夢か現か

「エデン、この近くに鉱脈はあるか?」


 恰幅のいい男、リスタルシア皇帝は、この国を導く予言者となったエデンに問うた。

 エデンは淡々と答える。


「東に位置する山の麓に、深い谷があります。しかし、近くに村があります」

「ほう……で、そいつらはどうなる?」


 ニタニタと笑う皇帝。その先は聞くまでもなく、否、聞いたとしても皇帝が取る手段は同じはず。

 エデンは微笑する。


「抵抗はするでしょうね」

「そうか……よし、兵を送るぞ」


 ――その様子を見つめるサラは、驚くでも憤るでもなく、ただ静観していた。

 同じく半透明なエデンが問うた。


『愚かだとは思わないのかい?』

『エデンのことかな』

『ははっ、ひどいなぁ』


 笑ってはいるものの、表情からそれが作り物だとわかってしまう。

 サラの答えは的を射て、エデンは自分自身の行動に後悔している。そうでなければ、あんな笑い方はできない。


 風が強くなって、時間は進んでいた。

 帝都は繁栄し、肌にツヤのあった皇帝も、しわだらけの老人になっている。

 しかし彼の前に立つエデンの姿は、生きているのか疑うほどに、寸分も変わってはいなかった。


「エデン、もう一度言ってみよ」

「はい。我々リスタルシアは、セントクル王国へ攻撃してはいけません」

「何故だ! 我が孫が暗殺されたのだぞ!」


 掠れた声を荒げる皇帝。

 皇帝の孫、つまり皇子が暗殺された。サラも知っている歴史的な事件。

 そして、千年戦争の引き金でもある。


「ですが、ここで敵国に火を上げようものなら、取り返しのつかないことに……」

「お前。暗殺されることを知っていて、私に教えなかったのか?!」

「どう足掻いても、皇子は死ぬ運命にありました。それが少し早まったに過ぎません」


 エデンの語る言葉は、なんら悪意のない事実である。

 しかしそれを視ているのは彼だけ。故に、真実を真実として受け止められないのは、当然のことかもしれない。

 皇帝は彼の首を締め上げ、低く唸るように囁いた。


「ならば贖罪をしろ。エデン、お前の力のすべてを使って、リスタルシアを勝たせてみせろ」


 エデンは有無を言う暇もなく、狭く暗い牢へと閉じ込められた。


『僕は毎日、人が死ぬ未来を視た。戦争が始まった以上、敵味方関係なく、毎日誰かが死ぬ。いくら感情に疎い僕でも、流石に応えたね』


 サラたちの見ている景色は、時間は抽象化された断片で、実際にはもっと長く険しいものなのかもしれない。

 だが、サラの見ているものはひどく長く、気が狂ってしまいそうな時間だった。


『……もう、いいよ。これ以上は見ていられない』


 そうか、とエデンは呟き、また杖で床を叩く。

 強い風が吹き抜け、サラたちは白い空間へと戻っていた。


「とまあ、僕の過去話はここまでにしておこう」

「ありがとう。エデンだって、昔の自分を見るのはつらいでしょう」


 サラの言葉にエデンは首を傾げる。

 頭を左右に捻らせた後、ようやくわかったと手を叩いた。


「つらい、か。もう僕には、そんな感情も残っていないよ」


 朗らかに、まるで笑い話でもするかのように、エデンは言う。

 サラにはまだ若い。故に古参の魔法使いたちのいう「永く生きることで感情を失う」といった現象に、まだ実感が湧かない。


 ただ、彼を見ていて思う。

 何故魔法使いは永く生きることを選ぶのか。その答えが、わからない。


「ねえ、エデン。私はあとどれくらい生きられるんだろうか」

「それは答え兼ねるね。確かに僕はいくつかの君の未来を知っているが、教えることはできない」

「いくつかの?」


 エデンは頷き、宙をなぞるように指を動かす。

 その跡に光の粒が集まり、不思議な線をいくつも描いてゆく。


「未来は決して一つではない幾つもの可能性が動き続けて、やがて一つの点に辿り着く。僕はただ、その点を知っているに過ぎないんだ」


 エデンの説明はとてもわかりやすいものだと思う。

 しかし、あまりにも壮大な話に理解が追い付かないサラは、目を細めて首を傾げる程度しかできずにいる。


「まあ、そう言われてもわからないよね。つまり、未来は誰かに決められているわけではない。自分で変えられることの方が多い、ということさ」

「そういうことなら、わかった」


 その点とやらをサラは知りたかった。しかし過去の彼、そして今を見て、きっと教えてはくれないだろうと察した。

 この調子なら、きっと魔女狩りのことも――


「故に僕は問いたい。サラ=メルティア、君は何のために生きる?」


 以前にも、サラは聞かれたことがある。

 魔法使いが絶滅の一途を辿る今、この世界をどう生きていくのか。

 彼女にはもちろん、自分なりの答えがあった。それを支えに、今もこうして生きている。


「私は、アリアの願いを叶える。魔法使いと人間が分かり合える時まで、私は生きると」

「それは本当に、君の望みなのかな?」


 じくっと、古傷を突かれたような痛みがサラを襲う。

 自分を、そしてアリアを疑うような態度に苛立ちを覚える。


「どういう意味?」

「それはアリアに与えられた使命であって、君の意志ではない。ということだよ。誰かにもらった理由では意味がない」

「……私はアリアに育てられた。だから私は」

「君は君だよ。サラ=メルティア」


 柔らかな笑みとは裏腹に、サラの心を冷たく撫でるその声は、サラの余裕を徐々に奪っていく。

 そこへ追い打ちをかけるように、口を挟んだのはリューだった。


「我はエデンの言い分もわかるな」

「リューまで!」

「前から言っているだろう。我は、苦しい思いをしてもなお人間を憎まないよう徹するお前の心は、理解できないのだ」


 無理をしている。リューはそう言いたかった。

 使い魔の言葉の意図も、心中も理解はできる。だから、余計にサラの首を絞める。


「私は……私の、意志で」

「せっかくだ。人生の先輩として、今のサラに必要なものを与えよう」


 薄く笑うエデンは、杖を片手に宙をなぞる。

 光は集まって線となり、魔法陣となってサラに近づく。それが触れた瞬間、サラの視界は真っ白な光に包まれ、咄嗟に目を瞑った。


 静かな世界の中に、少しずつ音と光が入ってくる。


「……ラ」


 夢から覚めてゆくようなその感覚は、不思議と嫌なものではなかった。


「サラ?」


 背後から聞こえた懐かしい声に、サラは肩を震わせる。

 そんなはずはない。わかってはいても、その声を無視することはできない。

 ゆっくりと目を開け、振り返る。


「頼んでいた薬の調合はできた?」


 その姿を見るなり、サラは息を飲んだ。


 黒く長い髪を束ね、藍色の少し垂れた目をした彼女を見間違えるはずもない。

 忘れもしない。ここはサラと彼女が暮らしていた家。


 そして目の前に立っている彼女が、師匠であり命の恩人であるアリア=イースターに他ならなかった。


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