第2話 なにも起きない朝

 ボクは目を覚ましたのか。たぶんほとんど寝られなかったように思う。

 あの町は勇者の加護があって魔物は入ってこれないけれど、ここはそこから離れている。いつ魔物に襲われてもおかしくなかった。

 ボクは生きている。

 大人たちが見つけには来なかったけれど、命はこの胸の中で確かに動いていた。

 恐る恐る扉を開けて外の様子を伺うと、辺りは霧で覆われていた。

 三歩先も見えない真っ白な世界は、隠れるのにはちょうどよかった。

 しばらくはここでやり過ごせるだろう。

「おじさん、これからどうするの?」

 まだ毛布の中でうずくまっている黒いおじさんに声をかけるが返事はない。まだ寝ているようだ。

 いつもはだいたい勉学に励んでいる時間だろうか。

 お母さんは読み書きを教えてくれて、いろいろな本を買ってくれた。お父さんは仕事でしっかり学べるだけのお金を稼いで来てくれる。

 周りと比べても劣らない、しっかりとした子供だって評判だった。

 それは誇らしくもあり、『特徴のない子』だというレッテルのようにも感じた。

 だからもう、死んでもいいって思った。他の人と同じならいなくてもいい。ボクはそう思った。

 だから日が落ちる頃まで町の片隅に座り込んで、なにかに巻き込まれないかと待っていた。それがやっと叶ったのだ。

 このおじさんはボクを殺してくれる。この世界からいなくなれる日がやってきたんだ。

 なるべく痛くない方法がいいな。けど、そんなわがままは言えない。殺されるだけで十分だ。

 この霧が晴れる前に、おじさんに殺してもらおう。ボクは毛布をはがし、おじさんを揺さぶった。

「おじさん、起きて、もう朝だよ」

 返事がない。

「おじさん?」

 ボクはおじさんを仰向けにして胸に耳を当ててみる。しかし、そこからはなんの音も聞こえてはこなかった。

「おじさん……」

「なにしてんのさ」

 ボクはいきなり降ってきた声に体を強張らせた。

「それ、あんたがやったんじゃないのかい?」

「ち、違うよ! 気がついたら死んでて……」

 どこから見られているのかもわからず、左右前後を見渡してみるけれど、どこにも声の主はいない。

「じゃあそいつの持ち物はあたしが持ってっても文句は言わないね?」

「誰なの? どこにいるの?」

「上だよ」

 バサッとボクの上になにかが覆い被さった。慌ててもがけばもがくほどその被さったものは絡まっていく。

「ほれ」

 声の主はそれをひょいとつまんで外してくれた。外れてみればどうということはない、ただの布切れだった。

 真っ白でボサボサの髪に真っ赤な目。服は丈があっていないのを無理やり折って縛って合わせている。歳はボクと同じか、ちょっと上くらいだろうか。

「あたしはアンリ。あんたは?」

「ボク? ボクはネイ」

「それで、あれ、全部もらってっていいの?」

 アンリはおじさんを指差して言う。

「そんなことしたら泥棒だよ!」

「フフッ、じゃあ大人に言ってどうにかしてもらう?」

 不適にアンリは笑って置いてある木箱に腰をかける。

「うん、それがいいよ」

「そんなことしたら、泥棒どころか殺人犯にされちゃうけどね?」

「そんな! おじさんは勝手に死んじゃったんだよ?」

「本気で言ってる? 首のところ、見てみなよ」

「え?」

 アンリの言うとおり、ボクはおじさんの首を見てみると、そこには小さな跡があり、そこからは少量の血が流れていた。

「それとそこに注射器」

 アンリはブラブラと遊ばせていた足の片方で床を差す。そこには言ったとおり小さな注射器が落ちている。

「だったら自殺だよ! ボクはなにもしてないもん」

「ここには朝まであんたとあれの二人きりだったんだろ? 自殺だって言って、大人が信じるのかな?」

「そんなこと……」

 確かに、ボクを犯人じゃないという方が不自然だ。どう考えてもボクがやったとしか思えない状況が作り出されている。

「一緒に逃げようか」

「え?」

 アンリはボクに手を差し伸べた。

 まだどんな人間かもわからず、本当にボクがおじさんを殺したのかもしれないボクを、助けてくれようとしている

 最初から死ぬつもりだったのだ。こうなったらどこまでも遠くに行こう、そう思った。

「行くよ」

「じゃあまずはそいつから物盗って行こう」

 ボクとアンリはおじさんから盗れるだけの物を持って、小屋から脱出した。

 ボクはおじさんから盗んだ黒いジャケットとシルクハットを被り、白い霧のな中をどの方角かもわからないまま、アンリについて行った。

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