても、それほど大きな馬車が通れば跡は残るし、抵抗すれば建物くらい壊れていてもおかしくない」
これではまるで、霧のように消えてなくなったようだ。そう言おうとして、口を噤んだ。
そんなことをできるのは、ドラゴンや妖精といった上位生物。もしくは……人外の奇跡、魔法を扱える、魔法使いくらいだ。
昨日聞いた噂が、頭を過ぎる。
そんなはずはない。そう信じたいサラだが、この光景は聞いた話と酷似しすぎていた。
ともあれ、どう考えてもこの町の在り方は歪だ。
丘を下り、今度は住宅街らしき通りを歩く。
熱を振り撒く温泉はそこかしこにあったが、そこに浸かる人も、管理する人すら見当たらない。
『入るか?』
「流石に、この状況では落ち着かないな」
軽口を叩きながら町を一周したものの、やはり人はいなかった。
『誰もいなかったな。もう帰るか?』
「いや……今から山を下りる体力はない。今日はここに泊まろうと思う」
今にも地面に倒れそうな面持ちで、揺れる頭をなんとか維持しながら、寝れそうな建物を探した。
外装を見ても、破損のある建物は一つとして見当たらない。昨日までここに誰かがいたといっても不思議ではない。
店先に置いてあった宿の看板を見て、サラは吸い込まれるように中へと入っていく。
やはり室内にも人はおらず、しかし清潔な受付がある。
いよいよそれに何かを考えることもなくなり、テーブルに銀貨を五枚置き、開けっ放しの部屋に入る。
荷物を放り投げ、綺麗に整えられたベッドに飛び込んだ。
陽光に当たっていないのもあってか冷たい。しかし異臭や人間の匂いはなく、肌触りもいい。大きな都市にあればそれなりの値段はするだろう。
サラの大好きなふかふかのベッド、だがこれだけの異質な環境に身を置いていることで、心が休まらない。
そんな言葉とは裏腹に欠伸をするサラ。ここまでほぼ止まらずに登山をし、さらに街を練り歩いていたのだ。精神的にも肉体的にも疲れないはずもない。
難しいことを考えるには余裕がない。
ひとまず誰もいない宿のベッドを一つ借りて、しばしの眠りについた。
……
…………
……どれだけ眠っていたのだろうか。瞼を開けるのが億劫になるほど眩しい日差しが差し込み、布団の中に頭を埋める。
外からは騒がしい、人々の活気に溢れた声が響いている。不快ではないが、寝ボケた頭には重い。
「人の、声?」
寝る前の記憶と現在の光景、そこに決定的な差があることに気が付き、慌てて窓を開けた。
すると、そこには普通の街の姿があった。
幻覚を見ているのか、はたまた夢の中から出てこれていないのか。
確かにここは廃墟だった。人の姿も見当たらない、町全体が死んでしまったとすら思える風景だったはずだ。
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