たとえ孤独だとしても
目の前の光景が嘘のようで、サラは強く目を擦る。
だが映るものが変わるはずもなく、サラの奇妙な行動にアリアは首を傾げた。
「サラ、さっきから変よ。風邪でも引いた?」
「い、いや。なんでもないよ。すぐ調合するから待ってて」
さきほどまでのエデンの過去は、形を取らず俯瞰するように見ていたが、今回は憑依……というより、そのまま時間だけが戻ったとすら感じる。
身体にはきちんと色があり、机に触れてみると、ざらざらとした木目の感触が肌に伝わる。
目に映る景色、サラが暮らしていたこの家は寸分違わず再現されている。
部屋を出ていくアリアの後ろ姿は、本当にそこにいるような生命の気配を感じた。
『どうだい。久々の再会は』
「……これは夢?」
どこからともなく現れた半透明のエデンに、サラは目を細めて問うた。
彼は窓際に置かれた椅子に腰かけ、答える。
『夢、とは少し違うかな。確かにこれは過去の記憶だけど、君の行動次第で変わる世界、とでもいうべきかな』
「よくわからない。ねえ、リューは……リュー?」
いつも首にぶらさがっているはずの水晶の首飾りは、忽然と姿を消していた。
あたりを探してみるが、その気配すら感知できず、言い難い不安に襲われる。
『大丈夫。いなくなったわけじゃないよ。でも、この時の君はまだ彼に会っていないだろう』
リューとまだ出会っていない世界。まだアリアがいて、この家で暮らしていた時間。
なるほど、とサラはどこか腑に落ちたように頷く。
だが、ここで何をしても現実が変わるわけでもないことも、サラは理解する。
「わかってる。これは夢で、意味なんてない」
慣れた手順で薬の調合を終え、居間へと足を向ける。
本を片手に待っていたアリア。優しく微笑みかける彼女を、サラはつい呆然と眺めてしまう。
家の中で稀に見せる銀色の髪は、年齢を感じさせないものがある。
見慣れていたつもりだったが、改めて見るとやはり美しい人だ。
「……アリアは、綺麗だね」
思わずサラの口から零れた言葉に、凛々しい表情から一転きょとんとしたものに移ろう。
この頃であれば、サラはまず彼女を名前で呼ばなかった。恥ずかしいからと、止められていた。
至って真剣な表情のサラを見つめ、やがていつもの柔らかな笑みを浮かべ、頭をそっと撫でる。
「もう、今日は本当にどうしたの? 変な子ね」
これは夢だ。誰かの作ったアリアであることは間違いない。
けれどその姿は、表情は、仕草はあまりに自然で、気を抜けばここが現実なのだと錯覚しそうになってしまう。
あまりにも、居心地が良すぎるのだ。
「さ、今日は私が料理当番ね。少し待っててね」
ソファーに座り、懐かしい植物の本を読みながらアリアの背中を見つめる。
確かこの日はとてもいい鶏肉が手に入り、上機嫌だった。鼻歌交じりに料理をする彼女の姿。
見ていると心地いいはずなのに、視界の端にエデンが映るたび、胸がちくりと痛む。
アリアの声が聞こえるたび、目を見るたびに、これが夢だと信じたくなる。
同時に思い知らされる。
サラは旅を続けて、孤独と向き合い、多くの人に出会ってきた。たくさんの経験をして、強くなったのだと思っていた。
しかしまだ、アリアの影の中から出られていないのだと。
「……今日、一緒に寝ていい?」
枕を抱えてやってきたサラ。予想などしていたはずもなく、アリアは落ちかけていた瞼を大きく開けた。
上ずった声で、様子のおかしなサラへと歩み寄る。
「サラ。本当にどうしたの? 具合が悪いのかしら?」
「ううん。少し怖い夢を見ただけ」
すべてを話したところで、アリアはきっと信じてはくれない。
信じたとして、アリアはどうするのだろう。せっかくまた会えたというのに、サラはそのことばかり考えている。
懐かしく愛おしいはずのこの家も、アリアの手料理すらも、どこか乾いた空気が取れない。
アリアのベッドへと潜り込み、サラは顔を埋める。
何を言うでもなく、ただそこに感じる温もりに浸っていると、アリアはくすっと笑みを零した。
「どうしたの?」
「ううん。少し昔を思い出してね。ここに来たばかりのサラは、こうして寝かしつけてたわ」
「……覚えてない」
本当? と呟き、サラの頭を撫でる。
サラの記憶が正しければ、このときこうして一緒に寝ることはなかった。
現実ではないとはいえ、こうしてまた話せることに、サラは少しずつ素直な喜びを感じていた。
それが形となって、もやもやしていた気持ちが、少しずつ声となって漏れ出していく。
「アリアが、どこか遠くに行っちゃう夢を見た。私は一人になって、居場所を探してて」
神妙に話すサラを見て、アリアは黙って話を聞いていた。
「その中で、私は強くなったんだと思っていた。孤独に慣れて、たくさんの場所に行って……それでも、アリアがいないと、寂しかった」
アリアの腰に手を回し、温かい身体を全身で感じる。
旅に出てから一度として得ることのなかった、人の温もり。
止まってしまいたい。もう、終わりにしてしまいたい。そんな気持ちが膨れ上がってしまう。
ようやくアリアが、口を開く。
「そうよね。私がいないと、サラは悲しむわよね」
「……うん」
「でもね、いつか必ず、一緒にいられなくなる時は来るわ」
はっとしてアリアの瞳を覗き込む。
深く吸い込まれそうな、澄んだ藍色の瞳には、今にも泣きそうなサラの表情が映る。
サラの頭を強く抱きしめ、アリアは震えた声で言う。
「魔法使いは長く生きられるけれど、ある日突然死ぬかもしれない。それがいつかはわからないし、それらすべてを避けられたとしても、寿命が先に尽きるのは私だから」
息が苦しい。
それは彼女に圧迫されているからだけではない。ここに来たときから感じていた、胸にひっかかったなにかが、暴れ出すようだった。
「すぐじゃなくてもいいの。サラが少しだけ強くなって、私がいなくなっても笑って過ごせるようになってほしい。傲慢かしら?」
「そんなことない。そんなこと……」
サラは知っている。
この後、アリアがどんな事態に遭遇し、どんな末路を辿るのか。
サラとアリアに残された時間が少ないことを、知っている。
今のアリアはきっと、何も知らない。
だからその言葉が、余計にサラの首を絞めて離さない。
どんな結末を見れば、満足できるのだろう。どうすれば前に進めるのだろう。
温かなベッドとアリアの温もりに包まれて、徐々に意識を落としていった。
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