“Woman” and “Man”
職員会議で近くにある高校で起きたある問題について説明があった。曰く、女子生徒と男性教師が恋愛関係にあったとのことだ。
「現在の時点では我が校でそういった問題は無いと考えていますが、みなさんくれぐれも注意してください」
教頭先生からの指摘と共に職員会議は締められた。どちらにせよ、私には縁のない話だ。
私はこの高校で二年間、物理教師を務めている。教師になって最初に勤めたこの高校だが、環境に不満はない。以前、別の先生から「M先生は分かりやすいけど暗い、惜しい」という生徒の陰口を聞いたと伝えられたが、果たして本当に生徒なのかは怪しいものだった。そもそも生徒から好かれようが好かれまいが、いつかは彼らも旅立っていく儚い存在であり、別に生徒の記憶に残る面白い先生になるつもりもない。こんな考えなのだから交際相手の女性の一人も見つからないのかもしれない。
「生徒との恋愛ってのもすごい話ですよね。なんだったら自分の子供でもおかしくない年齢差なのに」
新学期始めの授業を終えた私を含めた理系講師数名は飲み会に来ていた。
「でも、ちょっとだけわかるかもな」
グラスを置いてからそう言ったのは僕らの中では若めの男の生物教師だった。
「おいおい、おまえ本気で言ってるのか?」
私と同じ年齢の女性の数学教師が驚いている。カクテルを持つ手の薬指には指輪が光っていた。
「いや、僕にその気はないですよ。でも最近の高校生って発育いいですし、僕らのときよりも見た目に気を使ってますからね。魅力的な人になってるのは間違いないですよ」
M先生どう思いますかと彼は僕に意見を求める。私に訊くのかそれを。
「私はどうしても生徒のことは生徒としか見れないから、そういう関係になる人の気持ちはわからない。しかし、私たちにも当然だけど高校生だった時代があって、そしてその時の恋愛対象は大抵が高校生だったはずだ。そう考えると頭には魅力的な異性として高校生が含まれていてもおかしくはないのかもしれない」
そう言うと二人は呆然として僕の方を見ていた。
「理屈っぽいですね」
生物教師のその言葉でその話題は終わった。
しかし、こんな私にも一つだけ憂慮していることがある。それも女子生徒との交友関係に関して。
私は現在一人暮らしをしている。去年から住み始めた、それなりに金をかけたアパートだ。その隣人一家には一人娘がいた。名をWさんといい、引っ越して挨拶をした時には中学二年生だった。私の職業を聞くなりご両親はWさんの勉強を見てほしいと頼んできた。隣人との関係も考えて「私の勤める高校は志望しないこと」を条件に請け負った。自分の勤める学校に受からせたというのでは、他の受験生たちに申し訳なかったからだ。彼女はあくまでたまたま私の隣人であったのだから。
Wさんは控えめに言って壊滅的な実力だったものの、地道に成績を伸ばしていき、優秀な生徒となった。
そんな明るい未来が見えたのはよかったのだが、彼女の発言により私の未来は曇り始める。
「私、先生のいる高校に行きたい」
実際に彼女がこう言ったわけではない。厳密には具体的に校名を出してきた。約束が違うので私はそれを注意したのだが、優秀な彼女は極めて素晴らしい志望理由を述べた。
自分の将来の目標とそれが果たす社会的貢献の予想、そこから逆算したいくつかの志望大学および学部学科まで。そして思わず納得してしまうほどに我が校は彼女の求めるものと一致していた。
私はそれを聞いて反対できるほど生徒より自分を優先することができなかった。
かくして彼女は我が校を志望し、順当に合格した。
それだけなら一向に構わないのだが、合格したその日から私は彼女からしばしば恋愛的アプローチを受けていた。
全て跳ね除けてきたが彼女の入学が近づくにつれて私は不安に駆られていた。明らかにただの生徒と教師より親密な関係。これを同業者あるいは保護者が見たらどう思うだろう。私はワイドショーで校長が記者会見を行なっているところまでは想像できた。
実際のところ隣人として親しい生徒との距離感が私の悩みだ。どうしたものか。そんなことを考えながら私は今年最初の授業の教室の扉を開けた。
「初めまして、皆さんの物理基礎を担当するMといいます。よろしくお願いします」
軽く会釈し顔を上げると見るからに顔を輝かせている生徒が1名、視界に入った。私の名前を大声で呼ばれるのではないかなどと怯えていたのだが、彼女にも常識的な思考が働いたらしく黙っていた。
第一回の授業は特に問題なく終わった。教室を出ると後ろからWが私を呼び止めた。
「ごめん、Mさん。やっぱり知り合いっていうのは隠した方がいい?」
「知り合いくらいならいいけど、さすがに隣人っていうのは控えといてくれ」
そう言うと彼女は少し落ち込んだ。なんだか少し申し訳なくなってしまったが、私が大人なのだからその辺りはしっかりしなくては。
「あと学校では先生呼びだ」
そう言うと彼女は俯く。冷たくしすぎたのか、泣くのではないかと私は思わず慌ててしまう。しかし彼女が顔を上げると笑みを浮かべていた。
「どうしたんだ」
私は尋ねた。
「秘密の関係みたいでドキドキするなって」
彼女の鋭い眼光に私は面食らってしまう。微笑んだ口からヨダレでも垂らしそうでまるで獣のようだ。そして私が獲物らしかった。
彼女は私の手を掴んでこう言った。
「私、先生のことまだ諦めてないから」
しばらくしてチャイムが鳴り、彼女は教室へ帰っていった。
私は硬直したままチャイムが鳴り終わるまで待っていた。
「生徒が教師に手を出すなよ」
私は静かに呟いていた。
A to Zの物語 登坂くだる @kudarutosaka
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