言えないこと
目を閉じて開くと、次の日はすぐにやってきた。
隣にもうアリアはおらず、サラはゆっくりと起き上がる。
カーテンの隙間から見える空は、どんよりと曇っていて、今にも降り出しそうだった。
この景色は少し違うけれど、何が起こるかは知っていた。
アリアがクウルに出向き薬を売りに行く日。そして、アリアが殺される日に違いないと確信する。
「サラ、起きた? 今日はクウルに薬を売りにいってくるから、お昼ご飯を……」
アリアがそう言いかけたところで、サラはすぐさま飛び起きて玄関に立つ彼女を引き留めた。
まだぼんやりとした視界で、サラは言った。
「私も行く」
クウルはサラの生まれた街。つまり、彼女にとってはいい思い出のない場所。
それまでの彼女は行くことを頑なに拒み、アリアが一人で行くことが常だった。
だからサラの発言に、アリアは目を白黒させる。
「いいの? でも、サラは……」
「いい。今日はなんとなく、行きたい」
アリアは今日、馬車に轢かれた女の子を助け、魔法使いだとバレてしまう。
そこからは決まっている。人を助けたことなど頭の中から抜け落ち、人々は魔法使いに怒りをぶつける。
十字架に張り付けられて、鎖で縛られ、炎に焼かれる。
これがただの夢でないのなら、避けられるはずだ。
そう考えると、サラは立ち止まることなどできなかった。
「……そう。なら、早く着替えて来なさい?」
寝間着姿を指差され、サラは慌てて自分の部屋へと戻る。
すぐさま寝間着を脱ぎ捨て、お気に入りの白いワンピースに袖を通し、上から黒のローブを羽織る。
最後に銀色の髪を黒に、赤い瞳を藍色へと変え、アリアの下へ駆け寄った。
「お待たせ」
「じゃあ行きましょうか。せっかくだし、お昼もどこかで食べましょうか」
アリアの表情からは喜びが隠しきれておらず、いつになく上機嫌な姿が伺える。
いつもは断っていたが、やはり彼女は一緒に出掛けたかったらしい。
そんなことにも気が付けなかったのかと、サラはまた胸を痛める。
ヤチヨ村からクウルまでは、そう長くない一本道。草原に挟まれた茶色の線を、サラたちは歩いていた。
「今日は天気が悪いわね。降らなきゃいいんだけれど」
「そうだね。早く帰ろう」
なるべく早く帰れば、アリアが事故の現場に遭遇しないかもしれない。
なんでもいい。どうにかして彼女が生きられれば……そうすれば。
地面を見つめながら歩くサラの手を、不意にアリアが掴む。
びくっと肩を震わせると、彼女はまた微笑む。
「大丈夫よ。不安かもしれないけれど、一人じゃないから」
今のサラとアリアでは、見えている世界が違う。
未来が視えるというのは、こんなにも苦しくて、残酷で――エデンの生きてきた時間の壮絶さを体感する。
それでも彼女の笑顔を見て、手の温もりを感じて、その声で「大丈夫」と言われることがどれだけサラの心を落ち着かせているのか。彼女は知る由もない。
街が近づいていく毎に、サラの意志は強く固まっていく。
ここで彼女を死なせてはいけない。それが、自分にできる最善の行いなのだと、言い聞かせた。
クウルの街並みはどれも懐かしいもので、同時に苦しい記憶ばかりが想起する。
薬は路上で売るのではなく、知り合いのお店に頼んで売ってもらっているらしい。
「路上で売ってると、怪しい薬だと思われてなかなか人が来ないのよね」
「確かに、そうだね……」
その言い方はまるでやったことがあるかのようだ。
アリアはどこか抜けているところがあるので、きっと誰かに言われるまで本当にやっていたのだろう。そんな姿を想像して、サラは思わず笑みを零す。
店にはすぐについて、色のついたガラスで見える内装は豪華とは言えずとも、古風な雰囲気がある。
中にいた初老の女性がこちらに気付き、穏やかな笑みで手を振ってきた。
「こんにちは。これが今週分の薬です」
