第2話

 私にはコンプレックスがある。


 ひとつはつい最近ようやく諦めたことして、染めようにも染まらない黒髪がある。髪質の問題もあるようだけれど、染めても黒ずんで色がくすんでしまう。でなければすぐに落ちてしまう。

 明るい色の多い中、私の漆黒に近いロングは異質だろうと自覚している。腰までの長さを見て、私は魔女だと形容されたこともある。切らずにいるのは自己主張という名の意地だ。


 もうひとつはいい加減諦めなければと思うこととして、私が人混みを避ける要因にもなっている『匂い』がある。香水だとかそんな高価なものは使っていない。体質的に『花の匂い』がするらしい。そう言われたことがある。断言できないのは自覚がないからだ。私のハナではそんな『匂い』は感じられない。だから性質が悪い。


 切り捨てられるものなら捨ててしまいたいが、あいにく体質となると切りようがない。諦めと理不尽さの反発の狭間で揺れている私は、周囲から孤立していた。取り残されたと気がついたときには独りになっていた。今更、という気もしたので、あえて自ら輪に入っていこうとは思わなかった。

 独りなら、誰に気兼ねする必要もない。


 義務的に通っている学校が放課になると、つるむ友人もいなかった私は、一目散にこの丘に来た。何もない、見晴らしだけ無駄にいい、私のお気に入りの場所だ。何より誰も来ないのがいい。

 私と学校の間に丘がある、そのあたりにいつも座り込んで、本を広げる。朝のうちに図書館で借りてきたやつだ。こういう点に関してだけ学校は便利な場所だと思える。

 日が頭上にある限り、私はここから動かない。本の文字が読めなくなったらやっと腰を浮かせて帰路につく。雨のとき以外はそれが私の日常だった。

 それがあの日、彼と逢った日に崩れた。



 私は休日も平日と同様に誰も来ない丘に行く。違うのは滞在時間だけだろうと思う。家でやらなければならない必要最低限の用事を終えて、昼食を済ませた後、数冊の本とあめ玉を一掴みバッグに入れる。

 丘一面の足首丈の草原は、普段私が歩くところと座り込むところだけ少し短い。細い獣道になっている。


 あめをひとつ口に含んで本を開く。私が読む本はとにかく無節操だ。目に付いた本をとりあえず借りてくる。ほとんど自分で買ったことはない。もしすべて購入していたとしたら、今頃私の部屋は足の踏み場もなくなっているだろう。そのくらいは読んでいるつもりだ。

 ふたつ目のあめを食べようとバッグに手を伸ばす。と、足下で何かが動いた。虫……? それにしては動きが大きい。

 それはすぐに黒い姿を現した。


「……ねこ?」


「そうだけど? それよりも甘い匂いがしたんだ。何かあるの?」


 自問のつもりだったのに答えが返ってきた。……空耳?


「お腹、空いてるの?」


「四日も食べてなかったらそりゃね」


 会話が成立してしまった。私はついに頭がおかしくなってしまったらしい。


「あめしかないけど……食べる?」


「ホント!? いる、ほしい!」


 なんて表情のわかりやすいねこだ。瞳を輝かせたかと思うと、私が包みから出したあめをシャリシャリと音を立てて、心底おいしそうに噛み砕く。ねこにあめって食べさせてもよかったっけ?


「おいしいんだけど」


 ねこが言う。


「おいしんだけど、匂いが違うな。さっきの匂いは……こっち?」


 鼻を近づけてべろりと私の手を舐めた。


「匂い、するの?」


「ぼくの好きな甘い匂いがするよ。あぁ、自己紹介がまだだったね。ぼくの名前はルンペルシュツルツキン。命の恩人、君の名は?」


「ロゼット。ロゼでいいわ。ルンペル……長くて噛みそうね。ルーンでいい?」


「ぼくにはルンペルシュツルツキンという立派な名前が…!」


「わかったわかった、怒らないでルーン?」


「ルンペルシュツルツキン……」


 毛を逆立てたり長い尻尾をしょぼくれさせてみたり。私は彼をからかうのを面白いと思ってしまった。


 この丘でこんなに口を動かしたのは初めてだった。

 開いた本のページは数枚とめくられることなく、日が傾くまでしゃべりとおした。話して分かったことは、ルーンは以外に物識りだということ。ねこにしておくのがもったいないくらいほど。

 言っても世話ないことだけれど、ルーンがねこでよかったとも思う。人間相手では、私はもっと警戒してしまっていただろう。

 月を見上げたかと思うと、また会いにくるねと言い残し、彼は草原の中へ隠れてしまった。

 私はこのとき初めて丘に独りになるのを淋しいと思った。

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