10. 先生と銭湯に行こう

 担任古賀ひとみの提案を受けて、俺達は銭湯へ行く事になった。

 サポートのお礼に昼食をご馳走してくれると言い、その前に風呂で汗を流そうという事になったのだ。


 気持ちは分かる。

 これから飯を食おうというのだ。

 どうせ食うなら美味しく食べたいと皆思うだろう。

 こう体がチクチクしていては、味覚に集中出来やしない。


 そりゃそうだろうけど……

 俺はハイそうですね、とは言えやしない。

 いや、言ったようなもんだから、今なつきとコジローとん吉に横目で睨まれている。

 何せ女とバレたら、地球がパッカーンだからだ。


「先生、ちょっと待って!」


 俺は「罰ゲームは恐くないか……」とクイズ番組のフレーズの続きを叫ぼうとしたひとみちゃんを台詞途中で止めた。


「おかーさーん!

 先生がさあ、銭湯で風呂入ってから、飯ご馳走してくれるって。

 行って来ていーい?」


 そして片付け作業をしている母ちゃんに、ゆっくり大声で伝えた。

 これで気づいてくれるとは思うけど。


「ダーメーッ。

 ちょっと手伝ってほしいから、ご飯で合流しなさーい」


 よし!

 実にいい返事が返ってきた。

 やはり母には事情を説明して正解だった。

 なつきとん吉も喜色を浮かべてこちらを向く。


「ゴメン先生、俺は後から合流します」


「そっかあ、仕方ないよね。

 じゃあヤエちゃんは後でレストランすかいらあ……」


「おい!

 行ってきていいぞ!」


 うっ、思わぬ横槍。

 父ちゃんが気を遣って言ってきた。

 おいおい、こんな時だけ。

 普段はちっとも気にしないクセに。

 いや、気にしてないフリしてるくせに、だな。


「これくらい母さんとやっとく。お前はみんなと行ってこい」

「もう! いいから、ちょっと黙ってて」

「ん? なんだその言い方」

「だからいいのよ、今はまずいのよ!」

「なにがだよっ」


 何だか夫婦喧嘩に発展しそうになってきた。

 仕方ねえなあ。

 

「お父さーん、ありがとう。

 お母さま、すみませんが上がりまーす」


 このまま夫婦仲を悪くするのは嫌だし、喧嘩でポロッと口を滑らせたら不味い。

 銭湯に行く事が絶対に無理という訳ではない。

 女性陣の先に入れば何とかなるだろう。


「ともか、ちょっと待ちなさい!」


 母は言うと軽トラに戻り、バックを手にして走って来た。

 否定的な方の待てじゃない様なので、俺も駆け寄りバックを受け取る。


「一応お母さんのタオルと上着を入れたから。

 あと千円も。銭湯代」


「おおっ! すごく助かるう」


 本当に助かる。

 おそらく家を出る時に羽織っていた上着を、作業前に脱いで車に乗せていたのだろう。

 女湯の籠に入っているのが俺のジャージじゃ目を引きすぎる。


「あんた、本当に大丈夫?」


「うん! ナイスアシストだよ」

 

「あしすと?」


「バッチグーって事」


 俺はバックを小脇に抱えて走り、とん吉に声を掛けた。


「どっちが先に銭湯入るか競争だ!」


 とん吉も意図を汲んだらしく、


「おうっ! 一番風呂は俺だ~」


 と叫び返して俺に並んできた。


「先にひとっ風呂浴びるって訳か?」


「ああ、最良はみんなが入る時にトイレでやり過ごすだな。

 悪くても、浴場の中でなら何とか誤魔化せるだろう」


 

 学校から平爪湯ひらつめゆまでそう遠くない。

 とは言え1キロはあると思う。

 急いで向かえば、チンタラ歩くであろう先生に10分以上の差が出来る。……ハズ。


「もし先生が壁越しに声掛けたりしたら、上手い事言っといてくれ」

「任せとけ」


 とん吉はグッと親指を立ててから、男湯ののれんを潜った。

 俺もグーを同じ様に返して女湯に入った。

 丁度財布を出そうとしてるとん吉へ、番台越しにお金は払うと伝える。

 千円札を婆さんに渡し、後から来る先生と小6女子4人、それに俺、とん吉の料金を払う。

 

 大人240円、小学生まで120円。

 7人分払っても、960円! 千円でお釣りが出るとは……

 数年前、悪友タケヒコがまだ風呂なしアパートだった頃、目黒の銭湯代が430円だったか。

 でもまあ、30年で倍くらいなら安いのかもなあ。

 おっと、そんな感慨にふける暇はない。


 俺は急ぎ服を脱ぎ、塵をはたいてバックにしまう。

 籠に母ちゃんの上着を入れ、バックは洗面に戸棚があったので隠す。

 タオルは新しい方を持って浴場へ。

 先客は無し。思わず洗い場に行かずに浴槽の湯をパパッと掛けてダイブした。


「ふいいい~っ」


 思わず声が出る。いやあ、気持ちがいい。

 疲れた体に染み渡るって感じだ。

 更に潜水して、全身でお湯を満喫する。


 いやいやいやいや、仕方がないのだ。

 無作法ではあるが、俺には時間がない。

 地球が割れるよりはいいだろう。


 俺は洗い場に移ると、髪を洗ってタオルを頭に巻いた。

 男が巻くような、おでこに充ててから後ろで結ぶやり方でなく。

 後頭部の下辺りから持ち上げる様に前で結ぶ、女の巻き方だ。


 ガラガラガラガラ


 ガラスの引戸が開いて、客が数人入ってきた。

 静かだった浴場が急に騒がしくなる。

 何とかギリギリセーフかな。


「うひょ~っ、気持ちよさそう!」

「おい、やすみ! まず体を洗え!」

「そうだよう。マナーだからね」


 やはり女性陣が到着したらしい。

 これで5人全員が風呂に浸かった時、俺は退室すればいい。

 浸からなくても全員この場に集まりさえすれば、タイミングを見計らって出ればいいか。


「皆さん、他のお客さんに迷惑だから静かにね」


 おっ、ひとみちゃんも入って来たな。

 後はなつきだけだな。

 あ、そうか、今出てもいいのか。

 なつきと鉢合わせしても問題ない。


「おーいヤエちゃ~ん、お金ありがとね~!」


 おいおい、静かにしろと言った自分が大声出してるよ。

 まあ、そうだよな。礼はすぐ言いたいだろう。

 それによく、こういう男湯への会話、ドラマとかであったしな。


「せんせ~い、ヤエはトイレ、大でーす」


 あははははは、とみんなで笑う。


 うっ……よしよし。

 とん吉、よくやった。

 さあ、もう出よう。


「どうも騒がしくしてすみません」


 後ろから声を掛けられた。

 だが、なつきの声だから問題ない。

 俺は完全に女体だからな。気付かないのだろう。

 軽く会釈でもして脱衣場へと移るとしよう。


 振り返り、なつきと目が合う。

 視界に全裸のなつきが入る。

 凝視は出来ないが、もちろん下に小小学生は付いていない。

 女の子だ……当たり前だけど。


「きゃあっ!」


 思わずなつきは胸を隠し声を出した。

 俺の胸の高鳴りが表情にまで出てしまっていたのか。

 声を上げてから、ハッとした顔をするなつき。

 だが刻すでに遅し。

 みんなの視線がこちらに集まってしまった。


「ヤエ……?」

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