「ありがとうねぇ。ヤチヨ村の薬屋さんが作った薬は評判がよくてね。今後とも贔屓に」
しわに隠れた細い目は、薬を持つアリアからその後ろに隠れていたサラに移る。
フードに隠れた顔を覗こうと、ずいっと顔を寄せた。
「初めて見る娘だね」
「この娘は……妹です。ちょっと人見知りで、あんまり街に来ないんですよ」
アリアがフードを取り、頬を合わせて顔を並べてみせる。
実際の歳は百歳以上離れているだろうが、見た目なら姉妹くらいが適切だろうと、サラも納得した。
女性は満面の笑みを浮かべ、細くしわのついた手をサラの頭に乗せ、柔らかく撫でる。
「そうなの。お姉ちゃんと一緒にお買い物かしら。微笑ましいわねぇ」
「……」
こうして普通の人間に頭を撫でられたのはいつぶりだろう。こんな人たちばかりなら、魔法使いは殺されなかったのだろうか……嬉しくもどこか複雑な面持ちで、サラは目を逸らす。
「はい。これが今週の分。またよろしくね」
女性はジャラジャラと音のする麻袋を手渡し、笑顔で彼女らを見送った。
店を出るなり、緊張の糸が切れて大きな息を吐くサラ。疲れた様子を隠せず、またアリアに笑われてしまう。
「いい加減、人と話すのも慣れなきゃね」
「……そのうち」
ふと、サラの視界に一台の馬車が横切る。
決して速く動いているわけではない。運転手もきちんと前を向いている。
なのに、サラの目にはそれから目が離せない。
嫌な予感がした。
ここにいたら、確実に悪いことが起きる。根拠などないが、漠然とそう思った。
「早く帰ろう。雨も降りそうだし」
「そうね。じゃあパン屋さんにでも寄って――」
サラがアリアの手を引いて走り出そうとした、その瞬間。
ドガッという鈍く重い音が響き、次に聞こえてきたのは女性の甲高い悲鳴。
さきほどの馬車は道の真ん中に止まり、その脇には――一人の少女が、ぐったりと横たわっている。
サラはその現場を見てはいない。だが確実にこれなのだと、考える余地もなかった。
掴んだ手の先は、呆然とその光景を見ている。
いけない。このままでは、また同じことが起こってしまう。
「……大変。すぐに治療を」
「ダメだよ」
低く絞り出すように、サラは考えるよりも先にその言葉を呟いていた。
アリアはそれを聞いて、一度足を止める。
「サラ? 何を言って……」
「こんなところで魔法を使ったら、アリアが捕まっちゃう。そうしたら、アリアが!」
なんとか彼女を説得できないか、サラは必死に言葉を探した。
あの子はもう助からない。
助けたところで、アリアが悪者にされるだけだ。
助けたところで、誰も称賛などしてくれない。
けれどそのどれもが、アリアを留める理由にはならなかった。
「ごめんなさい、サラ。目の前で誰かが苦しんでいるのなら、私は見て見ぬふりはできないの。ここで待ってて」
サラの手を離し、集まる人だかりの中にアリアは飛び込んでいった。
その背中を、サラは呆然と眺めることしかできない。
どこかでわかっていた。考えないようにしていたのかもしれない。
アリアはどこまでも優しく真っ直ぐな人間で、たとえ自分が損をする立場だとわかっていても、足を止めることはない。
サラはその優しさに救われた。だから、今の彼女を止める権利など、どこにもなかった。
だがすべてを飲み込むことはできない。
このまま目の前で吊るされ、縛られ、焼かれていく彼女を見過ごせない。
このままでは、あのときと同じだ。
またあの光景を見たくない。その一心で、サラは走り出した。
「アリア、ダメだよ。私を、一人にしないで……!」
伸ばした手は群がる人たちの背中に阻まれる。
なんとか間を潜り抜けて次に見えたのは、大柄な男たちに捕らえられたアリアの姿だった。
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