なきそこない
俺は昔からよく笑う人間だった。気を使って愛想笑いをし続けていたら心から笑うことが減った。乾いた笑いだけが唇を抜けて溜め息のように漏れるようになった。
大学に入ってから妙に女が寄ってくるようになった。自覚は全くないが俺の容姿はそこそこらしい。得意になりすぎてもはや自分の一部になった愛想笑いのおかげで、俺は愛想が良く聞き上手な人間になっていた。
ある日、女が自分に恋愛相談がしたいと言って俺を食事に誘ってきた。女には恋人がいてその恋人との関係についての相談だった。気の利いた場所に連れていくことはできなくて、静かなところがいいと言うので喫茶店に行った。
女の相談はある意味では予想範囲内で、相手が自分のことを大切にしてくれているかわからないとか、自分が相手のことが本当に好きなのかとかそんな話をされた。どんなことを言ったか自分ではよく覚えてない。もっと大切にしてくれればちゃんと好きでいてられるのになとかそんなことを言った。すると彼女は泣き始めて、周りの目がいたたまれなくなった俺は彼女を連れて店を出た。どこかいいところはないかと思索していると一人暮らしをしている自分の家に行きたいと言われた。
別段泣いている彼女に同情するつもりは無かった。ただ大きな涙を流す彼女の望むままのことをしてやるのが自分にできる、雀の涙ほどの僅かなことなのだろうと感じた。
彼女は家に着くまでの間に一通り泣き終わって、目と鼻先が赤くなっていた。玄関に着いた時には二十二時くらいになっていた。それじゃあ、と帰ろうとすると服の裾を引かれた。もう少し一緒にいてという切れかけの糸のような声を聞くと俺はその裾を引く手を払うことができなかった。
彼女の部屋の扉の鍵を内側から閉めると彼女は目一杯背伸びして俺に口づけした。そこから先は頭の中が霞みがかかって正常な判断ができなかった。彼女がしてくることをし返した。
キスされればキスした。
抱き締められれば抱き締めた。
傷ついているとわかっている彼女を拒めるほど俺は優しくなかった。軋むベッドの上で二人とも溺れるように愛し合って、気づけば泥のように眠っていた。
朝に起きてこのことは忘れようと言って俺は家を出た。俺と一緒になれだなんて言える立場ではなかったし、彼女が欲しているものが自分ではなく慰めてくれる誰かだとわかったからだった。
それ以降、女が俺を慕って話をしに来るのが増えた気がした。自慢する気はないし、嫌な気がするわけでもない。ただ空虚な笑顔と同じ、吹けば消える煙のような関係を多く築いた。
ある時、ある女を本気で愛した。初めてだった。必死でアプローチしてようやく交際を始めることができた。
しばらくして彼女が別の男と寝ていることがわかった。
「私との関係が遊びだと思っていた。あなたはいろんな女の子と遊んでいるって聞いていたから」
その言葉を聞いてから俺は別れを切り出した。何も言い返せなかったし、そんな資格はないと感じた。
しかし最も驚いたのは自分が涙のひとつも流さなかったことだった。確かに悲しかったし、浮気された怒りが勝っていたわけではない。でも何故か泣くことはなかった。
いろんな女と溺れ続けては浮かんでを繰り返して泳いできたが、自分はその度に水底に何かを落としてきていたらしかった。しかし気づいた時には潜れなくなるほど俺の体は軽くなっていた。
それを言い訳にするつもりはないが、女とたびたび寝るのはそれを拾いに行きたいと心の底で渇望しているからかもしれない。今でも沈もうと何度も試みている。その度に何かを落とし何かを拾ってくる。そしていっそ溺れてしまいたいと泣きたくてもなけない夜を幾夜も漂わなければいけないんだ。
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