第13ー8月夜の悩ましい思索2

 そう言えば、異なる価値観のコメントをSNSで見ても、却って自分の帰属する集団なり自分の意識を強める結果にしかならないとする、研究結果もあったと記憶していますが、これではどれだけ科学知識を啓蒙的に広めても、差別的な言動する集団は、規制したってどうしたって改善しないだろうし、宗教にそれが根ざしている場合だと余計にこじれる上に、問題を否定したり無意味化してみたり、教義の絶対性を主張する強化材料にしかならないかもしれない懸念が強くて、わたし達マイノリティの許容は、異性愛者が同性愛者やトランスジェンダーに対して、生理的嫌悪を催すケースなどを考えても、どうしたって乗り越えられない壁がある気がしてならないのです。


 だって、異性愛者が気持ち悪いと思う同性愛者もいるように、規範でどれだけそれを禁忌化しても、人間が感じる思考や思想を止める事は出来ないでしょう。

 そうじゃないと、未だに古い道徳意識を押しつける宗教を信じる人が、これだけ山ほどいる現状をどう説明出来るんですか。


 AIがこれだけ広がっている社会でも、宗教的規範が強い社会では、まだまだ決定に左右するポジションにも分析を行う立場にも、AIを活用する事を躊躇っている現状ですよ。

 先進国で、運用の仕方を慎重にやって、昔の差別的な発言をしたAIみたいにならない様な、教育プログラムを厳重にやって出来るようになったのですが、現在でもコンピュータやAI、ロボットによる作業を嫌う人は沢山いると聞きます。


 そうじゃなくても人間の仕事は二極化していって格差も広がっているのに、AIに仕事を奪われるなどの煽りは、前世紀からずっと続けられていて、社会制度の改革などの保障なども全然議論されないのに、恐怖を煽るコメントばかり持て囃されていて、ちょっと嫌な気がするのは、わたし自身がエミリーと言うUSAIを有効活用していて、大変頼りになるお姉さんとして、人格を認めるみたいに扱っているからだろうと思います。


 確かにAIに奪われた仕事は多数あります。

 しかし、それは最低限の読み書きの能力がなければ出来ない仕事でもありましたし、単純労働は寧ろ楽を出来る風にもなったとも解釈出来るのではないでしょうか。


 しかしこの時こんな事を喃々なんなんとするように、一人でぶつぶつ言いながら、世界の飛翔を感じていると、ボブ・ディランの「ミスター・タンブリンマン」をいつの間にか聴いていたようです。

 もしかしてエミリーが気を利かせてくれたのかと尋ねてみたのですが、どうやら無意識の内にと言うのもおかしいのですが、わたしがエミリーに収録アルバムを掛けて欲しいと言ったとの事。


 そう考えると、一曲目の「サブテラニアン・ホームシック・ブルーズ」だって、驚異的な言葉の魔術を施した連想ゲームですし、そこにはどこか変質的と言うかパラノイアックな世界観も表現されていると思うので、わたし自身も出来るだけ言葉や思考の罠に嵌まらないでいる為に気をつけたいと常日頃から自戒しているのですが、中々難しいテーマでもありますね。


 と、そうではなくてわたしの思っていた事は、ミスター・タンブリンマンと言う存在に話者が慰めを求めて音楽に遊ぶ様が、わたしにはアリストテレスが知的好奇心を誰しも持っていると言ったように、知への刺激を誰かミューズなのか菅原道真なのか、何かしらそんな概念によって相互連関的に導かれて、知への探求を始めさせられていく不思議を感じていたんでした。



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