第4話 森が動く

 エレナ・レビタンと書かれた写真を眺めていると、アンリはウサギを手に持って戻ってきた。

「これだけあれば十分だろう。さ、火を起こそう」

「ここで? さすがにまずいんじゃ……」

「ウサギってうまいぞ? 食ったことないの?」

「そうじゃなくて、魔物が目を覚ましたらどうするの?」

「魔物は寝坊助だから平気さ」

「そんなの聞いたことないよ」

 アンリは笑って見せる。どう考えても笑いどころではない。

「まあいいじゃない」

 ボクのことなんてお構いなしに、そこら辺の枯れ木を集め、鞄に入っていたマッチを擦って、上手に火をつける。どうやらなにかの魔物の皮を着火材にしているようだ。

 ここまでしてしまうと、今さら移動しても無駄だろう。ボクは諦めてウサギをご馳走になることにした。

「そうだ。さっきの手帳にこんな写真が」

 ボクは見つけた写真をアンリに手渡す。

「なになに、うわっキレイなお姉さん。誰これ?」

「後ろにエレナ・レビタンって」

 写真をひっくり返して見ても、アンリは文字が読めない。特に興味もなさそうに、ボクに返した。

「おじさんにとって大事な人なのかな?」

「まあ写真を手帳に挟んでおくってことはそうなんじゃない? 恋人とか?」

 それでもおじさんの正体を知るには情報として少なすぎる。

 女性の顔と名前だけじゃ、どうやってもたどり着くのは厳しいだろう。

「もしかして、この女性がボクを拐った理由に関わっているとか?」

「そういえば、子供の血を贄として強い魔物の力を借りる方法があるって聞いたことがあるような」

「それじゃあ、ボクはその贄にされるために拐われたの? でも、それならもっといい誘い文句がありそうだけど」

「ああ、あの『殺してもいい人間を探してる』ってやつね。確かにそんな言い方でついていくのは死のうと考えてるやつだけだよな」

「贄にするには条件があるとか?」

「どうだろう、そこまでは詳しくないからわからないや」

「じゃあその魔物の力を借りる方法を知ってる人を探してみよう」

「どうやって?」

「それは……」

 言ってみてから気づいたが、写真一枚から女性を探すのと同じくらい大変なことだ。

 ボクたちのような小さな子供には難しいだろう。

「そうだなー、魔物について詳しいやつなら、心当たりがあるけど」

「本当! じゃあそこを目指そう!」

「いや、もう来てる」

 脂が滴り出したウサギの肉を味見するアンリは火の中にその一欠を放り込んだ。

 すると立ち上っていた煙が濃くなって、肉の焼ける臭いが強くなった。

「アンリ、そのニンゲンはクッテいいのカ?」

 その臭いに目を覚ましたのか、人間とは違う籠った声が森に響いているように感じた。

「食べちゃダメだ。あたしのトモダチだからな」

「コドモのニクはヤワラカクてウマいノニ、モッタイナい」

 そこに姿を現したのは、毛の長い動物の皮を不器用に重ね合わせたマントを羽織ったゴブリンだった。

「ま、魔物だぁ!」

「落ち着けよ。あたしがいる間は食われないさ。それにこいつは魔物について詳しいんだ」

 それはそうだろう。だって魔物なんだから。

「なあ、人間が魔物の力を借りる方法って知ってるか?」

 アンリはどうして平然とゴブリンと会話しているのか、ボクには理解できず、腰を抜かして地面を這うように距離を取るしかなかった。

「ワレラはニンゲンにチカラなどカサナい。タダシ、ニンゲンをリヨウシテイるヤツならシッテイる」

「そいつ、どんなヤツなんだ?」

「ドーヴァのイセキのアンデッド。アイツはコドモのチをアツメテイる」

「なるほどね。ありがとう、助かったよ」

「デ、ナニクレる?」

「森の手前の小屋に大人の肉一つ。それで十分だろう?」

「スクナいナ。ダガ、イイダロう」

 ゴブリンは右腕を大きく上に挙げた。すると森の奥でなにか黒い影がざわざわと動くのがわかった。考えるまでもなく、ゴブリンの群れだろう。

「アマリこのモリをジユウにウゴキマワルな。コロサレテもシラナイぞ」

「ハイハイ、このウサギ食い終わったら出ていくよ」

 ちょうどいい焼き加減になったウサギにかぶりついて、アンリは笑った。それを見て、ゴブリンは森の奥へと姿を消した。

 さっきまでざわついていた森に静寂が戻る。

「だってさ。ドーヴァが次の目的地だね」

「アンリ、君はいったい……」

「あたしはこの森に捨てられたんだ。それから生きるために魔物と戦い、交渉して、どうにか生き延びた。いつも町の近くで人の死体を見つけたら、金目の物は奪って、体はゴブリンに差し出す。そうやって生きてきたんだ」

「そんな……」

「今までは運がよかったけど、そろそろ潮時かなとは思ってたんだ。だからネイと出会えてちょうどよかったよ」

 そんなこと、平気で笑って話せるアンリは、どこか普通じゃないのだろう。最初に会った時から伝わってきた違和感はこのせいだった。

 ボクはとんでもない人についてきてしまったのかもしれない。けれど、町でおじさんに声をかけられた瞬間から、後戻りは考えていない。

 ボクは焼けたウサギの肉頬張って、腹を満たした。

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